第5話 魔女の襲来
(なぜコイツがいる──!?)
大神は目の前の光景を理解するのに数秒かかった。
リビングのテーブルにはポテチの袋が広げられ、その食べカスが散らかっていた。空になったアイスのカップ、飲みかけのミルクティーのペットボトル──ここは本当に自分の部屋か?
テレビでは、今売れているというお笑いコンビがちょうどツッコミを入れていた。話声は──どうやらこれだったようだ。
「あ、お帰り〜」
まるで長年の同居人を迎えるように、魔女はポテチを手にしながらあっけらかんと声を上げた。
「お前……何してる?」
大神はかろうじて声を絞り出した。
「何って……言ったじゃん。『またね』って」
魔女はキョトンとした顔で、さも当たり前のように返す。
「……は?」
あの時──去り際の言葉か。意味が分からない。
だが、謎の力を振るう魔女だ。油断はできない。
即座に身構え、魔女の指先に視線をやる。指輪は──はめてない。イケるか──?
「動くな! 両手を挙げろ!」
「待って待って! 何かしようってわけじゃないの」
──では、何だというのか。
「オジサン、指輪のありか、知りたくない?」
「……どういう意味だ」
「だから、模造品を使った人がいたら教えてあげるってこと」
(どういうことだ? こいつ、何を企んでる?)
「お前、何を知ってる!?」
「私ね、分かるの」
──そんな話は聞いたことがない。ハッタリだろう。
魔女に向かってタックルしようと、身を乗り出したその瞬間──魔女は立ち上がり目の前に右手をかざした。反射的に身体を止める。
「私、指輪は必要ないのよ」
──まさか、そんなはずはない。
「アパート、吹っ飛ぶかもよ」
魔女がニヤリと口角を上げた。
──マジで使えるのか?
……クソッ、下手に動けない。
背中にジワリと汗が流れる。あの夜見た、普通の指輪ではありえない〈力〉。たしかに、その正体は不明だ。状況証拠が少なすぎる。
「指輪、押収したいでしょ。タレコミは大事よね〜」
魔女は得意げに笑みを浮かべた。
「……何が望みだ」
(おおかた違法デバイス所持を見逃せ、といったところか。聞くだけ聞いて確保してやる)
「ウチよりここの方が学校に近いの」
「──?」
「しばらくここから通わせて」
「……何言ってるんだ?」
「でね、もう準備してるんだ」
絢音はリビングの隅に鎮座していたキャリーバッグを開けた。そこには、きれいに畳まれた制服があった。
「出しとかないと、シワになっちゃう」
よく見ると、キャリーバッグの裏にスクールバッグまで居座っていた。
「どういうことだ……?」
「だから、ここに住むって言ってるの!」
ニブいオジサンだ、とでも言いたげに魔女はため息をついた。──当たり前だ。言っていることがまったく理解できない。本当に学生かどうかも怪しいものだ。
だが、待てよ──と、ある考えが浮かんだ。
実際、〈指輪〉の押収はタレコミが主な情報源だ。この魔女がもし本当に情報を持っているならば、捜査の役に立つ。情報提供者として利用できないか。
(ひとまず、ここは懐柔策で攻めるか。隙を見て捕まえる──!)
「分かった、分かったよ」
「やった! じゃあ、決まりね」
表情を意識的に緩めながらフラリと歩を進めると、魔女は満面の笑みを浮かべた。
「そうだ、アイス食べる?」
魔女は大神の脇をスルリと抜け、返事も待たずにキッチンへ向かった。
背後からガサガサと冷蔵庫を漁る音。振り向くより先に、「ハイ!」とアイスのカップを押しつけられた。ストロベリーチョコだった。
よく見ると、魔女の口元にはアイスの跡が付いていた。
アイスのふたは開いていない。何か入れている可能性は少なそうだ。油断させるためとはいえ、恐る恐るアイスをひと口食べた。突入の緊張で身体にこもった熱が和らぐ。警戒を緩めるわけにはいかないが、美味いものは美味い。
「美味い……」
「でしょ? 好きなんだ〜、それ」
「……お前、何者だ?」
食べながら尋ねた。
「何? 職質?」
「ふざけるな。名前だ」
「そうね。〈魔女〉って何かイヤな感じ」
「とぼけるな」
魔女はふぅ、と息をついた。
「絢音……佐伯絢音」
「何歳だ?」
「やっぱり職質だ〜」
こいつのペースに巻き込まれるわけにはいかない。だが、機嫌を損ねさせてもいけない。ここは、見だ──あえて一言も返さなかった。
「……十七。高二よ」
──マジで未成年か。なのにあんな力を使うのか。とんでもないガキだ。
「オジサン。これってマズいよね?」
──何がマズいというのか。
自分でも怪訝な表情になったことが分かった。その表情の変化に気づいたのか、絢音はニヤリと口角を上げた。
「警視庁の現役刑事が、JKを自宅に連れ込むなんて……」
──どうやら自分が未成年なことをネタに脅すつもりか。
絢音は歌うように指を折った。
「『未成年者略取』? それとも『青少年健全育成条例違反』かなぁ?」
「何言ってる。お前の方が不法侵入だ」
「えぇっ!? でも、私は荷物まで持ってきてて、オジサンも私が買ってきたアイス食べてる。……状況としては〈JKを連れ込んだ刑事〉よね?」
「馬鹿な、お前が勝手に来たんだろ」
ふざけた事を言いやがって──アイスのカップを持つ手に思わず力が入る。
「えぇ〜、刑事がそんな言い訳するんだぁ。世間が信じてくれるといいけど?」
(こいつ、マジで言いふらすつもりか!?)
不覚にも懲戒処分を報じるニュース映像を想像してしまい、顔が引きつった。その表情を確認したのか、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべる絢音。
(しまった、ハメられたか──!)
懐柔策とはいえ、非常にマズい状況を作ってしまった。
「じゃあ、もう遅いし、先にシャワー浴びるね」
「えっ!?」
「当たり前でしょ? それとオジサン、私のシャンプー使わないでね」
「──!」
とんでもない爆弾を引き入れてしまった。一瞬「エスにでも」などと考えてしまったことを後悔した。
大神はキッチン横のバスルームから聞こえる鼻歌をBGMに、絢音が食べ散らかしたポテチの残骸を片付けていた。
『次に会ったら、絶対逃がさないで』
脳裏で、七瀬の声が鼻歌のBGMに乗る。
逃さないどころか、こっちが逃げられなくなった。下手に動くと自分が詰む。それに魔女は一人だけではない。〈四特の魔女〉もいる。四特は出来て数年の生まれたてだ。不祥事ひとつで簡単に潰される。組織のためなら、あの赤ヒールの女は笑顔で自分を懲戒するだろう。
そもそも自分はただのイチ公務員だ。刑事としての自負はもちろんあるが、リスクをすべて覆すほどの英雄的能力があるわけでもなく、そんな甲斐性などないのだ。現実とドラマは違う。
ただ、今の状況が現実離れしていることだけは確かだ。これこそドラマみたいで信じられないが。
「くそっ」と呟き、買ってきた缶ビールを開ける。ビールはすっかり温くなっていた。
「オジサーン、タオルどこー?」
BGMは終わり、バスルームから絢音の声が飛んできた。とんでもない終曲だ。
こうなったら、ネタは吐かせる。
この魔女も、必ず──
大神はバスタオルを握りしめた。




