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指環の執行官──警視庁捜査一課第四特殊犯捜査係  作者: 柊ユキヤ


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第36話 死闘の後

 目が覚めると、まだボンヤリとした視界に真っ白な壁が飛び込んできた。壁──いや、天井か。どうやらベッドの上らしい。左腕には点滴の感触があった。


 身体を起こそうと右腕を動かした──が、その感触がない。まるで右腕がもぎ取られたような感覚だ。

 それに、全身が鉛のように重い。身体を起こそうにも起き上がれなかった。


「オジサン……?」


 枕元から、聞き慣れた鈴のような声がした。

 視線を向けると、そこにはパイプ椅子に座った絢音がいた。腕に痛々しい包帯が巻かれているが、その瞳にははっきりと安堵の色が浮かんでいる。


「……絢音か。……無事だったんだな」


 上手く声が出ない。喉が焼けたように掠れていた。

 絢音はベッドに駆け寄よった。


「バカじゃないの。三日も眠り続けて……西園寺に勝ったからって、自分が死んだら意味ないでしょ」


 彼女らしい憎まれ口だが、彼女のその指先がわずかに震えているのが見えた。


 大神は動かない右腕に視線を落とした。ギブスでガチガチに固定してある。おそらく指環も外されているだろう。セーフティを解除したのだ。過負荷で見るも無残な状態に違いない。


「波木さん呼んでくる!」


 絢音は病室を飛び出した。しばらくすると病室のドアが静かに開いた。入ってきたのは、うっすらと笑みを浮かべた波木一人だった。


「絢音は?」

「ああ、下の売店に行くって言ってましたよ」

「……そうか」

「それにしても主任、あいかわらずしぶといッスね」

「鍛え方が違うからな」


 波木はフフッと口元を緩ませた。


「それで、波木……状況を教えてくれ」


 大神の問いに、波木は一拍置いて口を開いた。


「西園寺は確保しました。……ですが、全身にひどい熱傷を負って意識不明の重体です。医者も……たぶん見込みは薄いって」

「そうか……証拠品は?」

「いえ。カウンセリングルームにも、何もなかったんです。鞄くらいありそうなもんなんですけどね」


 たしかに、スクールカウンセラーが手ぶらで出勤することに少々違和感を覚える。それに、今どきパソコンくらい使うだろう。それも無いのはやはりおかしい。


「まあ、とりあえずゆっくりしといてくださいよ。それに……」

「それに?」

「いえ……また係長と来ます」

「何だ。言え」


 波木は言葉を濁したが、大神の視線からは逃げられないと感じたのか重い口を開いた。


「主任、査問対象になっています。例のセーフティ解除の件です」


 やはりそうか、と思った。しかも、結果的にあのような爆発を誘発させた。ただでは済まないことは分かっていた。だが、もう決めたことだ。


「そうか」


 大神は短く応えた。



   ◇ ◇ ◇



 翌日の午前、魚住と波木がやって来た。


「大神、大事なくて良かったな」

「係長……ご迷惑お掛けしました」

「いや、いいんだ。上が何と言おうが、被害を食い止めたことは事実だ」

「事件はどうなります?」


 西園寺の意識は戻らない、証拠も見つからない──事件の真相は闇のままだ。


 魚住は顔を歪めた。


「それがな……この件は『バザー準備中のプロパンガスの爆発』で処理されることになった」

「えっ!?」

「仕方ない……あんなハイクラスの学校に〈観念動力補助機器〉が入り込み、事件が発生した……こうなると、都合の悪い人間が多々いるってことだ。管理官もそれで呑んだみたいだ。……もっとも、あの人自体どこかと繋がってそうだけどな」


 納得がいかなかった。

 だが、警備員への偽装を画策し、警備の増強を学校へねじ込むことのできる有力なPTAとの繋がり。しかも自分の運用規定違反。それらがマスコミに漏れたら警察も学校も面倒なことになる。

 たしかに、管理官や捜査一課だけの問題に収まらないような気がした。


 イチ公務員が上の決定に異を唱えるわけにはいかない。だが、自分が法を犯したことは事実だ。それだけは落とし前をつけたかった。


「……分かりました」


 真意を胸に秘め、それだけ応えた。


 それと、と魚住が続けた。


「何を聞かれても覚えていない、と言うんだ」

「それは……」

「いいな」


 魚住はまるでこちらの内心を読んだかのような言葉を口にすると、振り返りもせず病室を後にした。



   ◇ ◇ ◇



 午後になると、監察官が病室を訪れた。

 彼は柔らかな笑みを浮かべながらも鋭い視線を隠すことなく、大神へ通り一遍の体調の気遣いを見せた後、本題へと入った。


「大神警部補。公式には今回の件は不幸な事故として処理されました。……しかし、あなたのリングデバイスに残されたログは、事故では説明がつかない。八文字の解除パスコード。あなたはそれを、明確な意思を持って入力した。そうですね?」


 魚住の言葉が脳裏をよぎる。

 おそらく、もはや自分だけの問題ではないのだろう。自分の意思だけでどうこうできることではないのかと、わずかな苛立ちを覚えた。


「……爆発の衝撃で、よく覚えていません」


 監察官の目が一段と鋭く光った。


「……そうですか。では、質問を変えましょう。──制御不能な執行官は、市民にとってプロパンガスよりも危険な存在になり得る。そう思いませんか?」


 何が言いたいのか──そんなことは自分でもよく分かっている。危険に決まっている。だからこその運用規定だ。

 たとえ目の前の命を守るためとはいえ、それを破ったことは事実だ。


 だが、それをそのまま言うわけにはいかなかった。


「……はい、そうですね。デバイスは法の下で使用されるべきです」


 大神の絞り出すような模範解答を聞いた監察官は、フッと口元を緩めた。


「よく分かりました。……大神警部補、海外での報告によると、極まれではありますが、デバイスは強い衝撃を受けると解除コードが発動することがあるそうです」

「──?」


 そんな話は聞いたことがない。

 だが、一瞬怪訝な表情を浮かべた大神に、監察官は特段の反応を見せることなく立ち上がり、スーツの襟を正した。


「あなたが装着していたボディカメラの映像も、ノイズまみれでもはや何の証拠にもなりまん。あなたが覚えていないとなると、調べようがありませんね」


 では、と監察官は病室を去った。




 一人になると、病室の白壁がイヤに寒々しさを感じさせる。


「クソッ」


 思わず口にし、右手を振り上げようとした──が、やはり右手は動かなかった。


 組織は自分を助けようとしてくれている。だが、それは善意ではない。この件は終わりだ──そんな声すら聞こえる。


 それでも、自分がこのまま赦されてしまうのは刑事として我慢できなかった。

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