第32話 礼拝堂の惨劇
礼拝堂の入口はすでに開け放たれており、中から生徒たちが言葉にならない唸り声を上げながら出てきた。
目は血走り、もはやこちらの言葉も届きそうにない。
「波木! 最弱出力で足止めするぞ!」
「了解!」
右手を構え、極細の蒼白い閃光を生徒の足へ放った。
足に閃光を受けた生徒たちは痛みや痺れも感じていない様子だったが、それでも閃光は彼女たちの足の神経を一時的に麻痺させることができたのか、その場に崩れ落ちる。
だがその後ろから、さらに別の生徒たちが倒れた生徒を乗り越えようとしていた。彼女たちもやはり我を忘れたように唸り声を上げながら隣の生徒に掴みかかり、入口付近は狂乱の渦と化していた。
「クソッ、キリがない!」
大神が吐き捨てると、校舎を警戒していた三班の四人が駆けつけてきた。
「大神主任!」
「木藤主任! ヤバいです、キリがない」
「大神主任、中に入るぞ!」
これ以上、被害を拡大させてはいけない──
大神、波木、三班の刑事たちは少女たちを押し込むようにして礼拝堂へ飛び込んだ。
中へ入ると、大神たちの耳にキィィィンという高周波が襲いかかり、思わず目を閉じた。
それは音の形を借りた何かのようで、頭の奥へ侵入してくる。鼓膜の痛みだけでなく、針で脳を直接引っ掻かれるような感覚だ。脳の痛みに呼応するように、視界に虫が飛ぶようなノイズがチラつく。
「耳を塞げ!」
だが塞いでも、それは意思を持っているかのようにわずかな隙間から入り込んできた。
(なんだこれは……音じゃない……!?)
「波木、障壁だ!」
「はい!!」
波木は顔を歪めながら、六人を包むようにドーム形の障壁を展開した。針のような高周波がわずかに曇ると大神たちはようやく目を開け、障壁越しに礼拝堂の中を見渡した。
そこは──地獄のようだった。
制服をボロボロにしながら掴み合いをする生徒。耳から血を流しながら雄叫びを上げる生徒。まだ精神干渉されてないのか、恐怖に怯え逃げ惑う生徒。
その奥では、合唱部が虚ろな目で聖歌を歌い続けていた。胸のロザリオはどす黒い血のような鈍い光を放ち、その光は怪しく揺らめいている。
数十人の合唱部の生徒で歌っている者は半分ほどで、残りはその場にへたりこみ放心状態になっていた。見るとロザリオが彼女たちの足元に転がっていた。おそらくロザリオを外され精神干渉が解けたようだ。
「長浜主任たちはどこだ……!?」
木藤主任が周囲を見渡す。
「……あっちです!」
大神は、合唱部のそばに倒れ込んでいる長浜たち二班の四名を見つけた。おそらくロザリオを奪うために突っ込み、半数ほど外したところで力尽きたようだ。
彼らはわずかに動いていた。命までは取られていない。彼らの指先の指環が歌に呼応するようにわずかに脈動していた。
指環が緩衝になり、そのおかげで重度の精神汚染にまでは及ばなかったのかもしれない。
「大神主任。波木の障壁もいつまで持つか分からん……音である以上、逆位相をぶつけたら弱まるかもしれん。これで援護する」
木藤は金色に光る指環を大神へ向けた。それは物質操作系の指環だった。
木藤が指環を突き出した。柔らかな金色の光が広がり、微かな空気の振動が大神の頬に伝わる。
やがて、不快な高周波音がだんだんと弱まってきた。
荒れ狂っていた生徒たちも少しずつその凶暴さを潜め出した。一人、また一人と気を失うようにその場へ倒れ込んでゆく。
「今だ!!」
木藤の合図で、大神は弾かれたように障壁を飛び出し、生徒たちを掻き分けながら奥まで一直線に走った。途中、まだ襲いかかってくる生徒を最弱の閃光で足止めしていく。
木藤の逆位相波で音は聞こえない。だが合唱部の周囲には、ロザリオから漏れ出た血のような光がまるで瘴気のように漂っていた。瘴気は金色の光とぶつかると少しずつ霧散しはじめている。
大神は、虚ろな目でただ口をパクパクさせている合唱部員へ近づいた。
足元には長浜が倒れていたが、長浜は大神の姿に気づくと、必死の形相で立ち上がった。
「大神主任……大丈夫だ、ロザリオは俺が外す……」
「長浜主任……」
長浜が生徒からロザリオを外すと、生徒は電池が切れたように倒れ込んだ。
「これは……ただの触媒だ。大元は別みたいだ」
長浜が呟いたその時、出入口の方から三班の刑事が吠えた。
「向こうの方がまだ混乱してます!」
「──っ!」
長浜が大神の肩をポンと叩いた。
「中は二班で何とかする。一班と三班は手分けして外を……」
「……分かりました。頼みます!」
逆位相波の効果は高く、障壁も必要ないレベルまで落ち着いた。大神は長浜に頷くと、波木を促して出口へと走り出した。
木藤の逆位相波が届かない屋外廊下へ出ると、再び脳を直接削り取るような高周波の残響が襲う。だが、その威力は先ほどよりも失われていた。発動しているロザリオの数が減ったためだろう。
暴れていた生徒も、だんだんと狂気の毒が抜けていくのが見て取れた。
逆位相波で抑えている木藤とそのバディはまだ礼拝堂だ。外に出た残りの二人と、大神そして波木の四人は周囲を見渡した。
礼拝堂で見た惨状ほどにはなっていないが、向こうの中庭に見える模擬店は滅茶苦茶に壊されていた。長机は倒され、食材が入ったパックは散らばっており、被害はけっして少なくない。
あとは、体育館と校舎だ。
大神は鋭い口調で指示した。
「俺たちは体育館へ向かう。そっちは校舎と中庭へ。今のレベルだったら抑え込めるだろう」
「了解!」
大神と波木は体育館へ飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
体育館は礼拝堂とは対照的に静かで──すでに狂乱の嵐が吹き荒れた後だった。倒れ込んでいる生徒、呆然とへたり込んでいる生徒、泣きながら片付けをしている生徒。
大神は思わず唇を噛み締めた。
一人の生徒が大神の元へ駆け寄ってきた。
「……警備員さん! 助けて、あの子が……!」
(警備員さん……?)
自分が警備会社の服装をしていることを思い出した。だが、ここで自分が刑事であることを明かしても、この少女を混乱させるだけだ。大神はそのまま少女の方を向いた。
「大丈夫ですか、どうされました?」
「一人で出ていった子がいるんです! 止めたのに、あっちの方へ……見てませんか!?」
「その子の名前は?」
「絢音……佐伯絢音って子です!」
「──!」
大神は息を呑んだ。
(あいつ……もしかして西園寺の所へ──!)
──あいつには、自分の身を守るために指環を持たせたつもりだった。それがこんなことになるとは。
だが、あいつは今まで自分のために指環を使わなかった。数々の指環事案の被疑者を制圧し、繁華街の路地裏ではミサンガの暴走を止めた。
たしかに犯罪かもしれない。だが、そこにはあいつなりの正義があったはずだ。
きっと、西園寺が元凶であると考え、一人で向かったに違いない。
だが、西園寺はこれまでのサイコジャンキーとはわけが違う。これほどの惨劇を生み出した張本人。まだ何か手の内を隠しているかもしれない。
「分かりました。必ず……探します」
「ありがとうございます!」
「ええと──」
少女を呼ぼうとして言葉に詰まった大神に、少女は「坂下──坂下麻衣です」と答えた。
「ありがとう、坂下さん」
そう言うと、大神は床を蹴るように駆け出した。
「主任!?」
波木の声は大神の耳には入らなかった。




