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指環の執行官──警視庁捜査一課第四特殊犯捜査係  作者: 柊ユキヤ


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第31話 魔女の覚醒

 登校してくる生徒の波は正門から引いていた。

 大神は魚住への報告を終えると、後の警備を警備会社の男たちに引き継いだ。インカムのスイッチを入れ、無線で波木を呼ぶ。


「波木、配置を離れる。裏口へ回るぞ」

『了解。俺も行きます』


 裏口はさらに静かだった。校舎からほんの微かにざわめきが聞こえる。おそらくバザーの準備をしている生徒たちのものだろう。


「主任!」


 向こうから波木が駆け寄ってきた。


「こっちも静かなもんですね」

「ああ、だが気は抜けんぞ」

「了解。今からッスもんね」


 時刻は九時を回ったところだった。たしかにそろそろミサが始まる時間だ。もし中で何かが起きたら今の自分では対応が遅れる。外周の静かさとは裏腹に、胸の内がざわついていた。


「主任、何か……あっちの方の様子、おかしくないッスか?」


 波木が困惑した表情で校内を指差す。それは礼拝堂の方向だった。耳を澄ますと微かに悲鳴らしき声が聞こえてくる。

 同時に、頭上から振動を感じた。見上げると、校舎の白磁の壁から大きなうねりが伝わってくる。対して、窓ガラスは細かく振動していた。


 ──おかしい、不自然だ。地震とは違う。何かに共振しているかのような現象だ。


(これはまさか……合唱の共鳴!?)


 その時、無線機から耳を裂くようなハウリングと、猫田の悲鳴が響いた。


『──あ、あああああああっ!?』

「猫田!? ……何があった!?」


 呼びかけに応じる声はない。代わりに聞こえてきたのは、ドロドロとしたノイズの奥で鳴り響く、誰のものともつかない獣のような咆哮。そして、二班主任、長浜の怒声だった。


 ノイズの中に、一瞬だけ七瀬の声が聞こえた。


『──ロザリオを奪いなさい!』


(ロザリオ……それが起点か!)


『不測の事態が発生した場合は突入する』──今がその時だ。もはや一刻の猶予もない。


 大神は走り出した。波木が目を見開く。


「主任、管理官の指示は!?」

「待てない。向かうぞ!」


 裏口から礼拝堂へ、最短距離を突っ切る。波木が必死にその後を追った。


 走りながら、大神は右手人差し指をチラリと見た。指環が薄い蒼白に光っている。

 ──起動させていないのに光っている? これも〈共鳴〉のせいなのか。


 指環を持っているはずの絢音の顔が脳裏に浮かんだ。あいつは大丈夫なのか? もし礼拝堂にいたなら──


(無事でいてくれ!)


 やがて礼拝堂の入口が見えてきた。



   ◇ ◇ ◇



 体育館では各クラス模擬店の最終準備に追われていたが、九時になり半数の生徒が礼拝堂へ向かっていた。

 二年三組も、絢音たち模擬店リーダーを中心に残った生徒たちでテキパキと仕込みを進めていた。


 シロップを準備していた麻衣が、遥に笑顔を向けた。


「ちょっとあったかくなりそうで良かったよね」

「そうよね。昨日まですっごく寒かったもんね。ホットしか売れなかったらフルーツが無駄になっちゃうし」

「ホントそう。せっかく用意したんだもん、完売させなきゃね」


 麻衣と遥は互いに目を合わせ微笑んだ。


「あ、絢音! オレンジ、そっちのクーラーボックスに移しちゃっていい?」


 遥の明るい声に、絢音は「了解!」と短く応じて手を動かす。


 体育館に満ちているのはワックスの匂いと甘いシロップの香り、そして少しの緊張が混じったバザー特有の喧騒だった。数分後にミサが始まるというアナウンスが遠くで聞こえ、半数の生徒が礼拝堂へ去った後のどこか浮足立った空気が体育館に漂っている。


 絢音はふと、遥の部活──バスケ部の焼きそば屋のことを思い出した。


「遥はバスケの方に行かなくていいの?」

「ああ、大丈夫。あっちは他の子が準備してるし、リーダーやってるクラスの方が優先よ。……それに、外は寒い」


 ブルブルと震えるフリをする遥。その表情に絢音は思わず吹き出した。


 火を使う模擬店は中庭で出店することになっていた。

 たしかに、体育館でもまあまあ冷えてるくらいだもんね──と、絢音は自分の指先を見た。

 ──微かに震えている。だが、この震えは本当に寒さのせいだけだろうか。何か違和感を覚える。

 それに、胸に忍ばせていた、ネックレスにつけた指環が不気味なほど熱を帯びはじめていた。


(……何、これ)


 なぜはめてもいない指環が反応するのだろう。今までこんなことはただの一度もなかった。胸元の指環から、あきらかに脈動のような熱の波が伝わってくる。


(これ……絶対おかしいよ)


 パリン、と小さな音が響いた。


「あれ、ごめん! 瓶、滑らせちゃったかも」


 麻衣が足元を見て困惑した声を出す。シロップの瓶が、何にぶつかったわけでもないのに床の上で粉々に砕けていた。


 それを合図にしたかのように、異変は加速した。

 ズズッ、と体育館の床が底から震えだす。


(大型トラック? 地震?)


 絢音は最初そう思った。

 だが、その振動は止まるどころかキーンという耳鳴りのような高周波を伴って、体育館の鉄骨を、そして窓ガラスを鳴らし始めた。


「……ねえ、何の音? これ」

「地震……じゃないよね?」


 準備の手を止め、生徒たちが顔を見合わせる。


 その時──


 礼拝堂の方角から、およそこの世のものとは思えない絶叫が、緩んだ空気を突き破って体育館へと雪崩れ込んできた。


「──嫌あああああああああっ!!」


 体育館の入口の扉が乱暴に開けられた。


 飛び込んできたのは数名の生徒たちだった。一人は制服が引き裂かれ、もう一人は自分の耳を両手で塞ぎ、指の間から真っ赤な血を流している。彼女たちの瞳にはもはや知性の光はなく、極限の恐怖と得体の知れない狂気が混濁していた。


「逃げて……! みんな、逃げてええっ!!」


 叫んだ生徒がそのまま前のめりに床へ崩れ落ちた。


 一瞬の静寂。そして、体育館中に悲鳴と叫び声が上がった。


「絢音……っ、何、どうなってるの!?」


 麻衣が震える手で絢音の腕にすがりついた。だが絢音の耳には、友人の声すらもはや届いていなかった。


 悲鳴や怒号の隙間を縫って歌が聞こえた──聖歌だ。こんなパニックなのに歌が続いている? おかしい。そして、倒れた生徒たちの耳から流れる血。もしかして、この歌が関係しているのか。


(……オジサン。これが「何か臭う」って言ってたこと?)


 友人に隠している場合ではない──絢音は胸元からネックレスを取り出した。指環を外し、右の人差し指にはめる。

 不気味な脈動とともに蒼白く光っていた指環に、やがていつもの紅い光が浮かんできた。


(良かった……大丈夫)


 指環を左手で包む。惨劇を目の前にしても、不思議と冷静になれた。


「……私、行かなきゃ」

「絢音ッ!?」


 絢音は麻衣の手を優しく、けれど拒絶するように解いた。

 その瞳に宿る輝きは、普段学校でそれなりに〈ちゃんとしている子〉のものではない。

 謎の指環を操り、警察から参考人としてマークされている〈魔女〉の妖艶な光だった。

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