第23話 狂気の臨界
数日後、四ツ葉女学院。大神と波木はいつものように応接室で黒木を待っていた。
先日、黒木の方から所持品検査を行う旨の申し出があった。結果を聞くだけなら電話でもよかったのだが、別に確認しておきたい件もあり、こうして三度訪れていた。
「お待たせしました」
黒木が入室し、ソファにどっかりと腰掛けた。当初見られた警戒心の混ざったよそよそしさも最近は影を潜め、すっかり協力的だ。もっとも、それだけ保護者からの突き上げで危機感を覚えているのだろう。
「いかがでした?」
大神の問いに、黒木は浮かない表情を浮かべた。
「はい。それが……例のミサンガをつけている生徒は一人もおりませんでした」
「一人もですか?」
「そうなんです。まさかミサンガを持っているか? なんて聞けませんからね。生徒にあらぬ憶測を抱かれる……どうにも困りましたな」
黒木は腕を組んだ。不祥事の直接の原因とされるミサンガを確認したいが、生徒を端から疑う態度を見せると背後にいる保護者が面倒だ──そういった本音が透けて見えた。
以前、美優たちがミサンガに関して見せた〈記憶の欠落〉。それがミサンガ──デバイスの機能によるものだとすれば、無意識下で生徒たちに破棄させることすら可能かもしれない。
だが、それはただの想像に過ぎない。証拠もなく、はっきり言って今回の所持品検査は失敗と言わざるを得ない。とはいえ学校自治の問題を考えると、警察が必要以上に介入することもできない。
大神は舌打ちしそうになるのを噛み殺し、頷いた。
「そうですね。我々も引き続き調べます。教頭先生も何か気になることがありましたら、またご連絡ください」
「分かりました」
ところで、と大神は続けた。
「西園寺先生に少し確認したいことかあるのですが」
「西園寺先生、ですか?」
思わぬ人物の名が出たためか、黒木は眉を寄せた。これまでの黒木の口ぶりから、彼が西園寺を評価し、信頼していることは分かる。なぜ彼女に、といった表情だ。
「いえ、たいしたことではありません。生徒さんたちに慕われているようですから、何かご存知かと思いまして」
「そうですか。では、カウンセリングルームへご案内します」
たいしたことではないとは言ったが、西園寺のことがどうにも気になっていた。たしかに確証はない。刑事としての勘に過ぎないが、これまでの状況から何かが見え隠れしているように思えたのだ。
それは、烏丸から上がってきた報告だった。
『高峰は誰かにカマをかけ、釣れたと思ったヤツに消された』
高峰は死の数日前、四ツ葉で誰かと会った。カメラには映っていなかったが、外に呼び出したらそれも可能だ。そして「金と女が手に入る」──相手は女性かもしれない。
どれも確証には至らない。想像の域を出ない。だが、女に見境がなく手が早いあの男が、弱みを握った女を放っておくか? 下衆な考えだが、パズルのピースがピタリとはまる気がするのだ。
「西園寺先生、少しよろしいですか?」
黒木がカウンセリングルームのドアをノックすると、中から控えめな声で返事があった。黒木は、「では後はよろしくお願いします」と戻っていった。
「西園寺先生、突然すみません」
「あの時の刑事さん。どうされました?」
頭を下げると、西園寺は柔らかな笑みを浮かべ、二人に椅子を勧めた。初めて会った時の一瞬の刺すような視線は微塵も感じられない。だが、その余裕すら感じられる表情が、逆に何かの意図があるのかと勘繰ってしまう。
「今、お茶を淹れますね」
「いえ、お構いなく」
まずは、手短にミサンガのことを尋ねた。
「ミサンガ、ですか? ええ、少し前に生徒たちの間で流行っていたようですが……最近はすっかり見かけませんね。それが何か?」
西園寺はまったく表情を変えることなく、こちらを見据えた。本当に何も関わりがないのか、固く蓋をしているのか──表情からは読み取れない。
揺さぶってみるか──大神は内ポケットから一枚の写真を取り出してテーブルに滑らせた。
「この方は高峰祐一という方です。先日ある事件で亡くなられた、半グレグループのメンバーです。ご存知ですか?」
西園寺は写真を手に取り、わずかに眉をひそめた。それは西園寺が初めて見せた、ほんの一瞬の表情の変化だった。
だが西園寺の口元には、すぐに先ほどの柔らかな笑みが戻った。
「……いいえ。存じ上げませんわ。当校の生徒とは関わりのない方でしょう?」
「ええ。ただ、この方は死の直前、ミサンガについて妙に詳しく調べていましてね」
「それは奇妙なお話ですね。ですが、私には心当たりがありません。お役に立てず申し訳ありません」
決定的な物証がない以上、任意の事情聴取はここまでだ。大神は写真を引き取り、静かにカウンセリングルームを後にした。
だが高峰の写真を見たときの、彼女が一瞬見せた表情の変化──あれは何かを知っている。
半グレとスクールカウンセラーという、一見何の関わりも見えない両者。もしそれが〈ミサンガ〉で繋がっているとしたら。
「波木、西園寺の行動を洗うぞ」
「え? 西園寺先生ですか?」
「ああ。何か臭う。もう一度イチから調べる」
校舎を出て、正門へ向かった。
その時、向こうの渡り廊下に、絢音が一人歩いているのを見かけた。
(あいつ……学校へは来てたのか)
あれ以来、連絡もとれず所在が分からなかった。ひとまず無事を確認できたことに胸をなで下ろす。
だが、あのまま終わりということには到底納得がいかなかった。絢音が謎の指輪を持つ理由、現場に顔を出していた理由──知りたいことは山ほどある。
「波木、ちょっと待ってろ」
思わず駆け出していた。
「絢音!」
声をかけると、絢音は目を見開き固まった。まさか声をかけられるとは思っていなかったのか。ざまあみろ──今まで振り回されてきた仕返しが少しだけできた気がした。大人げないとは思うが。
「オジサン……なによ、こんな所でJKに声をかけていいの? それとも……私を逮捕しに来たの?」
いつもの生意気な口調だ。数日のことなのに、少し懐かしい。
「違う!」
「……じゃあ何よ」
何が「違う」だ? ──自分でも何を言っているのか分からなかった。というか、そもそもなぜ声をかけたのだろう。
「……それは……ま、まだ飯に行く約束を果たしてない!」
自分でも訳の分からない答えだ。
絢音が眉を寄せると、やがて吹き出した。
「オジサン、何言ってんの〜。まさか学校の中でナンパ?」
「う、うるさい!」
絢音はひとしきり笑うと、満面の笑みで見つめてきた。
「オジサン、次の公休は?」
「?」
「後で連絡ちょうだい。何にするか考えとく」
絢音はそう言うと手を振り、校舎へ向かった。
「……主任、沼ってますねぇ」
背後から波木の声がした。
「波木、うるさいぞ」
「いやいや。でも絢音ちゃん、無事で良かったッス」
「ああ……」
おさげの後ろ姿に目をやった。
◇ ◇ ◇
一人残された西園寺は、ドアが完全に閉まったのを確認すると完璧な笑顔を剥がし落とした。
「犬が……」
高峰の写真を見せられた瞬間の、胃の底から這い上がってきた不快感を思い出し、彼女は忌々しそうに吐き捨てた。
高峰祐一──どこで掴んだか知らないが、ミサンガの情報を手に入れ、あろうことか自分を強請ろうとした下劣な男。
生徒のミサンガ入手の記憶はぼかしておいたはずだ。だが、その記憶操作の効果は徐々に表れるため、個人差もあり、はめた数日は覚えている者もいる。ちょうどそのタイミングで掴んだのかもしれない。
ミサンガの唯一の懸念事項をピンポイントで突かれたようで、西園寺はそのことも屈辱だった。
『あんた、面白えことやってんな。俺も一枚噛ませてくれよ。そうだな、コンサルって形でいいぜ。それが嫌ならウチのグループが乗り込んでくるだけだ』
何のことかしら、ととぼける自分にスマホで動画を見せてきた。
それは、蒼白く光るミサンガと、その手から放たれる閃光だった。光は空き缶を弾き飛ばしていた。
『これ、違法デバイスだろ?』
口元を歪める高峰。
西園寺が一瞬目を逸らすと、高峰はおもむろに彼女の顎に手をかけ、眼鏡を奪い取った。
『やっぱりな。あんた……上玉だ。黙っててほしけりゃ……なあ、分かるだろ?』
あの時の、劣情を隠さない舐めるような視線を思い出すと、今でも背中がぞわりと粟立つ。
別部署が動いている闇バイトに偽装した実験で使われる指輪が、ミサンガと同様の遠隔操作対応次世代デバイスだったことは都合が良かった。
自身の分を弁えない者には当然の報いを──高峰の要求を呑むふりをして雑居ビルで落ち合う約束をした。「地味そうに見えて、なかなかの趣味だな」と下卑た笑みを浮かべた男がいったい何を想像したのか、今でも吐き気がする。
高峰が待つ雑居ビルへ例の指輪をはめた被験体を差し向けた。被験体を操り、高峰を始末したあと飛び降り自殺に見せかけ、自分がビルの下で指輪を回収する──完璧な計画だった。
だが計算外だったのは、現場にあの忌々しい警察が居合わせ、被験体を確保してしまったことだ。次世代デバイスの力であれば警察のデバイスなど圧倒できたはずなのに。
警察のデバイスがそのような力を持つとはとても考えられない。まるで、未知の存在が関与したかのようだった。
結果として指輪は回収できず、警察に〈技術的物証〉を渡すことになってしまった。
(あの時のミスが、ここまで尾を引くとはね。……それだけじゃないわ……)
西園寺は苛立たしげに自身の爪を噛んだ。
繁華街での事件は決定的だった。ミサンガが警察の手に渡ってしまったのだ。あれも警察のデバイスを凌駕する性能だったはずだ。なぜ制圧されてしまったのか──西園寺はその点にも疑問を抱いていた。
とにかく、所持品検査を切り抜けたとはいえ、警察の包囲網は確実に狭まっているのは確かだ。優秀な科捜研のことだ。いずれ指輪とミサンガの共通点も見つけ出すかもしれない。
リスクを考えると、即刻中止し撤収するという本社の指示はもっともだ。それに本社のことだ。表沙汰になると、開発責任者の暴走として自分を切るに違いない。
だが撤収したところで、実験を完遂できなかった無能な責任者というレッテルを貼られることは目に見えている。
日本の方が高品質のデータを採取できる──そう大見得を切った以上、本国へ逃げ帰るような真似はできない。
「……今年いっぱいね」
あと半月ちょっと。これが本社から即時撤退と見なされ、自身にも捜査の手が及ばないギリギリのラインだろう。ほとぼりが冷めるまで実験をしばらく休むつもりだったが、そんな場合ではない。
西園寺はカレンダーに書かれた行事予定に目をやった。
12月24日、二学期の終業式前日に学内で行われるクリスマスバザー。当初はそこで実験を実行する予定だったが、先日の美優の件もあり様子見するつもりだった。
やはりこれを最終実験とする。
西園寺はスマホを手に取った。
「──三十個ほど手配して。ええ、予定通りよ。……え、品名? そうね……」
西園寺は少し考える素振りを見せた。
「……バザー用アクセサリーとでも書いておいて」
西園寺の瞳に、狂気と焦燥が入り混じった冷たい炎が宿った。




