第22話 聖母の狂気
本庁の地下二階。窓もない四特のフロアに、プロジェクターの冷却音が小さく響いていた。
ホワイトボードの前に立つ猫田が手元のパソコンを操作する。スクリーンに映し出されたのは、二つの異なるデバイスの拡大写真だった。
「科捜研から、デバイスの解析結果が上がってきました」
猫田の抑揚のない声に、自席でコーヒーを啜っていた大神は視線を上げた。
左側の写真は、雑居ビルの事件で田中が暴走させた〈指輪〉。右側は、四ツ葉の生徒が引き起こした事件で回収された〈ミサンガ〉の残骸だ。
「結論から言います。基板そのものは多少異なりますが、内部に組み込まれた通信モジュールやその周辺チップが一致しました。PD社のものではありません。製造元の刻印はありませんが、少なくとも通信周りは同一の規格で作られたものと見て間違いありません」
フロアの空気がわずかに張り詰める。
魚住が写真へ鋭い視線を送った。
「通常組み込まれている通信周りとは別物ということか?」
「はい。そうです」
猫田の冷静な返事とは対照的に、魚住は目を丸くし感嘆の声を上げた。
「そりゃ凄いな。これまでの模造品で、通信周りを改造したやつってあったか?」
猫田が首を振る。
「たしかにありませんね。リファレンスでは、通信モジュールを起動モジュール代わりにしてますから。あれが入ってないと、そもそもデバイス自体が起動しません。なぜそうしているのかは不明ですが」
「そうだな。模造品でもあそこだけは手を出せない。正規品の流用っていうからな」
魚住は腕を組み、うーむ、と唸った。
だが、これまで点と点であった〈半グレの闇バイト〉と〈お嬢様学校の集団ヒステリー〉が、明確な技術的物証によって、細くはあるが一本の線で結ばれたのは確かだった。
「つまり、出処が同じかもってことか」
魚住が忌々しそうに鼻を鳴らす。
「高校生の危険なお遊びアイテムと、人殺しを生み出す違法デバイスの根っこが同じ……どういうことだ、こりゃあ」
「それもそうなんですが──」
猫田が眼鏡のブリッジを押し上げた。
「起動モジュールである通信周りが別物なのに起動できる。つまり、この二つはリファレンスとは全く異なるアーキテクチャで製造されているってことです。……これってPD社以外で作れる所ありますかね?」
「……考えにくいな」
「これは私見ですが──」
猫田は身を乗り出した。
「もし、これを作った者が実際に通信モジュールを利用するために改造したとすると……ミサンガはデータを収集するための〈端末〉。そして指輪は、そのデータを利用して実戦に投入された〈プロトタイプ〉。あるいはその逆か。どちらにせよ、これほどの高度な技術を個人や半グレの組織が開発できるとは到底考えられません」
波木が茶化すように声を上げた。
「おお、そりゃすげーや。通信機能付きリングデバイスってことか」
「はい。可能性はゼロでないと思います」
波木の冗談めいた口調に猫田が表情を変えることなく応えると、波木は「本気か?」とでも言いたげな顔をした。
大神は手元の資料に目を落とした。
模造品はあくまでもPD社のリファレンスの劣化版に過ぎない。せいぜいリミッターを外し、粗悪で安価な部品に差し替えているだけだ。つまり、リファレンスを大筋で踏襲している。
既存にないアーキテクチャの、しかも強力なデバイス。それを開発するには少なくともPD社規模の開発基盤が必要だ。いや、もしかするとPD社そのものかもしれない。
「……PD社、か」
大神の低い呟きに、それまでソファで足を組んでいた七瀬が立ち上がった。彼女は手にしていた資料をテーブルに置き、皆を見渡した。
「すでに手を打っているわ。さっき、PD日本支社に正式な捜査協力を要請したの。押収した違法デバイスの解析依頼という名目だけど、実質的な牽制よ」
「向こうは乗ってきますかね?」
波木が尋ねると、七瀬は微かに口角を上げた。
「デバイス市場を独占する彼らにとって、たとえ自分たちが作ったものではないかもしれなくても、デバイス技術が犯罪に利用されている可能性があるという事実は株価に直結するスキャンダルよ。無碍には扱えないでしょう。……係長、皆で日本支社へ向かって」
「了解」
魚住は短く応じ、併せて大神たちも椅子から立ち上がった。
◇ ◇ ◇
港区の高層ビル。その高層階に位置するPD日本支社のエントランスは、四特の埃っぽい空気とは無縁の、清潔で洗練された空間だった。
「へえ〜、神経系に作用するデバイスか。すごいッスね」
応接室へと続く通路の壁に掛けられたパネルを見て、波木が感嘆の声を上げた。それは、PD社の今後の技術展望が記されたものだった。
「なになに、『デバイスから一定範囲に存在する生体の神経系への干渉波』? 凄いな、意味が分からん」
魚住が首をかしげた。
たしかに、使用者の神経系への影響はよくある話だが、それが相手に作用する、というのは想像がつかない。だが、ミサンガが見せたあの不気味な共鳴。無関係ではない気もする。
「本社からは、まだ基礎研究段階と聞いています。あくまでも将来の話ですね」
応接室を案内してくれている若い社員がパネルを見て微笑んだ。
「では、プロトタイプもまだ、ということですか?」
「ええ。我々ですら、まだ誰も見てませんよ」
大神の質問に、社員は苦笑いした。
通された応接室で、大神たちはPD社の技術部門のマネージャーを名乗る男と対峙していた。仕立ての良いスーツを着こなす男は、テーブルに置かれた指輪とミサンガの写真を見ると困惑の表情を見せた。
「我が社も模造品の対応には苦慮しております。信用問題に関わりますので、もちろん協力させていただきます。しかしながら……」
そこまで言うと、マネージャーは視線を落とした。
「我々日本支社は、あくまで販売とカスタマーサポートを統括する部署に過ぎません。私が管理している技術部門も技術的な運用支援が主でして。このような……出処の不明な非正規デバイスの解析については専門外となります」
「そうなんですね……」
魚住は肩を落とした。
「はい。お力になりたいのは山々ですが、デバイスのコア技術はすべて本社の管轄です。本件については、本社へ報告を上げる以上のことはいたしかねます。もちろん、協力要請があった旨はお伝えいたします」
魚住は落胆を隠すように、短く息を吐き出す。
「……そうですか。では本社からのご回答、お待ちしております」
「承知しました。ではこちらの資料、お預かりいたします」
見送るマネージャーを尻目に、三人は応接室を後にした。
エントランスを抜け、冷たい風が吹くビル群の谷間に出た途端、魚住が乱暴にネクタイを緩めた。
「クソッ、支社はただの窓口か。何も引き出せなかったな」
「まあ、本社の反応待ちですね」
「そうだな、大神」
PD社は各国の政府と取引がある巨大な多国籍企業だ。たしかにイチ支社では本社のことは分からないのだろう。
だが、もしあの指輪やミサンガがPD社と関係するものだとしたら、それが正式配備されず市井に出回っていることは不可解だ。
しかも、魚住から資料を受け取ったときのマネージャーの反応──技術部門の人間だというのに、技術的に謎の多いあの資料に対して特段の反応も見せなかった。
いや、違う。刻印のないチップの拡大写真に、ほんの一瞬だけ視線が止まった。指先が紙の端をわずかに強く押さえたように見えた。だが次の瞬間、マネージャーは何事もなかったかのように資料を閉じ、淡々と「本社へ報告いたします」と告げた。
──あれは、知らない顔ではない。
(PD社も探る必要がありそうだな)
大神の親指が、自然と人差し指を擦った。
◇ ◇ ◇
その夜。都内の高級マンションの一室。西園寺はワイングラスを片手に、薄暗いリビングのソファに深く腰掛けていた。醸し出すその雰囲気は、四ツ葉で見せる柔和なものとはまるで別物で、洗練さと冷たさが同居していた。
ガラステーブルに置かれたスマホが無機質な振動音を立てた。それは暗号化された通信アプリの呼び出しだった。
「……はい」
『日本の警察──警視庁が動いた。支社に接触があったようだ』
電話越しの音声は機械的に加工されていた。
『本社は実験の継続によるリスク増加を懸念している。即刻中止するようにとのことだ。デバイスを破棄し、帰国の準備をするように』
「中止?」
西園寺は鼻で笑い、グラスの赤ワインを呷った。
「冗談でしょう? 共鳴による広域精神干渉のデータ収集まで、あと一歩なのよ。警察が嗅ぎ回っている程度の理由で、ここまで育てた被検体を手放すわけにはいかないわ」
『これ以上の目立つ動きは開発への悪影響が予想される』
「あら? そちらは銃乱射まで起こしたのに実験継続で、こちらは中止?」
『……本社の決定だ』
西園寺は皮肉めいた口調で電話口へ噛みついた。だが、電話の向こうから告げられる答えは変わらなかった。
「……ええ、承知いたしました」
西園寺は冷たく言い放ち、一方的に通信を切断した。
「保身しか頭にない老いぼれ共が」
暗い声で毒づきながら、西園寺は傍らのノートパソコンを開いた。
警察が支社に探りを入れたということは、いよいよ本格的に自分の足元──四ツ葉女学院に踏み込んでくる。プライドの高い黒木教頭のことだ。警察の介入を嫌い、体裁を保つために自ら〈所持品検査〉の実施を申し出るかもしれない。
(なら、その前に尻尾を切るまでよ)
西園寺は眼鏡をかけると、ノートパソコンを引き寄せた。流れるような指使いでキーボードを叩き、開発システムへアクセスする。
そして、被検体となっている生徒たちの〈ミサンガ〉へ向け、一斉にコマンドを送信した。
『──ミサンガを外し、破棄せよ』
まだ怒りが収まらないのか、西園寺はエンターキーを少し乱暴に叩いた。
画面上に『送信完了』の文字が緑色に点灯した。それは、ミサンガが持つ微弱な精神干渉を利用した、無意識下への行動命令だった。
これで生徒たちは全員、明日にはミサンガを外した状態で登校してくる。たとえ明日、所持品検査が行われてもデバイスは一つも発見されない。警察は完全に空を切ることになる。
西園寺の歪んだ口元がモニターの光に照らされた。
(まったく……何のために日本を選んだと思っているのよ)
同僚からは、日本人だから実験地に日本を推すのかと笑われた。だが、銃がある国では効果の測定精度が今ひとつなのだ。銃の存在が身近だと、デバイスによる欲望の発露が銃の行使を伴ってしまう。本社の人間はそのあたりが分かっていない。
「このまま、大人しく引き下がるわけにはいかない……最後までさせてもらうわ……」
西園寺はワイングラスを持つ手に力を込めた。




