第21話 断ち切られた糸
大神たちは、学校からそのまま豊嶋邸へと向かった。
大神たちがインターホンを押すと、「はい……」と美優の母親らしき女性の声が聞こえた。
「先ほどお電話いたしました、警視庁の大神と申します」
「……お待ちください」
しばらくして電子錠が解除された。
玄関に現れた母親は上品な服に身を包んでいたが、その表情には隠しきれない疲労と警戒心が滲んでいた。
「……どうぞ。でも、あの子は本当に具合が悪いんです。手短にお願いします」
「恐れ入ります」
通されたリビングには高級そうな調度品が並んでいたが、どこか空気が淀んでいた。
「美優さんはお部屋ですか?」
「ええ、二階です。この数日ずっと部屋に閉じこもって……食事もろくに摂らずに」
母親はハンカチで口元を押さえた。
「本当に、真面目ないい子なんです。警察の方が来るようなことなんて……何かの間違いじゃないんですか?」
「お電話でもお話しましたが、先日発生した事件について何かご存知ないかと思いまして。まあ、皆さんにお伺いしていますので」
「……分かりました。こちらへ」
母親はしぶしぶといった様子で頷くと、階段へと案内した。静まり返った廊下を通り、二階へ上がる。
一番奥の部屋。ドアの前には手つかずの食事が乗ったトレイが置かれていた。スープは冷え切り、パンもすっかり乾燥してしまっている。
「美優、大丈夫? 警察の方がいらしたわよ」
母親がドア越しに優しく声をかけた。
だが、返事はない。
「美優? ……開けるわよ。心配ないから」
母親がノブに手をかけた。
ゆっくりとドアが開く。
淡いピンクを基調とした部屋だった。勉強机の上には教科書やノートが無造作に重なり、ベッドの脇には読みかけの本が置かれている。図書委員を務める本好きの少女らしく、本棚には書籍がぎっしりと並んでいた。
しかし──そこには誰の姿もなかった。
「……え?」
母親が手で口を押さえ、立ちつくした。
ベッドの布団は乱れているが、もぬけの殻だった。
「失礼します!」
「ちょ、ちょっと!」
大神は瞬時に部屋の中へ踏み込むと、窓辺に駆け寄った。レースのカーテンが風に揺れている。窓が開いていた。
「ここから出たのか……」
二階だが、下には物置の屋根があり、そこを伝えば庭へ降りられそうだった。ふと、大神が机の上に目をやると、スマホは充電器に繋げられたままだった。
「お母さん、美優さんのスマホは?」
「えっ? これ一台ですが……」
警察が来ると聞き、着の身着のままで飛び出したか──これでは居場所が特定できない。
「波木、係長に連絡だ」
「はい! ──お母さん、美優さんの服装を教えていただけますか?」
波木が魚住へ状況を説明すると、魚住は至急所轄へ捜索を依頼すると応えた。
「よし、俺たちも探すぞ。──お母さん、美優さんが行きそうな場所に心当たりは?」
「それは……」
母親は言葉に詰まった。娘の行き先が思い当たらない──その事実を突きつけられたと感じたのか、彼女は表情を曇らせた。
内心舌打ちし、大神は家を飛び出した。
波木も後に続いた。
二人は閑静な住宅街の街路を走った。まだそう遠くまでは行ってないはずだが、美優の姿は見当たらない。
息を切らせながら波木が呟く。
「どこ行ったんでしょうね」
「さあな。でも、そう遠くには行ってないはずだ」
だが、波木は立ち止まると顎に手を当て、少し考える素振りを見せた。
「どうした?」
「いえ、主任……美優ちゃん、誰かに会いに行ったってことないですかね?」
「──!」
なぜか、あのスクールカウンセラーの姿が脳裏に浮かんだ。
娘の表面しか見ていなかった母親、抑圧的な学校──もし、豊嶋美優が事件に関係があるとするなら、誰にも頼れなかったのではないか。
あのスクールカウンセラーは多くの生徒に慕われていた。豊嶋美優も他の生徒と同じように彼女を頼っても不思議ではない。
「波木、学校へ連絡しろ。西園寺の連絡先を聞くんだ!」
「分かりました!」
波木はスマホを手に取った。
◇ ◇ ◇
西園寺が運転する車内でスマホの呼び出し音が鳴った。
「あら、誰かしら?」
車を路肩に寄せてスマホを見ると、彼女の知らない番号だった。
「フフッ、嗅ぎつけたのかしら。でも遅かったわね」
彼女は鼻で笑ったが、ふと口元に手を寄せた。
「……とはいえ、しばらく実験はお休みね」
ぼそりと続けると呼び出しを無視し、スマホを助手席へ放り投げた。
何事もなかったようにギアを入れると、再び車を走らせた。
◇ ◇ ◇
「波木、西園寺は?」
「ダメです。出ません」
「クソッ」
大神は吐き捨てた。
街路を走り、さらに向こうの角を曲がった。
「波木! 次はあっちの公園だ!」
大神の声が茜色に染まった住宅街に低く響く。
豊嶋家から逃走した美優の足取りを追い、所轄とともに付近を捜索していた二人は、やがて数ブロック先の小さな公園のベンチにうずくまる人影を発見した。
「美優さん!」
大神が駆け寄る。
ベンチに座っていたのは紛れもなく美優だった。彼女は部屋着のまま呆然と虚空を見つめ、ガタガタと震えていた。
「けい……さつ……?」
「大丈夫か! 怪我はないか!?」
大神はすぐに自分の上着を脱ぎ、美優の肩にかけた。
波木が周囲を警戒する。
「波木! 誰かいるか!?」
「……いえ、誰もいません」
大神は美優の手首を手に取り確認した。そこにはミサンガを巻いていた痕──薄く残った日焼け跡と、わずかな圧迫痕があるだけだった。
あたりを見渡すが、ミサンガらしきものは落ちていない。
「美優さん。一人で来たのか? それとも誰と一緒にいた?」
大神が美優の肩を持ち、軽く揺さぶる。だが彼女の瞳の焦点は合わず、宙を彷徨っていた。
「……分かんない。私……勉強してて……気づいたら、ここに……」
「覚えてないのか?」
「……頭が、痛い……何も、思い出せない……」
美優は頭を抱えてうずくまった。
演技ではない。完全に記憶が混濁している。千春たちと同じ、いや、それ以上に作為的な記憶の断絶を感じる。
「……やられたな」
大神は唇を噛んだ。
間違いなくミサンガの影響だ。何者かがミサンガを回収したのか、それともどこかに捨てるように仕向けたのか。
「波木、保護だ。救急車を呼べ。それと……ミサンガの回収は失敗したと伝えろ」
完全に後手に回った。
だが、まだ何者かは分からないが、敵の存在がはっきりした。あのミサンガは確実に、悪意を持って広められている。
大神は美優の背中をさすりながら、静かな怒りを燃やしていた。




