第19話 空白の座標
ここ数日、休み時間の教室はいつもよりざわついていた。昼休みともなると、生徒たちが口々に先日繁華街で発生した事件について噂していた。
今日に至っては警察が学校に来たことで、噂は本当だったのかと、生徒たちは興味を隠せない様子で好き勝手な推理を交わしていた。
午後の休み時間、遥が麻衣の席へやってきた。
「あの人たち、絶対何かやりそうだったもんね」
「えぇぇ……でも、さすがに傷害事件って嘘じゃない?」
「いいや、だったら警察が来るわけないでしょ?」
「それもそうか……」
他の席でも似たような話をしていた。
麻衣が斜め前の空席へ目をやった。
「それはそうと、絢音、何日も休みだなんて珍しいよね」
「そうね。あんまり風邪なんか引かなそうなのに」
エヘヘ、と遥が笑う。
「んもう。酷い言い方」
とは言いつつも、麻衣もプッと手を口に当てた。だが、後ろの方にもう一つ空いていた席に視線を移す。
「それに、美優ちゃんも休んでる」
「そうね。風邪でも流行ってんのかな?」
遥の軽い口調とは対照的に、麻衣は遥に顔を寄せ、声を下げた。
「それがね。なんかヘンなの。図書委員の子たちも話を聞かれたんだって。隣のクラスの子が言ってた」
「え、それって上條って人が図書委員だったからじゃない?」
「そうなの? 美優ちゃん、図書委員だし、何かあったんじゃないかと思ってた」
「まさか〜」
やがて、チャイムが六限の開始を告げた。
◇ ◇ ◇
高級マンションの一角。天井まで届くガラス越しに都内の夜景が静かに広がっている。広々としたリビングには艶を抑えた質の良いレザーソファと低く構えた大きなガラスのテーブルが配され、間接照明の光を受けて柔らかさと洗練さが同居する空間を形作っていた。
だが、そこは人の気配が感じられなかった。生活の痕跡がほとんど見られないその空間は整然としているぶん、どこか冷たさすら帯びていた。
絢音はソファにゴロリと横になり、スマホの画面を眺めていた。
あの夜からずっと電源を切っていた。学校へ休みの連絡を入れるときに電源をつけたが、その時に大神から着信があったことを知った。
かけてくるだろうな、とは思った。だが、かけ直す気にはなれなかった。約束を破った。しかも、いくら仕方のなかったこととはいえ指輪を使った。あの真面目な刑事が自分を逮捕しようとしたことは当然のことだ。
あれ以降、大神からの電話はない。〈カラスのオジサン〉──烏丸が止めたおかげなのかどうか分からないが、このマンションに警察が来ることもなく、今、自分はこうして学校をサボっている。
スマホの履歴を見返す。
母から、『プロジェクトにかかりきりになるので、しばらく会社近くのホテルで寝泊まりする』というメッセージが来ていた。もっとも、多忙な母とは普段から顔を合わせることはない。
今日は、友人たちから体調を心配するメッセージが届いていた。それに今日、学校へ警察が来たと書いてある。先日の事件が学校で噂になっているようだった。
「きっと、オジサンたちね……」
絢音はそう呟くと自室へ向かった。
カーテンの閉め切られた薄暗い部屋。そこは年頃の少女らしい小物やインテリアに囲まれた部屋だった。だが、彼女がまっすぐ向かった隅にあるデスクは、部屋の雰囲気からはほど遠い無機質なものだった。
絢音はデスクの前の椅子にドスンと座り込むと、スリープ状態だったパソコンのマウスを弾いた。
モニターが点灯し、青白い光が絢音の顔を照らす。
画面に無機質な地図と複雑なパラメーターが表示された。システムのタイトルバーには『ADLS (Active Device Location System) 』の文字があった。それはPD社の開発者向け位置情報システムであり、アクティブ状態のリングデバイスの位置を指し示す社内秘のシステムだった。
絢音は数日前のログを表示した。地図をズームすると、繁華街のある一点にいくつかの点が表示された。それは、自分と大神たち──つまり指輪を発動させた者の痕跡だ。
だが、そこに映っていないものがある。それはあのミサンガだった。
(ミサンガって〈指輪〉とは違うのかな?)
絢音は腕を組んだ。
この数日、パラメーターの設定を疑い、調整を繰り返してきた。それでもミサンガは表示されなかった。
つまり、あれはPD社の製品とは無関係の未知のデバイスか、あるいは同社の新たなアーキテクチャに基づくデバイス──そのどちらかだ。
本来、PD社が製造していない模造品であっても、アクティブになればこのシステムに表示される。なぜ表示されるのか、その仕組みの詳細までは絢音にも分からない。だが現に、あのミサンガは検出されていない。
もっとも、デバイスの開発・製造を独占するPD社以外に、あれほどのものを作れる存在があるのか──首を捻らざるを得なかった。
とはいえ、ミサンガの危険な力はこの目で確かめた。他にもミサンガをはめている生徒はいる。これはまだ始まりに過ぎないのかもしれない。
あの夜のことを思い出す。
大神の目の前で指輪を使い、逃げ出した瞬間のこと。オジサンの驚いたような、それでいて悲しそうな顔が忘れられない。
もう、あのボロアパートには帰れない。帰る資格もない。
ふと、あの部屋のサイドボードが脳裏をよぎった。そこには、埃のかぶった古い小さな写真立てが静かに置かれていた。
(……多分、あの人がそうだったのかな?)
──結局、聞けなかったな。
だが、もし本当にそうだとしたら、それは不躾に聞いてよい話ではない。いや、いっそ何食わぬ顔で聞いた方が良かったのかもしれない。まあ、あの刑事のことだ。はぐらかすかもしれないが。
「……はぁ」
絢音は深いため息をついた。
このまま広い部屋に引きこもっていても何も変わらない。パソコンの前で光が灯るのを待っているだけの自分に、いい加減嫌気が差していた。
それに、学校の様子も気になる。
友人たちからのメッセージには、美優も休んでいて風邪が流行っているのかもね、とも書いてあった。
だが、あの夜のことを知る絢音には、それは単なる病欠ではないという予感があった。
「……明日は、学校行こうかな」
絢音はハンガーにかけられた制服に視線をやった。
学校へ行けば何かが分かるかもしれない。だが、今や自分は参考人どころか捜査対象になってしまったのでは、という危機感もある。
「ま、いっか」
絢音は自嘲気味に笑った。
警察が張っているかもしれない。オジサンが見張っているかもしれない。もし見つかって、逮捕されることになったとしても──
「どうせ捕まるなら……オジサンがいいし」
絢音はベッドへ身体を投げ出した。
天井を見上げ、それから目を閉じる。
(でも、ミサンガはともかく、この間から反応があるのは確かなのよね)
それは最近、地図上の駅ビルの地点で度々反応していた。──誰かが指輪を使っている。
大神との約束通り、そこへは行ってなかった。事件になっていないことから、警察もまだ掴んでないのかもしれない。
(気にはなってるんだよな〜。……探しているやつかもしれないし)
大神との約束を破ってしまった以上、もはや行かない理由はない。だがそれでも──一人で行く気にはなれなかった。
「あーあ、どうやってオジサンに教えようかな〜。でも、私も見たいなぁ」
そう呟くと、目を閉じた。




