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指環の執行官──警視庁捜査一課第四特殊犯捜査係  作者: 柊ユキヤ


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第18話 逃げた少女

 あの夜から数日後。四特のフロアは重苦しい空気に包まれていた。

 キーボードをパチパチと叩いていた猫田がふと顔を上げた。


「波木さん。結局、どんな感じになるんですかね?」

「ん? ああ。〈未成年による暴走〉、そんなところかな。あまり大げさにはしないらしいよ。示談の話も進んでるみたいだしね。それよりも、〈ミサンガ〉はどうだったの?」

「科捜研からはまだ……もう少し時間がかかるんじゃないかと」


 現場で押収されたミサンガは少なくとも〈観念動力補助機器〉だったことは確かだ。だが破損も酷く、まだ正式な断定には至っていない。


「加害者たちは在宅で事情聴取なんですよね?」

「そ。親が弁護士と一緒に迎えに来てさ。まあ、憔悴しきってたし、未成年だからね」

「弁護士……さすが四ツ葉らしい(・・・・・・)ですね」

「だよね。……まあ、被害者も軽傷だったんで良かったよ」


 結果として、三人は強制的な身柄拘束は行われず、聴取は在宅対応となった。


 だが、事件はまだ終わっていなかった。被害者たちの証言から、現場には彼女たちとは別にもう一人の少女がいたことが判明したのだ。




 二班の主任、長浜警部補が部屋に入るなり気色ばんだ声を上げた。


「係長、防犯カメラ、確認できました」

「そうか、裏取れたか」

「はい。事件のあった時間に、路地の出口方向から通りを歩いてくる生徒を複数確認できました」

「よし、四ツ葉に確認できるな。大神、四ツ葉へアポを取ってくれ」


 魚住の呼びかけに、大神の反応はなかった。

 大神はパソコンの画面を見つめたまま、固まっていた。


(……はぁ)


 画面に映る捜査資料。その文字は頭に入ってこず、現場写真にはツインテールの姿がチラつく。


「おい、大神? ……大神!」


 意識の向こうから聞こえる声にようやく気づき、大神はハッと顔を上げた。


「……すみません。少し考え事を」

「珍しいな。疲れてるなら少し休め」

「いえ、大丈夫です」


 大神はそう答えながら、視線を画面へ戻した。


 大神はあの夜から、どこか仕事に集中できないでいた。昨日は猫田にまで心配されてしまう有様だった。


「係長、データアップします。大神主任も見てくれ」


 長浜から送られてきたファイルを開く。

 防犯カメラの動画には、たしかに四ツ葉の制服らしき少女が歩いている様子が映されていた。おそらく、この中の誰かが逃げた少女だ。


「長浜。もう少し絞れそうか?」


 動画を確認した魚住が、ちょっと多いなと言いたげな顔をした。


「いえ。通りのすべてをカメラがカバーできているわけではありませんので、特定まではちょっと……」


 長浜によると、路地から通りへと出る箇所にはカメラがなかったとのことだ。つまり、どの少女も〈路地から出てきた〉という決定的な証拠がない。


「なるほど……なら、四ツ葉で確認しよう」


 魚住は頷いた。



   ◇ ◇ ◇



 翌日、大神と波木は再び四ツ葉女学院にいた。受付で名を告げると事務員は一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに教頭室へ内線を入れた。


 前回同様、応接室へ通された。しばらくの後、教頭の黒木が入ってきた。表面上は平静を装っているようだが、視線は定まらず、動揺と疲労の色が隠せないでいた。


 事件の翌日には警察から連絡を受けていた黒木は、これまでの補導事案とは違い、内外の対応に追われているようだった。

 お嬢様学校の生徒が引き起こした傷害事件。しかも観念動力の疑いがある。いかにもマスコミが喜びそうなネタだが未だに報道されていないところをみると、相当に手を回しているに違いなかった。


「この度は、我が校の生徒がこのような事件を起こしてしまい、まことに申し訳ありません」


 開口一番、黒木は深々と頭を下げた。先日の尊大な態度とは打って変わっての殊勝な物腰に、大神と波木はチラリと目を見合わせる。

 だが、次に出た言葉は大神たちの眉をひそめさせるものだった。


「三人は校内でも素行に問題があり、近々何らかの指導が必要と考えておりました」


 まるで、千春たちを切り捨てるような口ぶり。隣に座る波木が思わず口を開きかけたのを、大神は軽く制した。


「事件当時の生徒たちの行動について、把握されている範囲で教えてください」

「いえ……それは……」


 大神の問いに黒木は言葉を濁した。下手に生徒に聞いて噂が広まるのを嫌がったのだろう。もしかすると、かん口令さえ敷いているかもしれない。


「分かりました。では、こちらで把握している情報を先にお伝えします」


 大神は防犯カメラの画像が印刷された用紙を差し出した。そこには、生徒が繁華街を歩く画像が複数印刷されている。


「この中で、事件に関係する生徒がもう一人いるようなんです」

「そうですか……」


 黒木は胸ポケットから眼鏡を取り出すと、用紙を手に取った。


「この生徒たちに当時の状況を伺っても? もちろん先生がたに立ち会いいただいて結構です」


 黒木はすぐには答えず、手元の用紙に視線を落としたまま黙り込んだ。紙の端を指で押さえる仕草が、わずかにこわばっている。


「……正直に申し上げますと」


 黒木はゆっくりと言葉を選んだ。


「現在、校内は非常に神経質な状態にあります。これ以上、生徒たちに事件を想起させるような聴取はいかがなものかと……」

「さすがに被害が発生している事件ですので。まあ、軽くお伺いするだけですよ」

「……分かりました」


 黒木は肩を落とし、頷いた。


 画像の生徒たちから順に話を聞く。

 彼女たちはいずれも塾や、友人と遊んだ帰りだった。単に寄り道していたという者もいたが、嘘を言っているようにも見えなかった。


「では、次で最後ですね」


 大神たちが待っていると、担任の教師だけが入室してきた。黒木が怪訝な顔をする。


「佐藤先生、生徒は?」

「豊嶋さんですが、体調不良で休んでおりまして」


 三十代後半くらいの佐藤という女性教師は、か細い声で答えた。大神は彼女へ静かに尋ねた。


「いつからお休みに?」

「それが、あの日の翌日からなんです……」


 佐藤は困惑した様子で、ためらいがちに答えた。

 翌日から休んでいる──その言葉に、大神は小さな引っかかりを覚えた。


「当日、何か変わったことは?」

「いえ、特には……たしかあの日は図書委員の当番で、放課後は図書室だったはずです」

「図書室ではどうだったんでしょうね?」

「さあ、そこまでは……」


 佐藤は首を振った。


「毎日の当番は五、六人おります。その子たちに聞いてみないと何とも……」

「その生徒たちに伺っても?」


 大神の問いに黒木は一瞬だけ視線を伏せたが、諦めたようにやがて小さく頷いた。




 司書教諭の立ち会いのもと、当日当番だった生徒たちから話を聞くことになった。

 いずれも有力な情報とはならなかった。だが、最後に話を聞いた一年生──広瀬静香の証言だけは明らかに他とは違っていた。


「はい……上條先輩が、美優先輩を遊びに誘ってました」

「それは……その日、一緒に遊びに行った、という理解でいいかな?」

「だと思います。上條先輩、バス停で待ってるって言ってました」

「豊嶋さんは上條さんと仲がいいの?」

「上條先輩も図書委員なので、知らない仲ではないんです。でも学年も違うし、一緒に遊んでるって話は聞いたことないです。それに美優先輩、普段は図書委員の当番か塾で、寄り道するような人じゃないので」

「じゃあ、無理やり連れて行かれた?」


 横から波木が質問すると、静香は少し考える素振りを見せた。


「……いえ、そんな感じでもなかったです。大丈夫? って聞いたんですが、『大丈夫』って……自分から行く感じでした」

「そうなんだ……ありがとう。参考になりました」


 大神と波木が頭を下げると、静香は少し戸惑いながらもちょこんとお辞儀し、司書教諭とともに部屋を後にした。




 無人となった部屋で波木が呟いた。


「……誘われて断らなかった。少なくとも拒否はしていない」


 大神も頷く。


「……自分で選んだ、か」


 豊嶋美優は、悪い噂があった先輩たちの誘いを断れなかったどころか、自分で進んで誘いに乗った。彼女に何の心境の変化があったのだろうか。


「自宅へ行ってみるか……」


 大神は手にした防犯カメラの画像に目を落とした。



   ◇ ◇ ◇



 校舎の玄関まで黒木が見送りに出た。黒木は肩を落とし、時折ため息をつきながら大神たちの前を歩く。だがそれよりも、大神には気になることがあった。


「そういえば、今日は西園寺先生はいらっしゃらないんですか?」

「あぁ、彼女は非常勤ですので。週三日の勤務なんです」


 黒木は振り返ると、大神の問いに力なく答えた。


 非常勤であり担任でもない西園寺はこの事件に直接関係していないのだろう。ならば勤務日でもないのにわざわざ来ることもない、ということは分かる。

 だが、あの瞳。本当に何の関係もないのか。大神の胸に棘が引っかかったような感覚が残る。




 校舎を後にし校門へ向かう途中、大神は無意識のうちに敷地内へ視線を走らせていた。ツインテールの少女の姿を探している自分に気づき、苦笑する。


 ──いるわけがないか。それに学校ではおさげだったな。こんな都合よく、あいつが姿を現すはずもないな。


 それでも一瞬、物陰や渡り廊下の先に目を向けてしまう自分が情けなかった。


 大神は小さく息を吐き、歩調を早めた。

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