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指環の執行官──警視庁捜査一課第四特殊犯捜査係  作者: 柊ユキヤ


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第17話 冷たい部屋

 深夜──所轄の取調室。殺風景な部屋を蛍光灯の冷めた光が静かに照らしていた。


「……覚えてないです」


 千春は、先ほどまでの狂乱の炎がぷっつりと消えたように静かだった。


「何にも?」

「はい……というか、ここ数か月の記憶が曖昧なんです」


 大神は目の前の少女をじっくりと観察した。

 派手なメイクは涙と脂で崩れ、目の下には深い隈が浮き出ている。肌は乾燥し、髪もパサついている。まるで、この数時間で数年分の歳月を浪費したかのように、彼女はやつれ果てていた。


「このミサンガに見覚えは?」


 証拠品袋に入った焼け焦げたミサンガ──いや、今となってはただの燃えカスのような繊維片を千春の前に突き出した。


「……なんとなく。お守りだって、貰った気がします」

「誰に?」

「……分かりません。綺麗な、優しい女の人だったような……それとも、友達だったかな……優しい匂いがしたかも」


 千春は頭を抱え、小さく呻いた。


「思い出そうとすると、頭が割れそうに痛いんです……」


 演技ではない。おそらく精神汚染特有の記憶障害だ。あの〈力〉は、彼女たちの生命力と記憶を燃料にして燃え上がっていたのか。


「……分かった。今日のところは終わりだ。もうじき親御さんが迎えにくる。それまで休んでなさい」


 大神は調書を閉じ、取調室を出た。



   ◇ ◇ ◇



 マジックミラー越しに千春の様子を見ていた魚住が、苦虫を噛み潰したような顔で大神を迎えた。


「ダメか」

「ええ。完全に記憶が飛んでます。他の二人も似たようなものでしょう」

「ああ。波木と烏丸(カー)さんがあたったが、似たようなもんだ」

「そうですか……」


 大神は視線を落とした。


「それにしても厄介だな。ミサンガの入手経路が断たれたか」


 魚住は証拠品袋を光にかざした。

 ビーズ内部にある謎の基板。明日、科捜研へ渡すが、結果が判明するにはしばらくかかるだろう。


 だが、大神には一つ引っ掛かる点があった。


「しかし、係長。ちょっと気になることが。被疑者が話した〈優しい匂い〉という言葉なんですが。もしかすると……」

「心当たりがあるのか?」

「はい。例のスクールカウンセラーです。たしか、ハーブ系の香水をつけていました」

「なるほど……しかし、それだけじゃ弱いな」

「……はい」


 絢音なら確認できるかもしれない──脳裏にあのツインテールの後ろ姿がよぎった。だが、先ほどあんなことがあったばかりだ。職務とはいえ絢音を逮捕しようとした。虫が良すぎるし、そもそも未成年だ。


 大神は小さくため息をついた。



   ◇ ◇ ◇



 自宅へ戻ったのは空も白み始めたころだった。ドアを開けると、玄関にあるはずの絢音の靴がなかった。


 様子がおかしい。


 リビングへ飛び込み、灯りをつけると、そこは──綺麗に片付けられていた。同居人など最初からいなかったかのように生活の痕跡がない。隅に脱ぎ散らかしていた部屋着、テーブルに広げていたお菓子の袋、サイドボードの上に並んでいたメイク道具──何もかもが姿を消していた。


 どこへ行った──心臓が一拍跳ねた。


 リビングの横、寝室の引戸へ目を向けた。『立入禁止』の貼り紙は剥がされていた。絢音が転がり込んできてからは完全に絢音の個室と化しており、立ち入ることはなかった。

 その引戸を開けると、占領されていたベッドはすっかり整えられ、長い間誰も使っていなかったかのようだった。キャリーバッグも、スクールバッグも、どこにも見当たらない。


 リビングのテーブルには一枚のメモがあった。


『お世話になりました』


(何がお世話になりました、だ。散々引っかき回しておいて、紙切れ一枚でサヨナラか)


 まあ、逮捕しようとしたのは事実だ。職務上、見逃すわけにはいかなかった。だが、それが二人の間を決定的なものにしたのは間違いない。いや、これまでの状況が異常なだけだ。正常に戻っただけのことだ。


 しかし──やはり胸に風穴があいた気がしてならない。胸は鉛玉を抱えたように重く、沈んでいた。


「どうすりゃ良かったんだよ……」


 思わず口から漏れた。


 だが、絢音はもう、いなくなった。


(あいつ……家へ帰ったのか?)


 大人しく自宅へ帰ってくれていればまだいい。だが、このままアテもなくフラフラとしていたら。恐るべき力を持つ少女だが、それでも子どもだ──急に不安が押し寄せてきた。

 しかし、内ポケットからスマホを取り出したものの、次のボタンがどうしても押せなかった。

 しばらく画面を見つめ、ソファに腰掛ける。


 絢音はもはや捜査対象だ。私的接触するわけにはいかない──頭では分かっていた。

 だが、先ほどの出来事は三人の秘密だ。やはり確かめないわけにはいかない。


 息を整えながら、絢音へ電話をかけてみる。


『おかけになった電話は電波の届かないところにあるか、電源が入っていないためかかりません──』


(あいつ……)


 大神は肩を落とした。

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