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指環の執行官──警視庁捜査一課第四特殊犯捜査係  作者: 柊ユキヤ


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第2話 魔女と呼ばれた少女

 閃光は背後の壁に当たり、ジュッと鈍い音を立てた。頬の産毛が焦げるような熱が一瞬遅れて肌を舐めた。背後から焼けた金属臭が漂う。


(クソッ、隠れていやがったか!)


 一瞬反応が遅れたことに内心舌打ちする。


「主任!」


 波木がすかさず大神の前に飛び出し、右手の指輪を突きだした。指先から腕の神経をなぞるように緑色の光が走り、たちまち目の前に淡い緑光の障壁が出現する。


 波木は空いた手で無線を掴み、流れるように吠えた。


「係長! マル被、潜伏していました! 観念動力攻撃発生! 二班、三班、至急現場(ゲンジョウ)へマル援願う!」


 指輪持ちには指輪持ちしか対抗できない。〈同業者〉の応援が必要だ。


「……ヒャハハ」


 歪んだ笑い声が闇の向こうから聞こえた。


 大神が声の方向へライトを向けると、若い男がふらふらとおぼつかない足取りでその姿を現した。

 男の目は虚ろで、視線は定まらず空を彷徨っている。だが、時おり狂った獣のような眼光が二人を捉えていた。口元は歪んだ笑みを貼り付けたまま、よだれを垂らしている。


「ちっ、〈サイコジャンキー〉か……」


 大神は吐き捨てるように呟いた。

 同時に少し違和感を覚えた。この攻撃は、胸に一撃で致命傷を与えるほどではない。やはり他に誰かいるのか? それとも手の内を隠しているのか。


「警察だ。指輪を外せ。抵抗するな」


 男の力を見極めるため、慎重に警告する。


 男は「ヘヘッ」と乾いた声を漏らした瞬間、右手を突き出し、再び閃光を放つ。だが閃光は波木が展開した障壁に阻まれ霧散した。


「ブァ〜カ、誰が外すかよ!」


 男はクスクスと嗤うと踵を返し、階段に向かって駆け出した。そのまま跳ねるように屋上へ駆け登る。


「待て!」


 二人はほとんど同時に階段へ飛び込んだ。




 屋上へ飛び出すと雨は幾分弱まっていた。シトシトと霧のような雨が逆に冷たさを感じさせる。


「行き止まりだぞ。あきらめろ」

「うるせぇ!」


 大神は短く息を吐くと間髪入れず男へ飛びかかった。その動きに合わせるように、波木が再度障壁を展開する。


 だが、男が次に放った閃光は先ほどとは違う太い光だった。


(これか──!?)


 波木の障壁が閃光を追尾したが、男のデタラメな高出力の光を前に、光の壁は薄いガラス板のようにきしみ、弾かれた。鼓膜の奥を叩かれたような圧が頭蓋を揺さぶり、視界が一瞬歪む。


「チッ!」


 大神は舌打ちするとかろうじて身を捻り、閃光をかわした。


 ──この出力、普通じゃない。いくらセーフティのない模造品であっても限度がある。これならデタラメに当たっても十分致命傷になりうる。


 波木の表情もこわばっていた。


「ヤバいっす。あのレベル、俺の障壁じゃ無理かも」

「これだから官品(セーフティ付き)は……!」


 大神が顔をしかめると、男がニヤリと口元を歪ませた。


「フヘヘ……やっぱり、おまわりの指輪はゴミみたいなもんだな」

「さあ、それは……どうかな!」


 そう言うが否や、大神は右手を突き出した。人差し指にはめられた指輪に淡い蒼白の光が浮かぶ。

 光は指先、腕、肩、首筋──そして顔の右半分の神経を順に走る。その軌跡を焼けた針が通されるような熱が伝わり、脳を一瞬刺す瞬間──指輪から眩い蒼白の閃光が男の足元へ一直線に放たれた。


 閃光は男の足元から数センチメートルの所に当たり、ビシッと鈍い音を立てた。コンクリートの焼ける煙と、雨が蒸発した湯気が霧雨に紛れる。


 男の顔色が変わった。


「てめえ、官品を……使ってねえのか!? おまわりが改造品使っていいのかよ!」

「それは……企業秘密だな」


 イチ公務員がそんなモノ持てるか、と内心苦笑したが、それを言う義理もない。もっとも、改造品なんか使っていたら廃人一直線だ。


 大神は再度、ゆっくりと右手を構えた。


「次は──威嚇ではない……ここまでだ」

「……クソッ!」


 男はふらついた足取りで、フェンスに向かって駆け出す。横で波木が「マジか……飛び降りる気か!?」と顔をこわばらせた。


「波木、止めるぞ!」


 二人が踏み出した瞬間、頭上から鈴の音のような声が降ってきた。


「──手伝おうか?」


 給水塔の上に──人影があった。

 明るいグレーのパーカーでフードをすっぽりと被り、ショートパンツからは病的なほど白い、しかし健康的なフォルムの足を覗かせている。闇に白く浮かぶその姿は、この血生臭い現場にはひどく場違いに思えた。


 女? ──たしかに女の声だった。それも若い。


「主任。あれが多分、例の〈魔女〉です」


 波木がそっと囁く。


「お前が〈魔女〉か……」

「えぇ……美少女を魔女呼ばわりって、センスなくない?」


 大神の問いに、彼女はフードの下でクスッと笑ったようだった。だが次の瞬間、ひらりと大きく──大神たちの頭上を越えてジャンプした。


 ありえないほどの跳躍。身体制御系か? ──彼女の右手人差し指には、炎のように紅く揺らめく指輪が見えた。

 大神たちが呆気にとられていると、ふわりと着地した彼女は右手を突き出した。指輪がさらに紅く光る。


「あいつ、逃げちゃうよ」


 そう言い放った瞬間、彼女の指輪から炎のような閃光がほとばしった。それは男の頭部にまとわりつくような火の玉へ変化し、まるで周囲の空気を喰らい尽くす生物のように激しく燃え盛った。


 だが、男は炎や熱に悶絶するどころか声も上げず、その場に倒れ込んだ。


「おい! 何をする!?」


 炎はすぐに消えた。

 大神たちが男に駆け寄る。


 見ると男は失神していた。だが、どこにも焼けた痕が見当たらない。炎はたしかに男の頭を包んだはずだ。ギリギリのところで燃やしたのか──そんなことが可能なのか? ありえないほどの精密な燃焼制御だ。


 だが、大神が驚愕したのはそれだけではない。

 大神は女へ鋭い視線を向けた。


(身体制御と発火能力……)


 女は一つしか指輪をはめていない。だが、複数の系が混在する指輪など見たことも聞いたこともない。もしあったとしても、使えば廃人になるのがオチだ。

 だがそれを、こんな華奢な女が平然とやってのけたというのか?


「あーあ、酸欠で寝ちゃった」


 女は悪びれもせず言い放った。その声色には苦痛の色も疲労の色もない。そしてその言葉は、女が意図的に男の周囲を酸欠状態にしたという大神の推測を裏付けるものだった。


 こいつは──バケモノか。


 だが、それは後だ。


「おい、波木。確保だ」


 呆けているバディの背中を軽く叩くと、彼はハッと気づき、あわてて腰の手錠を取り出す──が、微動だにしない男の姿を見て、彼の顔に耳を近づけ、そして脈を診た。


「……息はあります。えー、午後九時四十三分。被疑者、確保!」


 波木は「もう一台、救急ですね」と言うと、無線を取り出した。


 女がクスリと嗤う。


「ねっ、大丈夫だったでしょ?」

「……協力は感謝するが、おまえも現行犯逮捕(ゲンタイ)だ」

「えー、マジで? せっかく助けてあげたのに」

「公務執行妨害と改正銃刀法違反の疑いアリ、だ」


 そう告げた次の瞬間、大神は女の懐へ踏み込む。

 だが、女は宙返りするようにヒラリと飛び退いた。同時に彼女のフードがはだけ、長いツインテールの髪が現れた。そして、あらわになった女の顔は──あどけない少女のものだった。


 子ども? 十六、七か──右手を構えた大神は、そのあまりの幼さに一瞬動きを止めてしまった。


「もぅ、髪が濡れちゃうしィ」

「お前……高校生か?」

「どうでもいいでしょ。オ・ジ・サ・ン」

「……誰がオジサンだ」


 少女のからかうような声色に、大神はこめかみをひくつかせた。


「二十九だ。まだ二十代だ」

「アハハ、気にしてるんだ。顔に出てるよー!」


 少女はケラケラと笑うと、そのまま背中から夜の闇へダイブした。


「待てッ!」

「バイバーイ! またね〜!」


 少女は隣のビルの壁を軽やかに蹴りながら、夜の闇に消えていった。重力さえも彼女には玩具のようだった。


 その姿が見えなくなると、大神は吐き捨てた。


「何が『またね』だ。ふざけやがって」


 だが、理解不能な力を持つ危険極まりない少女、もっと冷静に対処すべきだった。やつの軽口についムキになってしまった──悔しさに奥歯を噛みしめる。


「主任、緊急配備(キンパイ)かけますか?」

「追えるか、あんなの。……空飛ぶ勢いだぞ」

「……ですよね」


 ──今さら追っても無駄だろう。

 波木もため息をついた。


「それにしても主任、『まだ二十代』って……二十九歳は女子高生からすると立派なオジサンですよ。っていうか、挑発に乗っちゃダメでしょ」


 分かっている──たった今、自分でもそう思っていたところだ。あいかわらず一言多いやつだ。


「うるさい……。波木、余計な口を叩くと報告書は一人でやらせるぞ」

「えぇーっ!?」


 大神は少女が消えた闇の向こうを睨みつけた。


 最近、〈指輪事案(リングケース)〉の現場に度々現れるという謎の女、その神出鬼没ぶりから現場では〈魔女〉と呼ばれていた。それが、あんなあどけない少女だったとは──


「次はない……」


 やがて階段から、救急隊員と警察官が屋上へ飛び込んできた。倒れた男を取り囲み、慌ただしく担架に載せている。


 その様子を見ながら波木が呟いた。


「……主任」

「何だ」

「あの子、凄かったッスね。報告書、何て書きましょう?」

「通りすがりの一般市民の協力、とでも書いておけ。それ以上詳しく書くと仕事が増えるぞ」

「えぇ……ビルの屋上に〈通りすがり〉ですか?」


 波木は小さく苦笑いを浮かべた。

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