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指環の執行官──警視庁捜査一課第四特殊犯捜査係  作者: 柊ユキヤ


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第15話 無垢なる暴走

「あー、喉痛いー」

「ねぇ、久々こんなに歌ったわー」


 千春たち四人はカラオケ店から出てきた。

 千春の両脇に友人である奈々と葵が並び、その後ろから美優がついていった。


「美優ちゃんも上手かったよー」

「え……あ、ありがとうございます」


 奈々が褒めると、美優は少しうつむきながら答えた。


 右手首に巻かれたミサンガがジンジンと熱い。まるで心臓がそこにあるかのように脈打っている。

 カラオケボックスの中で、千春たちに〈仲間〉として認められた。連絡先も交換した。これもきっとミサンガのおかげだ。


 千春が割り込む。


「えー、奈々。ホントにちゃんと聞いてたー?」

「聞いてたよぅ」

「ずっとスマホ見てたじゃん。結局、既読つかなかったの?」

「……そうなの。祐くん、マジひどいんだけど」


 葵が呆れ顔で言い放った。


「もういいじゃん、次いきなよ」

「ええー、そんなぁ」


 そうは言いながらも、奈々の表情は明るい。

 千春が奈々の肩を軽く叩く。


「ていうかさ、祐一なんて放っときなよ。どうせまた他の女のとこでしょ」

「えー、でもぉ。財布としてはチョー優秀だったんだもん」


 奈々は頬を膨らませた。


「だって、これ(・・)のことを話すだけでお小遣いくれたんだよ。メッチャ気前良かったし」


 奈々は手首のミサンガをブラブラさせる。

 葵が怪訝な顔をした。


「え? 奈々。それ、誰に貰ったか覚えてんの?」

「うん、そうだよ……って誰だったっけ? もう忘れちゃった」


(そういえば、誰に貰ったっけ? 私も覚えてないや……)


 二人の話を聞きながら、美優はミサンガを見つめた。

 とても優しい人だったように感じる。でも、家と学校の往復でそのような人に会うことがあるだろうか。そのことを思い出そうとしても、鍵がかけられているような、すっぽりと抜け落ちているような、記憶の引き出しに奇妙な感覚を覚える。


 千春は興味なさそうに鼻を鳴らすと、繁華街の人混みを鬱陶しそうに見回した。

 道ゆく人々が楽しそうに笑っている。その当たり前の光景が、今の千春にはひどく邪魔くさいノイズに見えた。


 千春は無意識のうちに右手首をさすった。


「……チッ、人多すぎ。あっち行こ」


 千春が顎でしゃくったのは、大通りから一本外れた、街灯の少ない薄暗い路地だった。

 普段の美優なら夜に近づくことなど絶対にない場所だ。だが今の彼女は不思議と千春の後ろについていくことに躊躇がなかった。


 笑い声を上げながら路地をブラブラと歩く。


「あっれー、こんな所で何してんのー?」

「俺らと遊ぼうよ」


 前方から三人の男たちが近づいてきた。自分たちより少し年上、大学生のようだ。三人とも酔いが回っているようで少々足元がおぼつかない。


「チッ、ウゼえ」


 千春が小声で吐き捨てた。


「ねえ、無視? つれないなぁ」

「ちょっと付き合ってよ。奢るからさ」


 男の一人が千春の肩に馴れ馴れしく手を伸ばした。

 酒臭い息が漂ってくる。

 普段の美優なら恐怖で身を縮こまらせていただろう。大人の男性、しかも酔っ払いの集団だ。関わってはいけないと本能が警鐘を鳴らすはずだった。


 だが、今の美優の感覚は麻痺していた。

 恐怖よりも先に苛立ちが湧き上がってくる。


 ──汚い。うるさい。邪魔。


 手首に感じる熱がそう囁いているようだった。


「……触んないでよ」


 千春が冷徹な声で吐き捨て、男の手を払いのけた。

 男の顔色が変わる。


「んだと? なんだよお前、調子乗ってんじゃねえぞ」

「ガキが、ちょっと遊んでやろうと思ったのによ」


 男たちが囲んでくる。

 空気が凍りついた。だが、千春は動じるどころか蔑むような目で彼らを見回す。

 彼女はおもむろに手を広げ、男の前に突き出した。


 次の瞬間──


 ドンッと衝撃が広がり、男の一人が吹き飛んだ。

 男は路地の脇に積まれたゴミ袋の山に埋もれた。傍にあったゴミ箱の側面がへこみ、ガタンと転がっていく。


「え……?」

「な、なんだ今の!?」


 残された二人の男たちは友人が吹き飛んだ理由が理解できず、裏返った声を上げた。


 何かで殴られたようには見えなかった。千春が手をかざしただけで、大人の男がボールのように弾き飛ばされたのだ。


「あーあ、ゴミがゴミ箱に入った」


 千春がケラケラと笑った。


「千春、ナイス!」

「私もやるー」


 奈々が千春の横に立ち、同じように手をかざす。

 その瞬間、もう一人の男が吹き飛んだ。男はビルの壁にぶち当たり、うめき声を上げながらうずくまる。


「さ、続きよ」


 千春はゴミ袋に埋もれた男の前に立った。


「な、何なんだ。お前ら……」


 最後の一人が後ずさりしながらスマホを取り出した。


「も、もしもし、警察ですか──」


 通報が終わるやいなや踵を返し、逃げようとした瞬間、男の身体はフワリと浮き上がり、地面に叩きつけられた。


「何、逃げてんのよ〜」と、葵も手をかざしていた。ニヤリと歪んだ笑みを浮かべている。


 千春がゴミ袋に埋もれたままの男の顔面で、再び手を広げた。


 男の顔が引きつる。わけも分からないまま吹き飛ばされ、しかも今、目の前に銃口を突きつけられているような気分なのだろう。


「や、やめろ……」

「何言ってんの。遊ぶんでしょ。いいよ──遊ぼうよ」


 千春が、ふと思いついたように眉を上げた。


「そうだ。美優、あんたもやってみなよ」


 千春にふられ、美優の肩がビクッと跳ねた。

 自分にこんなことが──とても想像がつかない。だが、できる気もした。むしろ、なぜかやってみたくなった。


「私に……できますか?」

「もっちろんよー。教えてあげる。ほら、こうやって手を前に構えて──」


 千春が美優の手をとりレクチャーしだす。


「邪魔なものをどかすイメージ。ゴミをゴミ箱に捨てるみたいに──ただ、そう願えばいいの」


 千春の甘い囁きが耳元をくすぐる。

 重ねられた手から千春のミサンガの熱が伝わってくる。自分の手首の熱と共鳴し、思考が白く染まっていくようだった。


 目の前の男はもはや恐怖に顔を歪め、何かを喚いている。

 普段の美優なら可哀想だと思ったかもしれない。

 けれど今は──ただの〈ノイズ〉にしか見えなかった。


 ──うるさい。汚い。私の視界から消えて。


 血管を伝って熱い奔流が指先に集まる。

 美優は目をつぶり、千春に言われるがまま、心の底に沈殿していた鬱屈を吐き出した。


「……えいっ!」


 可愛らしい掛け声とは裏腹に、放たれたのは凶悪な破壊の波だった。


 ドォォォンッ!!


 圧縮された空気が爆ぜる音と共に、男の身体がゴミ袋ごと弾き飛ばされた。

 まるで暴風に煽られた木の葉のように、男はゴミ袋ごと数メートル後方のブロック塀へ一直線に叩きつけられた。

 衝撃で袋が破れ、男は生ゴミにまみれたまま苦しげに呻いていた。


「──あ」


 美優は恐る恐る目を開けた。

 目の前にいた男が遠くで動かなくなっている。

 自分の手を見る。震えている。けれど、それは恐怖の震えではなかった。

 指先から力が溢れ出し、背筋がゾクゾクするような全能感が全身を駆け巡っていた。


 ──やった。私が、やった。

 ──怖いものなんて、もう何もない。


 感動、歓喜、快感──すべてが混じった感覚。初めての体験に、美優の内側がじわりと熱を帯びて溶けていく。


 その時だった。手首の熱がふっと消えた。


 自分が自分でなくなった感覚。自分の意思のようでいて、何かに操られていた──そんな違和感が身体中を這い回った。


「凄ーい! 美優、才能あるじゃん!」

「アハハ! ナイスショット! めっちゃ飛んだ!」


 千春たちが手を叩いて絶賛する。奈々も葵も大爆笑している。

 だがその称賛が急に空恐ろしいものに感じられた。今、自分が簡単に〈越えてはいけない線〉を越えた気がしたのだ。足がガクガクと震え出す。


「わ、私……」


 視界が涙で滲んだ。取り返しのつかないことをしてしまった気がしてならない。


 気づくと、路地を駆け出していた。


 千春が残念そうに、通りに向かって走る美優の背中を見つめた。


「あーあ。行っちゃった」

「仕方ないよ。初めてだったんだもん」

「そうよ。どうせ〈クセ〉になるよ」


 奈々と葵が軽い口調で応えた。




「やりすぎだな。お嬢さんたち」


 その時、ドスの効いた低い男の声が静かに響いた。

 彼女たちの視線の先に、よれたスーツを着た男──烏丸が立っていた。肩で息をしているがその眼光は鋭く、獲物を狙う猛禽類のようだ。


「あ? 誰、このおっさん」

「マジウケる。ホームレス?」


 千春たちは烏丸の鋭い眼光を前にしても怯む様子がなかった。

 烏丸は少女たちの指先にチラリと視線を向けた。


 ──指輪をはめてない?

 烏丸は舌打ちし、懐に入れた警察手帳から手を離した。


 指輪をはめてないのにどうやって力を発動させているのか。それにこちらも指輪をはめていない。戦力差がありすぎる。

 見極めるまでは下手に刺激できない。この状況で〈警察〉を出すのは火に油だ。


「夜遊びが過ぎるぞ、お嬢さんたち。こんなに暴れてたら警察が来るぞ」


 烏丸は少女たちを落ち着かせるように、しかし毅然とした口調で声をかけた。

 だが、今の少女たちにはそれも無意味だった。


「はぁ? キモッ」

「何アイツ、偉そうに」


 千春が不快そうに顔を歪める。

 彼女たちにとって、今の自分たちは無敵の存在だ。説教をしてくる薄汚いオジサンは排除すべき〈ノイズ〉でしかない。


「ねえ、千春。このおっさんも飛ばしていい?」

「いいよ。目障りだし」


 千春が頷くと、奈々がニヤニヤしながら手を突き出した。


 ──来るッ!


 烏丸は瞬時に反応した。長年の勘が殺気を感じ取ったのだ。

 彼は身を低く沈め、地面を蹴って横へと跳んだ。


 ドォンッ!


 直後、彼が立っていた場所のアスファルトが、見えないハンマーで叩かれたように粉砕された。


「へぇ、避けた。上手〜」


 奈々がキャハハと無邪気に笑う。

 烏丸は冷や汗を流しながら立ち上がった。


(マジかよ……指輪なしでどうやって?)


 指輪もなし。拳銃もなし。おまけに相手は子ども。反撃の手段がない。


「次は私ね〜!」


 葵が手を突き出す。

 烏丸は路地の障害物を盾にしながら走り回るしかなかった。ゴミ箱が弾け飛び、看板がひしゃげる。

 頬に破片が掠ったのか、焼けた鉄を押しつけられたような熱が走る。手で拭うと血が滲んでいた。


「ぐっ……!」

「アハハハ! 面白ーい!」


 少女たちの笑い声が路地に響く。


「ちっ、調子に乗りやがって……!」


 烏丸は奥のゴミ集積所の陰に身を隠し、荒い息を吐いた。

 彼女たちは手をかざすことで衝撃波を発生させている。後ろに回り込めたら──だが、一対三だ。危険な賭けだ。

 かといって、このままではジリ貧だ。


「みーつけた」


 頭上から声がした。

 見上げると、千春がゴミ集積所のブロック塀の上に立っていた。彼女の瞳孔は開ききり、もはや自らの意思で動いているようには見えない。


「これで決まりね」


 千春が両手を振り下ろす。

 圧縮された空気が烏丸の頭上で炸裂しようとした、その瞬間──


 バシュッ!


 空気を押しつぶすような音が聞こえた。

 同時に、千春の動きが止まった。瞬時の出来事に彼女の目は宙を彷徨ったままだ。

 千春の身体の周りには黄金色に光る薄い膜のようなものがまとわりつき、空気が固まったように見えた。


物質操作系(コントロールタイプ)!)


烏丸(カー)さん!」


 烏丸が振り返ると、大神が右手を構えていた。人差し指には金色に光る指輪がはめられている。

 横には波木が控え、障壁を準備していた。


「遅えよ……」


 烏丸はニヤリと口元を緩めた。

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