第14話 夜の断片
放課後。駅前へ向かう人波に紛れて、絢音の視界から千春たち四人の背中が消えた。
「……あれ?」
慌てて周囲を見回す。制服の色、スカートの揺れ、声──どれも同じようなものばかりだ。
(ウソ……)
人混みが一気に流れを変えた。改札へ向かう波と繁華街へ流れる波が交錯し、その隙間に四人の姿はもうなかった。
追いかけるべきか、一度立ち止まるべきか。一瞬の迷いが致命的だった。
「……見失っちゃった」
胸の奥が嫌な感じにざわつく。
だが、彼女たちはバスの中で遊びに行く話をしていた。繁華街に向かったのは間違いない。絢音は人混みを掻き分けるように繁華街へと足を向けた。
◇ ◇ ◇
その少し前。烏丸も駅前の繁華街を歩いていた。日もとうに暮れ、通りを歩く人々が徐々に買い物客から酔客へと変わっていく。路地やコンビニの前では、年齢も所属も曖昧な若者たちが楽しそうに──いや、どこか浮ついた様子で騒いでいた。
烏丸は通りから一本入った小さなゲームセンターへ足を踏み入れた。
表通りに面していない少し暗いその店舗は、若者が目的もなくたむろするにはうってつけで、平日の夜にもかかわらず多くの若者たちで混み合っていた。
「あ、カラスのおっさんだ。久しぶり〜!」
前方から見知った少女が近づいてきた。この子も昼間はバイトをし、夜はこうしてこの街をウロウロしている。
烏丸は軽く手を挙げた。
「おう、さっちゃん。元気か?」
「おっさんこそ。やりにきたの?」
「まあな」
烏丸はこのあたりでは「下手なくせにゲームが好きな、家に帰りづらいオッサン」の仮面を被っていた。
やり方を習うふりをしながら相手の懐に入るのは、彼の経歴を考えると朝飯前のことだった。
ひとまず、格闘ゲームの筐体の前にどっかりと腰を下ろし、プレイを始める。
さっちゃんは後ろから烏丸のプレイを見物していたが、ガチャガチャと真剣にスティックを動かす烏丸に、時折苦笑していた。
「相変わらず下手だねー」
「うるせぇ。運が悪いだけだ」
「はいはい。ほら、ガード甘いって」
「分かってるっての」
画面の中で、烏丸のキャラがあっさりと吹き飛ばされた。
さっちゃんは肩を揺らして笑う。
「マジ弱いよね。昔から変わんない」
「放っとけ。年だ」
コインをもう一枚、筐体に落とす。
「しかし、最近は特に賑やかじゃないか? この辺」
「んー、まあね」
さっちゃんはスマホをいじりながら、気のない返事をした。
「だって、今日も通りの方、凄い多かったぞ」
「だよね。何かさ、色んな子が来てる。イイところの学校の子も見るよ」
「イイところ?」
「うん。例えば聖成とか、四ツ葉とか、色々」
「四ツ葉って、あのお嬢様学校のか?」
「そうよ」
「うへえ、マジか」
──ビンゴだな。
軽く返事しながらも、烏丸の視線は画面から一度も外れない。
「でね、そんな子狙ってヤバめな連中が声かけてる」
「……半グレとか?」
「まあ、そんなとこ。なんのためかは知らないけど、カネになると思ってんじゃない?」
さっちゃんは吐き捨てるように話した。
「ただのナンパもいるだろうよ」
「まあね。実際いたし」
「そうなの?」
「そ。祐一ってやつ。誰彼構わず手ぇ出しててさ。金回りがイイからって調子コキすぎだったんだよ、アイツ」
「なんかあったのか?」
さっちゃんは少し声を落とした。
「死んじゃったみたいなんだよ。なんか、殺されたって話」
「そりゃ物騒だな」
また、烏丸のキャラが吹き飛ばされた。「KO」の文字がデカデカと表示される。
「キャハハ。また負けてんの。今日は他のにしなよ」
「うるせえ。ラスイチだ」
さっちゃんは「あ、友達からだ。じゃあね」と、スマホの通知を見ながら去っていった。
コンティニュー画面を見つめたまま、烏丸はコイン投入口から手を離した。
深追いはしない。今日はここまでだ。
──祐一……高峰か。女にだらしないタイプだったのか──捜査資料にあった、高峰の軽薄な顔を思い出した。
(女関係から当たるか。手当たり次第だったみたいだし、案外すぐに見つかるかもな)
烏丸は席を立ち、ゲームセンターを後にした。
ゲームセンターを出ると、夜気がひんやりと肌にまとわりついた。
烏丸の目の前を女子高生数名が通り過ぎた。──あれは四ツ葉の制服だったな。少女たちは、おどけながら仲の良い様子で裏通りを歩いていった。
あのまま程良いところで切り上げて、まっすぐ帰ってくれたらまだ可愛げがあるんだが──烏丸は内心ため息をついた。
烏丸は女子高生たちとは逆の方向へ少し歩くと、飲み屋が立ち並ぶ路地へ入った。
一杯飲んでは次の店へ──はしご酒が好きなサラリーマンの仮面をかぶり、パズルのピースを丁寧に拾い集めていく。
「ああ、そのあたりの人たちだったら、咲希さんが付き合いあったっぽいですよ」
数軒目の店で、烏丸が懇意にしている黒服がそっと耳打ちしてきた。
「そうなんだ。それで、咲希は?」
「ああ、ついさっき早退しちゃいました。最近調子が悪いのか、やる気が見えなくて……店長の機嫌が悪くなるんで勘弁してほしいんですけどね」
困ったような表情で苦笑いする黒服に小遣いを握らせ、烏丸は店を後にした。
咲希──口が悪く素っ気ない対応をするが、妙に客から好かれている女だ。まだ、そう遠くまで行ってないはずだ。近くを探す。
やがて、焼き鳥屋の脇の自販機の前で煙草を吸っている女がいた。咲希だった。わざとらしく前を通る。
「……カラスのおっさん」
案の定声をかけられ、烏丸は足を止めた。
「おぉ、誰かと思えば」
しっかりと笑顔で驚いてみせる。
「久しぶり。おっさん、まだ、こんなとこウロウロしてんだ」
咲希は煙を吐きながら、あいかわらずの口の悪さを見せた。だが、その口調に力はなかった。口元に浮かべた薄い笑みも形だけに見える。
「お前こそ、どうした?」
「ちょっとね」
彼女はそう応えると、アスファルトに煙草を擦りつけた。
「なんだ、彼氏とケンカでもしたか?」
「いや、とっくに別れてるよ。そんなんじゃなくてさ……死んじゃったんだよね」
「え?」
「あいつ、色んな女にちょっかいかけるからさ、ムカついて別れたんだけど、死ぬとやっぱりショックでさ」
「……死んだ?」
「そ。あっちのビルで」
咲希は通りのはずれの方へ、火の消えた煙草の先を向けた。
──高峰のことだな。まったく、あっさり本人と繋がりやがった。ホント、どうしようもないヤツだな。
内心で呆れていた烏丸に、咲希は続けた。
「あいつさ……見境なかったよ。高校生まで引っ掛けてさ」
「高校生?」
「そう。笑っちゃうよね」
「そうか……どこの子だったんだ?」
「知らない。でも、前偶然会った時、『お嬢様はチョロい』って言ってスマホ見せてきたのよ。元カノなのに。信じられる?」
「お嬢様?」
「そう。イイとこの学校じゃない? なんか紺のブレザーにグレーのスカート」
──繋がった。おそらく〈四ツ葉〉の制服だ。
先ほどの女子高生の後ろ姿が脳裏に蘇る。
「世間知らずのお嬢様だもん。どんな男か知らなかったのかもね」
烏丸は、何も言わなかった。
高峰と四ツ葉の生徒の繋がり──単なる女漁りだけとは思えない。猫田の調べでは、学校まで行っているという。四ツ葉に何があったのか。
そして、殺されたのは本当に単なるサイコジャンキーの暴走のせいなのか。
もう少し確証が欲しかった。
烏丸はさらに裏通りを進み、やがて人通りのない細い脇道へ入った。周囲をチラリと確認しながら、警察無線のイヤホンをつける。しばらく歩くと、ビルの一階に重厚な木製の扉が見えた。
扉を開けると、ガランガランと重い鐘の音が鳴った。中は席が五、六席の狭いバーだった。カウンターでは四十代と思しきマスターがグラスを磨いていた。
「あ、烏丸さん。お久しぶり」
「やあ、マスター。ご無沙汰」
店内に客がいないことを確認すると、烏丸はマスターの正面に腰掛けた。
「ロック、ダブルで」
それは、烏丸が「ただ単に酒を楽しみに来たわけではない」という、マスターとの符丁だった。
マスターは静かに頷くと、氷をグラスに落とした。カラン、と澄んだ音が小さな店内に響く。
「……何かありました?」
グラスが差し出される。
烏丸は一口含み、喉を焼く感覚を確かめてから口を開いた。
「高峰──高峰祐一。知っているか?」
マスターの手が一瞬だけ止まった。
「ええ。知っています」
「最近、死んだ」
「ええ。それも聞きました」
マスターはグラスを磨きながら答えた。
「派手に飲む客でしたね。よく例のグループで来てましたよ」
「そうか」
烏丸はグラスをカウンターに置いた。
カタン、と硬質な音が響く。
「どんな話をしてた?」
マスターは少しだけ声を落とした。
「……仲間に、『カマをかけた』って話してました」
「カマ?」
「ええ。冗談半分みたいな口ぶりでしたけどね」
磨いていたグラスをゆっくりと棚に戻す。
「『思ったよりデカいのが釣れた』って」
烏丸の眉がわずかに動いた。
「何が釣れた?」
「さあ。ただ……」
マスターは言葉を選ぶように一拍置いた。
「『金と女が、まとめて手に入る』って」
「……あいつも好きだな」
「知ってるんですか?」
「さっき聞いてきた」
安っぽい自慢話のようにも聞こえる。
だが、その言い方が引っかかる。
「仕事の話か?」
「本人は、そう思ってなかったでしょうね」
マスターは苦笑とも取れる表情を浮かべた。
「ただ、調子に乗ってる感じでしたね。自分が〈うまくやってる側〉だって」
「バカなやつだ……」
「ええ……多分、分かってなかったんだと思いますよ」
烏丸はグラスを持つと、もう一口グラスを傾けた。
「内容は?」
「さあ、そこまでは。その後すぐに殺されましたからね。分からずじまいです」
──まあ、間違いなくその〈釣れた〉やつにヤラれたな。
烏丸はグラスの中の氷がゆっくりと溶けていくのを眺めていた。
高峰は入口にすぎない。
──それだけは確信できた。
烏丸はグラスを空け、静かに立ち上がった。
次はどこでネタを拾うか──情報を整理しながら細い路地を歩く。
その時だった。イヤホンから無線が流れた。
『警視庁より各局。△△四丁目路上にて傷害事案入電。観念動力のような力で吹き飛ばされたと通報。なお、発光現象は確認されていないとのこと。通報者は当事者男性。マル被の人着、高校生ぐらいの少女複数、紺のブレザーにグレーのスカート。現在も現場付近にて係争中の模様。付近移動およびマル四は現急願いたい』
──観念動力──指輪持ちか。しかも、四ツ葉の生徒ではないのか? だが、発光現象がない? 聞き間違いか……?
烏丸は首を捻った。指輪の現象としては少し違和感がある。普通、指輪は何らかの形で〈光る〉ものだ。
とにかく、現場に一番近いのはおそらく自分だろう。
だが、烏丸は一瞬躊躇した。このあたりでは正体を隠して活動している。面が割れるリスクは極力取りたくない。四特の他のメンバーが先に臨場できればよいが。
とはいえ、先日の雨の日のように何だかんだと言い訳して避けるわけにもいかない。
短くため息をつくと、烏丸は路地を小走りで歩き出した。
◇ ◇ ◇
絢音は、繁華街の通りを行ったり来たりしていた。このあたりで遊ぶならこの通り沿いかと思ったのだが、四人の姿は見当たらなかった。カラオケやゲーセンにいるのか。それならここでウロウロしていても見つからない。途中、幾人かの男に声をかけられたが適当にあしらい、建物を出入りする人々を凝視していた。
ふと、あきらかに早足で、人の流れから浮いた人影がこちらへ向かってくるのが見えた。
(あれってうちの制服じゃ──って、美優ちゃん!?)
美優は真っ青な顔で、うつむき加減に絢音の横を足早に通り過ぎた。彼女はあの人たちと一緒にいたはずだ。何かあったのか? それとも何かされた?
絢音が振り向き、美優の方へ向かおうとした時──
「お姉さーん、何してんの?」
急に目の前を酔っ払いに塞がれた。
「今、忙しいんです!」
「またまた〜、遊ばない?」
「結構です!」
酔っ払いの肩越しに、彼女が人混みに消えるのが見えた。また見失ってしまった。
「もうっ!」
美優を追いたいが、もう無理だ。それに、あきらかに怪しい先輩たちも気になる。美優はこの先の方からやってきた。もしかすると路地から出てきたのかもしれない。
(あっちの方かな? もう、どこから来たのよ!)
絢音は酔っ払いを振り切ると、美優が来た道を辿るように駆け出した。




