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指環の執行官──警視庁捜査一課第四特殊犯捜査係  作者: 柊ユキヤ


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第13話 結び目

 四ツ葉女学院の学食は、歓談の声と食器の音が上品で軽やかなハーモニーを奏でていた。その一角で、絢音も友人二人とテーブルを囲んでいる。

 だが、絢音は少し離れたテーブルの方へ意識を集中させていた。


 そのテーブルでは、三年生のグループがまるでハーモニーをかき乱す不協和音のように甲高い笑い声を上げていた。

 一見ただの悪ふざけのようにも見える。だが、彼女たちの目はどこか浮ついた様子で視点が定まっていない。

 あまりの耳障りさに周囲の生徒が眉をひそめる。


「もぅ、やめてよー。ウケる〜」


 一人の生徒が隣の生徒の肩を軽くはたいた。

 その瞬間だった。はたいた生徒の袖口が見えた。その手首にはあの〈ミサンガ〉があった。


 やっぱり──絢音はもう一度だけその腕に視線を送った。


「絢音、どうしたの?」


 絢音の右に座る友人──遥の声に、はっと我に返る。


「ううん、何でもない」

「ねえ絢音。あの人たち、何だか……浮いてるよね」

「そうね……」

「なんか、夜も結構遊んでるんだって」


 先日の、食卓での大神との会話を思い出す。

 それとなく、一歩踏み出してみる。


「え、やっぱ、補導とかされちゃってるのかな?」

「さあ、そこまでは。だって先生たちも、補導されたなんて何も言わないじゃない」


 遥は、何でそんなことを、というような顔を見せた。


「……そうよね」


 でも、十分ありえる。


「私、駅前の繁華街であの人たちよく見るよ」


 左に座る麻衣が、パスタをフォークでクルクル回しながら会話に加わった。


「そうなの?」

「うん。私、あの辺の塾に行ってるから」

「あの人たち、何て名前だったっけ?」

「え? いや、よく知らない」


 補導、夜の繁華街、ミサンガ。

 頭の中で、点が静かに並び始めていた。


「さ、早く食べて中庭に行こうよ。ああも騒がしくちゃ、何だか落ち着かないし」


 すでに食べ終わっていた遥が二人を急かした。


 だが、絢音は向こうのテーブルからどうしても目が離せなかった。彼女たちのどこか焦点の定まらない瞳。悪ふざけとは違う、しかしうまく言葉にできない違和感を覚える振る舞い──そのまま放っておくには危険な匂いを感じた。


(放課後、つけちゃおうかな)


 ──ミサンガの子、見かけたら教えてくれ。

 大神の言葉がふと頭をよぎった。

 ただ見かけたというだけでは何の情報にもならない。何をするのか、噂になっていることは本当なのか──この目で確かめたかった。


「ほら、絢音も早くぅ」

「分かった分かった。待ってよぉ」


 絢音はうどんをズズッとかき込んだ。



   ◇ ◇ ◇



 放課後の図書館は、昼間の学食とは対照的に静寂が満ちていた。外の喧騒が嘘のように遠のき、時折ページをめくる音や椅子を引く微かな音だけがやけに大きく響いていた。


 本日、図書委員の当番だった美優はカウンターの中で返却された本を整理していた。

 背筋は伸び、動きに無駄はない。いつもと変わらない図書委員の仕事だ。


 ──なのに。


 胸の奥が妙に軽かった。

 理由は分からない。

 ただ、今まで泥のようにまとわりついていたものが嘘のようになくなっている。


「……」


 無意識に、右手首に触れていた。

 袖の下にある、あのミサンガが指先に微かに当たる。それだけで何かを確認できたような気持ちになった。


 カタン──


 入口のドアがやや乱暴に開いた。


「ちーす」


 間延びした声と同時に図書室の空気が一段階だけ騒がしくなる。美優が顔を上げると、そこに立っていたのは上條千春だった。


 三年生。昼の学食で甲高く笑っていたグループの一人──いや、中心だ。


「……上條先輩」


 美優は一瞬、言葉を探してから名前を呼んだ。


「え、まだ当番やってんの? マジ真面目〜」


 千春はそう言いながらカウンターに肘をついた。制服の着崩しは相変わらずで、袖口から例のミサンガがチラチラと覗いている。


「先輩、最近……当番、来てませんよね」

「ん? あー……そうだっけ?」


 興味なさそうに肩をすくめる。


「別にさ、私一人来なくても回るじゃん? 図書委員なんて」


 その言い方に、美優は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 前なら少し腹が立ったはずだ。でも今は、ただ「そうかもしれない」と思えた。


「ねえ、それよりさ」


 千春は声を潜めるでもなく気軽な調子で続けた。


「ヒマなんだけど。今日、遊ばない?」

「……遊ぶ、ですか?」

「うん。友達もヒマしててさー」


 千春は指先で机をトントン叩く。


「その子、彼氏と連絡取れなくなっちゃってさ。急に既読もつかなくなったみたいで、意味わかんなくない?」


 美優の指がぴたりと止まった。


「……彼氏さん、ですか」

「そうそう。まあ、どー見てもロクでもないヤツっぽかったけどね」


 軽く笑う。

 その笑顔は昼間の浮ついた笑いと同じだった。その目はやはり、目の前の美優を見ているようで見ていない。


「そんなわけで、ウチら、みんなヒマなの〜」


 ヘラヘラと緩んだ表情を見せる千春。


「で、どうする?」


 普段なら、図書委員の当番を終えたら、まっすぐ帰宅するか、塾へ行くか。そこには何もない。


 前なら、断っていた。

 前なら、塾や当番を理由にした。

 前なら──


「……少しだけなら」


 気づいた時にはそう答えていた。


「よっしゃ。じゃ、決まりね」


 千春は満足そうに笑い、踵を返す。


「当番、チャッチャと終わらせなよ。バス停で待ってっから」

「……はい」


 千春はフラフラと浮ついた足取りで図書室を後にした。




 カウンターの奥の書庫から、一年生の図書委員が心配そうに顔を出した。


「……美優先輩。大丈夫なんですか?」

「何が?」

「だって……上條先輩、最近あまりいい噂聞かないですよ」

「そう?」

「はい、繁華街に出入りしてて……補導もされたらしいって」

「……大丈夫よ」


 千春とは昨年からの付き合いだ。快活で面倒見も良く、美優は彼女のことを嫌ってはいなかった。だが、今年に入ってからの変貌ぶりは誰の目にもあきらかだった。

 以前の自分なら、この後輩のように眉をひそめただろう。


 だが──


 今はとても眩しく見える。


 美優は貸出カードをトントンと揃えると、無意識のうちに自分の右手首を見下ろした。袖に隠れているが、ミサンガの不思議な感触を感じる。


 ──大丈夫。きっと楽しい。


 そんな言葉がどこからともなく浮かんだ。

 その言葉は自分の思考なのか、それとも手首の脈動が囁いたのか。美優にはもう区別がつかなかった。



   ◇ ◇ ◇



 同じ頃。一階のカウンセリングルームで、西園寺は事務作業をしていた。ピロン、とパソコンの画面に通知が現れる。


「あら、もう反応したわね」


 西園寺が通知をクリックすると、校内の地図が立ち上がり、そこには色の異なる印がいくつも浮かび上がっていた。


「豊嶋さん……やっぱり、反応は良好ね」


 西園寺は自分の判断を確かめるように、静かに頷いた。


「さあ、自由になるのよ」


 わずかに口角を上げる。

 画面を見つめるその瞳は、スクールカウンセラーのそれとはかけ離れたものだった。

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