189 謎の聖職者
よし、じゃあ山越えだと兄妹は意気込んで立ち上がる。まずは人気のないところまで歩いて憑依しよう、そう二人で確認しあったそのときだった。
「旅の者、ちょっといいかい?」
不意に声をかけられ、ライアスが「えっ?」と振り向く。
見れば城門から一人の女性が歩み寄ってきていた。
聖職者なのだろうか、フードを深々と被り、口元にはスカーフを巻いている。
声色だけで判断すれば四十歳くらいか。穏やかな口調だが、目元だけが覗くその装いからは表情が窺えない。
女性はゆったりと近付いてくる。正体不明のその姿に、兄妹は思わず身構える。
すると女性は二メートルほどの距離を残して立ち止まった。
「な、なに?」
ライアスが女性の目元を覗き込みながら、訝しげに尋ねる。
しばしの間の後、女性はスカーフ越しにその口を開いた。
「すまないね。単刀直入にひとつ尋ねたい。……イリューア、という娘を知っているかい?」
「えっ?」
ぎくり、と兄妹の心臓がせり上がる。
イリューアについては今しがた話をしたばかりだ。エラセドの人間に彼女の生存を知られるわけにはいかない。
ライアスは無表情でやり過ごし、フライアもグッと歯を食いしばってどうにか表情を隠し、兄の後ろへと隠れる。
「……知らないな。なんで急にそんなことを聞くんだ?」
動揺を悟られないよう、声のトーンを変えずに応じる。
そんなライアスに対し、女性も口調を変えることなく言葉を続けた。
「その娘は少し前、アトリア軍の一人と相打ちとなるようにノースライフ山脈の谷底へ落ちたと聞いてね。それ以降、消息が掴めていないのです」
ライアスは「ふーん……」と気のない返事をして頬を掻く。そうして知らぬ素振りを装いながら、内心ひどく動揺している。
なにせ相打ちをしたその当人が自分なのだ。
とはいえ、まさかそうだとは分かるまい。彼女の口ぶりからしてよそ者が通ったから声をかけてみた、というくらいのことだろう。
……だが、女性はこう言葉を継いだ。
「その時のアトリア兵は、金髪の、青い鎧を身に着けた青年剣士だと聞いた」
(……っ‼)
兄妹は内心で声にならない叫びを上げる。フライアの身体がぴくんと跳ねた。
兄の方はどうにか堪えて、「んん?」と疑惑の視線で返す。嘘を吐いた、などと今更言えるはずもない。
「……なんだよ、それ。俺が犯人だとでもいうのか?」
そう言ってジロリと睨みつける。
だが女性は動じることなく両手を広げ、平然と口を開いた。
「いや、聞きたかっただけだよ。ここを訪れる人も、そう多くないからね」
ライアスは睨みつけていた目を見開き、ぱちぱち瞬きをする。
女性の言葉には怒りではなく、哀愁や悲嘆のようなものが漂っていた。
(この人、なんだろう? 誰なんだ?)
騎士の掟に反した者を裁くつもりなら、もっと噛みついてきてもいいはずだ。
だがそれどころか、女性の声には生気が感じられない。
その目的が分からず見守っていると、女性は一息ついてからこう口にした。
「そうかい。ではもし、もしも本人に会ったら、こう伝えておくれ」
そう言って、またゆったりと近寄ってくる。
「……っ! 待てっ‼ 何する気だっ!」
「っ!」
あまりの不気味さにライアスが仰け反り、その背中に押されてフライアもよろめく。刃物でも忍ばせていたらたまったものじゃない。
だが女性はやはり落ち着いた様子で、「何もないよ」とばかりに両手をかざし、首をゆっくりと横に振ってみせた。
「ナイフなど持っていないよ。騙し討ちなんて、この都が一番嫌う外道だよ。耳を貸しておくれ」
ライアスは身構えたまま「……ん?」と呟き、女性の目を見据える。
……彼女の言葉を鵜呑みにしてよいのか? そう迷いながら、ライアスは女性が近付くのを待って片耳に手を添える。その後ろではフライアが固唾を呑んで成り行きを見守っている。
そうして身を固くする兄妹に、ゆっくりと、優しげな声が届けられた。
「『親のことは気にせず、自分の思うままに生きなさい』、と」
「……へ?」
思いがけない言葉にライアスが顔を上げる。
だが女性はそれ以上何も言わず、会釈をして身を翻すと城門の方へと戻っていった。
「え……あれ?」
ライアスは呆然とそれを見送りながら、ふと自身の手の平に目をやる。全く気付いていなかったが、その手にペンダントのようなものが握られていた。
「えっ、ちょっ……。ま、待てよ!」
それは耳打ちの際、女性に持たされたものだった。先程の言葉といい、思わず呼び止めずにはいられない。
だが、その呼びかけに女性が振り返ることはなかった。
女性はとうとう門の先へと姿を消し、それを見届けた兄妹は顔を見合わせる。
「……今、『親のことは気にせず……』」
「『自分の思うままに……』」
囁くようにライアスが言い、フライアが続く。最後は二人、
「『生きなさい』」
小さく声を合わせて復唱した。
「あの人は、じゃあ……!」
ピンと来て、思わずライアスが声を大きくする。
「……っ!」
だが、フライアが咄嗟に兄の腕を掴み、言葉の続きを遮った。落ち着いて考えればここで話す事柄でないのは明らかだ。
ライアスもそれに気付いて頷き、妹から山の方へと視線を移す。
「……ああ、わかったよ。山を越えよう」
思い起こせばついさっきまでは時間のことばかり気にしていた。ゆっくりここに留まってはいられないのだ。
兄妹は気持ちを切り替え、再びノースライフ山脈へとその足を踏み入れる。




