187 シガイチに埋もれて
翌日、兄妹は昨晩に残った薪割りと作業場の整備を頼まれた。
前の日は気付かなかったが、よく見ると工具のほとんどは使い古しで刃こぼれも多い。ファブマーレンに話を聞けば、こうした整備ができる人が商会にいないのだという。
「一流の商才や経済学知識を持ってアメラモウル商会に入ったのにこんな雑務をやらせるのか!」
それが部下たちの不満のひとつだと聞いた。
「一流……。雑務……」
「高給取りの言うことは違うんだな」
誰もいない作業場で兄妹がぼそぼそと呟く。
奇遇にも、こうした小道具の整備こそ兄妹は夢中になってできることだ。商いの知識など聞くだけで眠くなってくる。
「……それが金の差になって現れるんだろうけどな」
「うん……」
そこまでを口にして兄妹が黙った。
ファブマーレンと話しているとつい給料や報酬手当の話が聞こえてくる。いずれも、兄妹が想像するのとはまるで違う次元の金額が聞こえてくるのだ。
しかたないことだ、と自分たちを戒めるものの……ついそのほんの少しでいいから恵んでほしいという欲が働く。これ以上の意識は嫉妬にしかならない。
薪を束ね終え、工具の状況を一通り確認した兄妹は使用感がほとんどない砥石を見つけて作業に入った。
北の地の寒さにも少し慣れ、一日を作業場整備で過ごしたその翌朝。変わらず冷え冷えとした空気ながら、からりと晴れ渡った穏やかな日和だった。
もてなされた朝食をしっかりとった兄妹は、アトリアへと戻る準備をはじめた。折よく快晴だが、ファブマーレンによるとこうも晴れるのは割合珍しいのだという。
持ち帰る報告書が十数枚に渡って記載され、大判の封筒にまとめられていく。ちらりと内容を見せてもらうと、『改善・提案事項』と題していくつもの項目が並べられている。その丹念で綿密な内容に、兄妹は舌を巻いた。
「すげえや。俺たちの報告の書き方と全然違うな」
「うん……」
是非参考にしたいところだが、これは誰にも見せずに渡さなければならない。それがマルコスとの約束事だ。
兄妹のちょっとした確認の後、報告書はファブマーレンの手によって封筒に入れられ、その口が綴じられた。それを受け取り、フライアが大切に鞄へとしまう。
帰還に際し、ファブマーレンは船での移動を提案してくれた。
だが、兄妹には今やすっかり板についた毛皮のベストを返却しなければならない。申し出を丁重に断り、再びノースライフ山脈を越えることを告げる。
するとあろうことか、昨晩夕食として供されたスパイシーカレーがたっぷりと塗り込まれたサンドイッチを拵え、それを弁当として渡してくれた。
路銀が枯渇寸前の中でこの厚意には兄妹も脱帽だ。フライアは何度も頭を下げながら弁当を受け取った。
「……すげえ助かるよ」
ライアスが心に染み入って礼を述べると、ファブマーレンは「ほっほ」と笑った。
「軽い足しにしかならないでしょうが、では、よろしく頼みます。次会ったときはもう少しここを開拓しておきたいものですな」
軽く一礼して返し、兄妹は別れを告げる。
「ああ、世話になった。ありがとうな」
「お世話になりました」
フライアが深々と腰を折って頭を下げた。
そうして宿舎を後にする兄妹を、ファブマーレンは店先まで見送りに来てくれた。
「道もところどころ凍っております。くれぐれも、道中には気を付け……」
「「だあっ‼」」
言った傍から、とはこのことだ。入り口の階段で足を滑らせた兄妹は揃って奇声を上げる。……凍結しているのに気付かずすっ転んでしまった。
幸い頭を打つようなことはなかったが、痛みよりも恥ずかしさの方が先行する。二人して慌てて立ち上がり宿舎を見上げると、ファブマーレンがくっくと苦笑を漏らしていた。
「……大丈夫かい?」
ライアスは「あ、ああ」と口ごもりながら身振り手振りで無事を伝える。
「思ったより派手にいったけど、大丈夫。……。えっと……じゃあ、行くよ」
……なんとか誤魔化したつもりだが、何とも締まりのない出立となってしまった。
「では、よろしく頼みますぞ!」
それでも、ファブマーレンは遠ざかる兄妹にもう一度声を上げた。
二日に渡って温かく世話をしてくれたファブマーレンは最後まで朗らかで、ゆっくりと手を振って兄妹を見送った。




