186 大商会を支える男
作業場から身なりを整え、兄妹はファブマーレンに聞いた食事部屋へと向かう。
その扉を開くと、既に温かなスープの香りが漂っていた。小さな部屋に三人分の食事が用意され、テーブルにはファブマーレン一人が座っている。
「あれ? 俺たちだけで?」
ライアスが言うと、ファブマーレンは「ほっほ」と笑ってみせた。
「本当は大勢揃って食べたいんですがね。ここは狭いし、仕事も尽きない。少し寂しいのですが、こうして何組かに分かれるほうが合理的なのです」
そういうものなのか、と考えているうちに腹の虫が鳴る。
兄妹はテーブルにつき、食事の礼を告げてファブマーレンと乾杯をする。
夕食をとりながら、しばし懇談の時間となった。
「私たちはマルコス様、というよりは彼の父マラバッサル様のご意向で、このエラセドの地に商会の根をつけようと一年ほど前に乗り出しました。ところが、エラセドの要塞内への進出は何度試みても許可が下りず、やむなく一旦この『死骸地』と呼ばれる場所に居を構えたのです」
ファブマーレンはこれまでの経緯をしみじみと説明した。マルコスの父については何度か話を聞いているが、ここでも影響力を持っているようだ。
そういうことか、とライアスは納得する。
「じゃあ、マルコスが仕切ってるわけじゃないのか?」
浮かんだ疑問をそのまま口にすると、ファブマーレンは首を振った。
「いえ、形式は私もマルコス様の配下で、これを仕切る責任者はもちろんマルコス様です。ですが、父上様もお厳しい。ナシラでまだ誰も市場開拓に手を打っていないエラセドの取り仕切りを息子様に任せようとしている。今後を担う教育とはいえ、とんだ計画を考えられたものです」
そう言って小さく吐息する。
確かにマルコスはそんなことを話していた。サダルメリク以外に市場をゼロから開拓してみろ、と父親に言い渡されていたのだ。
だが、とライアスは首をひねる。事は狙い通りに進んでいるのだろうか。
「ああ……ここをエラセドって言っていいのかわからないもんな」
エラセドとはいえ、ここはその辺境にある《死骸地》なのだ。
ファブマーレンが頷く。
「ええ、地図で確認していますが、おそらくここはこの大陸の最北端に位置する集落と言ってよいでしょう。マルコス様に正確な位置と情報をお伝えしたらきっと目を丸くすることでしょうな」
言いながらふっふ、と含み笑いをする。
その物言いからも計画が上手く進んでいるとは思えないが、ファブマーレンは一貫して朗らかだ。アメラモウルの親子を完全に熟知しているかのように、心配の素振りすら見せようとしない。
「……あの、長いんですか?」
フライアがおもむろに質問をした。
言葉足らずのそれに、ファブマーレンが「ん?」と首を傾げる。それを見てライアスが補足した。
「話を聞いてるとかなりマルコスと親父さんを知ってるみたいだけど、ずっと一緒なのか?」
するとファブマーレンはにっこりと微笑んだ。
「ええ、それはもう、マラバッサル様に一筋。他に取り付く当てもない老いぼれです。彼も長く商会の長に立ち続けておりますが、持病を持たれていらっしゃる。いつでも交代できるようにと、数年前から後継ぎとなるマルコス様の教育に力を入れられ、私もそのお目付け役としてお傍に控えている次第です」
包容力を思わせる穏やかな口調でゆっくりと語ると、喉の渇きを潤すようにお茶を口へと運ぶ。
「……先ほどの通り、開拓計画は一年ほど前から始めましたが、実際ここに拠点を構えたのがそれから半年ほど経ってからです」
ファブマーレンは日々を振り返りながら、これまでの経緯をゆっくりと語った。
「エラセドとも言い切れないこの環境で試行錯誤していましたが、最近になって思わぬ形で需要が芽生えました。ここは作物が育たない厳しい環境で、しかもここでは騎士としての権限を剥奪され、手斧やつるはしなど、日用品以外の金属の錬成が許されない。ですが、ノースライフ山脈の鉱脈から鉱石は取ってこなければならず、集落として成り立たせるためには木材や石材の加工は欠かせない。そんな労働者を支える食材や傷薬、作業着やその裁縫道具がとても重宝されることに気が付いたのです」
話を聞きながら、兄妹はこくこくと頷く。
ここに来てはじめて話をした男もこの商会を『よろず屋』と表現していた。他では珍しくない日用品もここでは貴重品なのだろう。なにせ大陸の最北という厳しい環境、それも都から追放された者が送り込まれる辺境の地なのだ。
ファブマーレンが言葉を続ける。
「『騎士の死骸地』と言われるくらいに、ここはエラセドでも特に低くみなされ、対策が後回しにされがちな場所と聞きます。以後、私たちは交通手形を使い、手間も労力もかかりますが、アトリアや船を経由して、アルニラムやシェラタンからここに日用品を運ぶ貿易ルートを作り始めております」
ライアスはふむ、と顎に手をやる。
「それなら……大成功じゃないのか?」
商売のことはよく分からないが提供できる商品と必要とされる品々が噛み合っているのだ。それが集落の人々の助けにもなっている。辺境の地とはいえ、ここもエラセドであることには変わりないのだから、十分に市場を開拓したといえそうだ。
だがファブマーレンは苦笑いを浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、まだまだ。貿易としては大赤字です。運んでくるにも距離があります。必然的に資金も時間もかかりますが、かといってここでは無暗に物価を上げてもお客さんが買えなくなるだけです。しかし、頼りにしてくださる人々がいるということがわかっています。ここを足掛かりに、エラセドを開拓するとなれば本部からの働きかけも必要になるでしょう。マルコス様にはこの状況を理解いただき、今後の貿易戦略を考えていただくようにと思っております」
その説明に兄妹は小さく吐息する。商売というのは想像以上に難しいもののようだ。
そのとき不意に食事部屋のドアがノックされた。ファブマーレンが「入れ」と合図を返すと、彼の部下と思しき若者が一冊のノートを手に部屋へと入ってきた。
「ファブマーレン様、ご指示の通り、意見をまとめて参りました」
ファブマーレンが頷き、差し出されたノートを手に取る。
「ご苦労。見させてもらう」
言いながらノートをゆっくりと傍らに置き、退出を促す。
ところが部下は下がろうとせず、その顔をずんとファブマーレンに近付けた。
「私からも、ですがいろいろな意見が出ました。ぜひ、マルコス様には強くご主張いただいて……」
何やら熱のこもった口調でそう告げる。苛立っているかのような、険のある言い方にも感じられた。
そんな部下に対し、ファブマーレンは落ち着け、と手を前にかざしてみせる。
「わかっとる、わかっとる。不満を書き連ねたのだろう? 良い機会なのだから、急かすんじゃない」
それでも部下は引き下がらず、くどくどと主張を口にする。ファブマーレンと部下のやり取りはそのまましばらく続いた。
ようやく気が済んだのか、部下は興奮冷めやらぬまま靴音を鳴らしつつ部屋を出て行った。
その後ろ姿を見届けると、ファブマーレンは兄妹と視線を合わせてふふ、と笑みを浮かべる。
「……部下にも交代で、ナシラからの長距離移動や極地での生活を強いてしまっておりますゆえ、この改善も必要です。貿易や商売は人助けとなっていることが大前提ですが、それだけでは成り立たないのです」
それは彼の立場ならではの苦悩なのだろう。
ライアスは手にしていたフォークを皿に置くと、腕組みをしてうーんと唸る。生活に困っている人々が助けられるのは誰もが望むことだが、ときには助ける方にだって苦難がつきまとうのだ。
「なるほどな……」
ため息交じりに呟いた。
そんな兄妹の様子を見て取って、ファブマーレンは言葉を続ける。
「その難しい舵取りをマルコス様が行うわけですから、ここはしっかりと支えなければならないところです。最近まではアトリアとの交戦で報告がしばらく途絶えておりました。だからこそ今回、この状況を踏まえた、しっかりとした報告書を持っていっていただきますぞ」
「ああ、わかった」
兄妹は納得したように揃って頷いた。
単に宿と飯にありつけられただけではない。
この地を拠点にアメラモウル商会が奮闘していることを知り、エラセドの事情にも触れられたこと。
上手くは表せないが、それは兄妹にとってただのおつかいで済まない、貴重な話に思えた。




