181 騎士の都エラセド
フライアが憑依してからさらに一時間あまりが経過した。
憑依さえしておけば体力を温存できるのはもちろん、寒さも受け付けることはない。
だが、一方のライアスにも限界が見えてきた。ため息にも近い白い息を吹いているのがフライアにもわかる。
「はあ……。まだ、エラセドには着かないのか……?」
宙に浮かぶ妹を連れながら、足取りは重くとも、ライアスはその歩みを止めようとはしない。
聞いた話ではもう山道を越えていてもおかしくない。
延々と続く山陰の中を進みながら、本当に終わりが来るのだろうか。
そんな思いに駆られたそのときだった。
「おわっ……!」
山壁を抜けて視界が開けたその先、その都はたちどころに現れた。
僅かに下った山道のその眼下、壮観な街並みが広がっている。それは思わず息を呑むような光景だった。
霜か雪か、やや白みがかった大地の先にそれはあった。街の外縁を堂々たる城壁が囲い、内に広がる城下町はいかにも近代的で、ところどころ白い蒸気が上がっている。
そしてその奥には、優雅さを備えた要塞であるかのような城が高く屹立している。
その規模はアトリアを遥かに超えていた。
「ここが騎士の都、エラセド」
(山の先に、こんな大きい都が……)
兄妹はしばしその光景に目を奪われた。
地図上で読み取れる地形からは、鉱山や針葉樹林を有する辺境の地でしかなかった。
そこからはシェラタンと似通ったところがあるかと想像していたが……。静かながらに活気に満ちたその厳かな威容は、故郷とはまるで違うものだ。
「……あんなでかい都の中から一人の商人を探すのか」
その光景に圧倒されながら、兄妹は都の城門を目指して山道を下っていく。
──そうしてまた数十分。城門の近くまでたどり着いた兄妹は、その門扉を見上げて唖然とする。こうも荘厳な城門は今まで見たことがない。
人影のないところで憑依を解き、二人で城門へと近付いた。他の都とは異なり、いかにも厳格そうな門番が控えていて簡単には中に入れてもらえそうにない。
「そこで何を見ている!」
様子を窺いつつゆっくり近付いていたのだが、容赦なくその行動を咎められてしまった。
怪しまれてはいけないと、フライアは慌てて鞄の中の書類を探った。その傍らでライアスが用件を告げる。
「……ナシラの『ファブマーレン』っていう商人に会いたい。この都に来てるはずだ」
眉をひそめる門番に、フライアがおずおずと書類を差し出した。
「こ、これです……」
アメラモウル商会の使いであることを示す証明書と、交通手形だ。
門番はそれらを受け取り、内容を確認するとそのまま固まってしまった。何やら怪訝な表情をしている。
ノースライフ山脈の麓にいた見張りたちとも違う、どうにも手応えのない反応だ。
しばらく経つとようやく門番は顔を上げ、兄妹へと視線を戻した。
「お前たち、このファブマーレンという者がどこにいるか聞いたか?」
その訝しげな物言いに、兄妹は思わず顔を見合わせる。
「ああ、確か山を越える前に、えっと……」
「『騎士の市街地』、です……」
思い出せないでいる兄を察し、すかさず妹がフォローする。
ところがそれに対する反応は意外なものだった。
「それなら、そこの道をまっすぐ北だ」
そう言って門番は城門の中ではなく、外壁に沿って伸びる脇道を指差した。
「……は?」
これには兄妹もきょとんとせずにはいられない。山道を下りながら、兄妹は都の全貌を確認している。市街地と呼べそうな区域は確かに城壁の内側にあった。
「……へ? そこを?」
門番が示す言葉の意味が分からず、ライアスも脇道を指差して聞き返す。
門番はこくりと頷いた。
「ああ、そうだ。オアイーターは最近出ないが、夜暗くなると狼の群れやトロルも現れる。用があるなら早く行くことだ」
……やっぱり意味が分からない。まるで話が嚙み合っていないようだ。
(え……? あれ?)
ぽかんとする兄の一歩後ろで、フライアはゾッと顔を青くする。
山道に入る前、麓の見張りが言っていたもうひとつの言葉を思い出したのだ。
『騎士のシガイチまではさらに一時間はかかる』
(……え?)
思い出した言葉に思わずフライアは危うく気を失いかけた。
つまり……?
目的地はここじゃない?
そんなフライアの考察をよそに、兄は状況を把握できないまま疑問をぶつける。
「……いや、待てよ。市街地って中にあるんだろ?」
すると門番はため息をひとつ零し、その口を開いた。
「はあ……お前たちが言っている市街地とは違う。我々が言っているのは死の骸と書く『騎士の死骸地』だ」
「……はぁ⁉」
思わずライアスは肚の底から声を発した。
……なんだって? 死の骸と書くだと? どういう名付けをしているのか?
「なんでそんな物騒な名前がつくんだよ! 墓場なのか!」
混乱交じりに声を張り上げ、疑問を指摘する。
すると門番はムッとしながらも、仕方なさそうに説明をした。
「そうじゃない! お前たちにはわからないだろうが、我々《騎士》を名乗る者にその誇りを汚すことは許されない。『騎士の死骸地』は騎士を志しながら、その誇りや教え、心得に背いた者を送り込む場所だ」
「なっ……?」
何と返せばいいのか分からず、兄妹は口を噤んだ。それというのも、門番の言うしきたりをどこかで聞いた覚えがあるからだ。
門番が説明を続ける。
「確かに『死骸地』とは呼んでいるが、山脈の炭鉱の町として機能はしている。犯罪を行った者を収監する場所とも違うから無法地帯でもない。アトリア近くの前線でそう聞いたのならある程度は信じられる話だろう。そこの道をまっすぐ、特に何も遭遇しなければ五十分程度だ」
その言葉に兄が「はあ……」とため息交じりの返答をし、妹はただがっくりと項垂れた。
城門を離れ、言われた脇道へと視線を向ける。
石畳の道が一本、長々と続いているが、手前の見張り以外に一切の人影はない。両脇に設置された街灯もすぐ手前までしかなく、遠く離れた先は閑散と道だけが続いている。おまけに針葉樹林が道のすぐ傍まで広がっていて、小屋一軒たりとて建物は見当たらない。
「……ほんとにこの先に集落があるのか?」
「……行くの?」
互いに自問自答しあうも、答えてくれる人はいない。
これにはさすがのライアスも足が竦んだ。この道をこのまま進めば、今日中にアトリアに戻るという微かな希望も消え失せる。
「「……」」
それでも、覚悟か、諦めか。
寒さで口元に白い息を纏わせながら、兄妹はその長い石畳を歩き始めた。




