176 忘れていた温もり
マグダレーナの家に戻った一行は、買ってきた食材をキッチンに並べた。調理に先立ち、それぞれの役割分担を決めていく。
「ライアスも料理はするの?」
マグダレーナにそんな質問をされ、ライアスはぽりぽりと頬をかいた。あまり料理をするような印象はなかったのだろう。
「一応は。……まあ、フライアのほうがよくやるけど」
なにしろシェラタンではどちらかが倒れれば一瞬にして生活が傾くような関係だ。外食するような財力がない以上、最低限の自炊手段は身につける必要があった。
とはいえ、キッチンは三人が並んで調理をするほどの広さはない。必然的にライアスが外され、野菜の下処理担当として表の井戸場で野菜の水洗いと芋の皮むきをはじめる。
一方のフライアは兄が所望したスープのレシピを思い出し、塊肉や下処理のいらない野菜を程よい大きさへとカットしていく。言うまでもなく、シェラタンで使っていた食材よりずっと鮮度がいい。
狭いキッチンでマグダレーナと場所を譲り合いながら、調理が進んでいく。
「ちょっとごめんね」
「うん、大丈夫」
ライアスは井戸水で洗ったじゃがいもを剥きつつ、戸内から聞こえる声に耳を傾ける。言葉少なながら、妹が安らいだ気分でいることが感じ取れる。
(……思えばこうして、家で楽しむ感覚も忘れてたな)
ナイフを手に今度は人参と向き合いながら、しみじみとそんなことを思う。
モンスターの皮処理や剣を手入れする場所は王都にある「ブラザーズ」にも設けられたが、調理場所まではできていない。ましてや、これは傭兵稼業といえるものではない。
けれど初心にかえって食事の支度をしてみれば、この時間が案外心地いい。
思えばシェラタンで平和に暮らしていた当時、狩猟や採掘の傍ら食材を十分に蓄えていたときは頻繁に料理をしていた。
だが食材が盗まれるようになって貯蔵を減らすと料理も必要最低限となり、朝食などはベベルの店を頼るようになった。
いつしか家は、寝るだけの場所へと変わってしまったのだ。
「終わった?」
物思いに耽っているとフライアが声をかけてきた。野菜を取りに来たようだ。
「……ああ、この分は終わった」
やや反応が遅れながらも返事をし、皮むきを終えた分を指差してみせる。
フライアは抱えていた器をコトンと置くと、ライアスの隣に腰を下ろした。器には適当に切られた食材が乗せられ、お椀に入った合わせ調味料が添えてある。スープの素となるベースのようだった。
「味、ちょっと忘れちゃって」
そう言われ、ライアスは「……ああ、そういうことか」と頷いた。確かに、調味料を合わせたベースを味見するのは兄の役目だった。
ペースト状のそれをスプーンを使って手の甲へと垂らし、すするように口に含む。
まだ湯で割る以前の状態なので必要以上のしょっぱさや酸っぱさが口の中に広がり、瞬く間に唾液が溢れる。
だが、どこか懐かしい味だった。
「……うん、結構前に舐めてたやつだと思う。けど、少なくないか?」
そう尋ねるとフライアは「うん、これから足すの」と笑顔で応じた。
あくまで味の確認をしにきただけで、分量はこれから調整するらしい。そうか、とライアスが頷くとフライアはホッとしたように立ち上がり、キッチンへと戻っていった。
しばらくして今度は釜戸の順番を確認し合う声が聞こえてくる。
「楽しそうだな」
ライアス自身も喜びを感じながらそう呟く。
きっとこれが素の自分なのだろう。普段は傭兵として戦ってばかりいても、本来は《普通の》日常を送りたい、とも願っている。
だがライアスはふと小首を傾げる。なにやら妙な話だな、と思った。
普通の日常を過ごしていたシェラタン時代は、こんな怯えてばかりの生活をいつまで続けなければいけないのか、と辟易していた。
そうして傭兵に身を転じてみれば、今度はかつての生活を懐かしんでいる。これではどっちつかずと言われても仕方がない。
今望んでいるのは何なのだろう──。
何も勇者だとか、一流の騎士だとか魔術師だとか、そんな肩書きはなくたっていい。戦いを生きる術としながら、ただ今日のような日常を過ごしたい。
「……本当に、難しいもんだな」
だからこそ、今は心から楽しく思えることをすればいい。ライアスはそう考えると、まだ洗われていない野菜の下処理をはじめた。
すっかり日が沈み、居間のテーブルには温かな料理が並んだ。
献立は軽く炙った肉を添えたサラダに魚のムニエル、そして、フライアが久しぶりに拵えた《おいしい何か》のスープだ。
「こんな感じね。なんだか嬉しくて、しっかり作っちゃった」
マグダレーナが満足げにため息を吐いた。
「ああ、お疲れさん。ほんとに、家でこんなに料理並ぶのを見るのも久しぶりだな」
「うん……」
兄妹も充足感を覚えながらその品々を見渡す。
料理の取り分けも済んで、テーブルを囲んで座った三人はお茶を手に乾杯をした。
まずは全員、一番気になるスープを口へと運ぶ。
「……ふふ」
マグダレーナが笑みを零した。
「う、うん……」
調理者であるフライアがやや頬を赤らめて頷いた。
そんな女子二人とは対照的に、ライアスはあっけらかんと口を開く。
「……うん、これだな。パンには全然合わなくて、よくわからない味だけどうまいっていう」
それが核心を突いた感想だったらしく、微笑に抑えていたマグダレーナが吹き出しそうになり両手で口を覆った。
「ほんと! 何ベースかわからないんだけど……美味しい!」
見知らぬ調味に意表を突かれながら、素直にその味を賞賛する。
それは隣で調理を見ていたマグダレーナですら予想のつかない、びっくりの代物だった。
「何かいろいろと入れるんだよな。何をメインに入れたんだっけ?」
思い出しながら、ライアスが合わせ調味料の内訳を妹に尋ねる。
「『シェーン・ソイ』っていう。シェラタンの」
フライアは照れ臭そうに答えた。小耳に挟んだ記憶では、ある豆を材料に調合された調味料の一種だ。
マグダレーナが感心しきりといったふうに頷く。
「へえ、調味料ってあんまりよそのものは買わないから知らなかった。でも、それならシェラタンの料理はそういうので有名なんじゃない?」
だがライアスは「いや、それが……」と首をかたむける。
実際のところ、兄妹はそうした調味料の名前を気にしたことがない。尋ねられても、それを自慢とするほどシェラタンでも話題に上がらないのだ。
マグダレーナはふうん、と納得しながらも興味は衰えないようで、
「なら……私もちょっと調べてみようかなあ。他にあったらまた教えてよ」
そう言って再度味わうようにスープを口へと運んだ。
それから一同はマグダレーナが調理した魚のムニエルへと手を伸ばす。間違いのない、しっかりとした味わいに兄妹は揃ってううん、と唸りを上げる。
「これは美味い……!」
思わずライアスが感嘆を口にして、それにフライアも大きく頷いた。
王都では食事を外で簡単に済ませてばかりの日々を過ごしていた。これといって味に不満はなかったが、今日のような家庭料理を囲んだときの温かさは望むべくもない。
(今度は小さい釜戸でも構えるか)
(……できたらね)
ムニエルに添えられたパンをかじりながら、兄妹は小声で囁き合う。頭の中ではもう事務所のある塔の何処に釜戸を設えるか、その構想まで浮かんでしまった。
またひとつ、故郷に置き忘れたかけがえのない日常を再確認しながら、兄妹はマグダレーナと共に賑やかな夜を過ごした。




