175 《独り》に負けないように
ドリューが去ると、途端に静けさが部屋を満たした。
マグダレーナはおもむろにフライアを見やり、その顔に苦笑を浮かべる。
「……ふふ。悪い気はしないけど、なんか、変なの」
同調するようにフライアも笑みを返す。好意があるのか照れ隠しなのか、マグダレーナに対するドリューの頼み方はどこか調子が外れていた。
だが、まもなくしてマグダレーナはその表情を神妙なものに変えると、ぽつりと呟いた。
「……でも、そうだよね。いつまでも、甘えてちゃいけないんだよね」
それにフライアは言葉を詰まらせる。彼女は大切な人を失ったばかりなのだ。
マグダレーナは苦々しい表情で言葉を継いだ。
「もう叔母さんもいないし。……前に、進まなきゃ、ね」
言いながら憂いを帯びた視線を前へと向ける。
それは家族を失ったマグダレーナの悲痛な現実だ。彼女は正真正銘、《独り》になってしまったのだ。
そんな中で、それこそ藁をも掴むような、そうした思いに違いなかった。
(どうしよう……)
フライアには分からない。……こんなとき何を言えばいいんだろう? どう返してあげればいいんだろう?
「……くうぅぅぁ……」
いつもは無遠慮なくらいに言葉を差し挟む兄も、まだ眠りこけたままだ。こんなシリアスな状況なのに、いびきを吹かしてしまうほどに。
何やらそんな兄が憎たらしく思えてきた。
「……ふがっ!」
沈黙に耐えられなかったフライアは背後で眠る兄の頬を、手の甲でこっそり引っぱたいた。
「んあ~……。いってぇ……」
叩いたことを詫びもせず、フライアは「……おはよう」とだけ返す。
「お、おう……。今、何時?」
「もう二時過ぎ」
そんな兄妹のやり取りに、マグダレーナは声を上げて笑っていた。
ようやく目覚めたライアスが昼食をとると、三人は王都行きの便を探しにアトリアの南地区へと歩いた。
アカデミーでの騒動以降流れるままクルサで一夜を明かしたが、神官たちに何も報告していない。
だがアトリアの災禍による混乱で定期便が止められているらしく、帰るには歩くしかないようだった。
とはいえ、あれやこれやで時刻は既に午後四時を回っている。王都へと続く街道には冒険者御用達の簡易宿所が点々と存在するが、この騒ぎでは運営しているかも分からない。
どうしたものかと思いあぐねる兄妹だったが、そこへマグダレーナが提案してきた。
「もう、今日は泊まっていかない?」
兄妹の状況を思っての言葉だろう。実際路銀に余裕のない兄妹にとってこの上ないありがたい話だ。
「……そうさせてもらおうかな」
遠慮がちに言うライアスに対し、マグダレーナはにっこりと承諾した。
一行はその足で今度は港町クルサに広がる市場へと向かった。
マグダレーナが案内してくれたのは肉も魚も野菜もすべてを取り扱う、クルサでも大きな市場だった。海に接する市場には海産物はもちろんのこと、船で運ばれてくる香辛料や地元の畜産物など、あらゆる品が揃っている。
商品札を見ると、ところどころ兄妹の故郷である『シェラタン』の名前も見かける。
「よく買い出しに来るところよ。食材は揃うし、まだそこまで混乱してないわね。シェラタンの郷土料理とかってある?」
マグダレーナが食材を手に取りながら尋ねる。
だが兄妹は揃って首を傾げた。
「あんまり……」
「考えたことないな。最近は野盗に盗まれたりしてたからな」
思えばこうして食材の山を眺めること自体久しぶりだ。シェラタンにも市場はあるが「野盗に襲われるから」と近年は縮小され、今ではいつでも撤収できるようなこじんまりとした規模で運営がされている。
兄妹にとってもそれは同じで、家にたくさん食材を置いておくとやはり盗まれることがあった。そのため決まったものだけを買い、決まった量だけを残すようにするのが習慣となった。
その結果、毎日同じような献立ばかりが並ぶ食卓となっていた。
しばし郷愁に浸っていると、マグダレーナが心配そうに声をかけてきた。
「……ごめんなさい。気にしてたことよね、それ」
兄妹は慌てて首を横に振る。
「あ、いや。そうじゃない。……たまには、しっかりと飯が作れるのはいいことだなって」
「……うん」
場を取りなすようにライアスが言い、フライアも頷いた。ただ故郷に思いを馳せただけで、重苦しい空気にしたいわけではない。
自由に食事を拵えられることが新鮮で、むしろ嬉しさが募る。
その思いが伝わったのか、マグダレーナの顔にも笑顔が戻った。
「そう! それじゃ、何か必要なのはある?」
そう尋ねられ、ライアスは改めて献立に思いを巡らせる。
「そうだなぁ。……たまには余りの野菜と干し肉で煮込んでたスープもいいな」
思わずフライアが「……え」と言葉を発する。兄が自然と口にしたメニューが意外なものだったからだ。
それはシェラタンで暮らしていたとき、物盗りに備えて限られた食材だけで拵えた、貧相なスープだ。
「ふふ、なにそれ? ちょっと気になるわ」
マグダレーナが興味を示し、フライアはあわあわと兄を見やる。
「ほ、ほんと?」
わざわざあんなスープを披露するのか、と視線で訴えかける。
そんな妹に対しライアスはかつてを思い出すように目を細める。
「……確か、だけど。もっといい食材が使えてた時にもっといいやつを作ってなかったっけ? 名前忘れたけどベベルさんからもらってた調味料とか使って」
頭に描かれた懐かしの味を言葉にした。
それを聞いたフライアも記憶にあるスープのイメージを刷新する。
「ああ……」
野菜くずや余りもので拵えていた貧相なスープも、元のレシピは新鮮な食材でごまかしもない、美味しい料理だったのだ。
どうしても野盗のことが頭に付いて回るばかりに、そうしたささやかな平和の記憶まで覆い隠されてしまっていた。
フライアは顔を上げ、改めて市場の食材へと視線を向ける。
「えっと、こっちの……これ!」
スープの記憶を辿り、食材や調味料を籠の中へと入れていく。最初こそ戸惑っていたが、本来の味を思い出したら自然と身体も動きはじめた。
「毎度あり!」
買いものを済ませた三人は威勢のいい店主に見送られ、食材が詰め込まれた紙袋を抱えて市場を後にする。
今日の夕食に思いを馳せながら、陽が沈みはじめたクルサの町をゆっくりと歩いた。




