173 誰が悪党だって?
妹を憑依させたまま、ライアスは慌てて路地へと戻り、家の外壁に身を隠しつつ辺りを窺う。すると少し離れた場所で息切れして立ち止まる男の姿が見えた。
「あれかっ!」
咄嗟にライアスは走り出し、路地に散らばる木箱やがらくたを払い除けながらの突進を試みる。
その物音に気付いた男が悲鳴を上げ、慌てて逃げ出した。
「おおうっ! 待てよ!」
「あっ、あっ……! ち、違う! 違うって!」
何か言いたそうだが、逃げ続けることには変わらない。
フォーマルな服装で必死に走る男にライアスの突進が勝り、その距離は徐々に詰まっていく。男はどうにか逃げようと路地に積まれたガラクタを散らして妨害しながら、路地裏から人のいる表通りへとその足を切り返した。
「逃がすかよ! フライア、壁を前に!」
男の行き先を阻むべく、ライアスは憑依中の妹へと指示を飛ばす。
(もうちょっと、もうちょっと距離……!)
一方のフライアはもう少し近付いてよ、と走る兄を促す。
氷柱を打ち立てようにも距離があってはどうしようもない。魔法にも射程というものがあるのだ。うっかり自分たちの行く手だけを塞いでしまわないよう、ライアスの頭上に浮くフライアは詠唱しながらそのタイミングを見計らう。
だが男は間もなく表通りに抜け出ようとしていた。人混みに紛れてしまっては厄介だ。
「撃てよっ! あいつの頭に軽く落ちたっていいだろっ!」
まだ距離は十分に縮められていない。だが兄に急かされたフライアは「それ、いいの?」と自問自答しながら魔法を発動した。
(──っ‼)
次の瞬間、全力疾走する二人の前方に巨大な氷柱が突き立ち、路地裏の出口を袋小路へと変えた。
「あっ……! あ、あ! ああっ‼」
突如目の前に現れた氷の壁に、男は狼狽えて後ろを向いた。
そこには――。
「そうらあああっ‼」
(え? え、え、ちょっと!)
氷柱を前にパニック状態の男を問い詰める……のではなく、ライアスは全力疾走のままタックルを男の腰へとかました。
「あああっ‼ ぐわああっっ‼」
ガンッ‼
鈍い音が辺りに響く。
(ああぁ……!)
フライアが思わず悲痛な声を漏らした。
それはまるで、石壁にぶち当たるような重々しい衝撃音だった。
巨大な氷壁に背中と後頭部を打った男は失神して倒れ、頭から男の腰へと突っ込んだライアスも激突の反動でそのまま地面へと転がった。
「いっ……てえぇ……。氷割れなかった……」
頭を抱えてまだ起きないライアスに対し、頭上のフライアはもじもじと両手の人差し指を突き合わせる。
(だってぇ……)
精一杯にタイミングを見計らい時間をかけて詠唱した結果、放たれた氷塊は密度が高く、それこそ岩のような頑丈さになってしまったのだ。
それでもライアスは壁に手をつき、ふらふらとその場に立ち上がった。男はどうかと様子を窺うも、完全に意識を失っていてすぐには目を覚ましそうもない。
「よく見たらこいつ、戦士っぽくもない、ただのおっさんだったんだな」
(なんで今更……)
フライアが呆れるようにため息を吐く。兄はただ追いかけることしか考えていなかったようだ。
兄妹はその場で憑依を解くと、気絶した男を抱え元来た道を引き返した。
兄妹がマグダレーナの家まで戻ると、脅しに来た一団が縄で縛り上げられている姿が見えた。
その傍らでドリューがクルサの警備員らしき男たちと話し合っている。
兄妹は捕らえた男を引きずるように警備員へと差し出した。すると気を失った男の姿に警備員は目を丸くして驚いた。
息があることを確認すると、警備員はライアスを問い詰めようと縄まで持ち出してきた。
「え、えっ? ちょっと待てよ!」
せっかく悪党の一味を捕らえてきたというのに、まるで自分が悪いというような扱いだ。
だが、口論になりはじめる前にドリューが仲介に入ってくれた。
しばらくして話がつき、警備員は呆れるようにライアスを見やった。
「あんた……戦士だったら少しは加減しなさい。この者はさしずめ弁護人か役人か、この取り立て屋たちに雇われた人間だ」
咎めるように口にする警備員に対し、ライアスは表情を変えずに言い返す。
「そうか? 取り立て屋に力を貸したなら同罪じゃないのか?」
警備員はため息をつき、ぽりぽりと額を掻いた。
「それはな……。その可能性もあるが、間違った雇い方をすればこの男も騙されていたかもしれないのだ。下手をすれば無実の者をお前は再起不能にするところだったんだぞ」
ライアスは納得できず「うーん……」と腕組みをする。隣のフライアも唇を尖らせて困り顔だ。あんなふうに逃げられたらそう穏便に捕まえられるはずもない。
そんな兄妹の不満をよそに、警備員は失神している男の身柄を引き取った。別途行われていたドリューとマグダレーナへの事情聴取も終わったようで、警備員らは縄に繋がれた一団を連れてその場を引き上げていった。
その後ろ姿を眺めながら、ライアスは妹にだけ聞こえるよう小声で不満を零す。
(その間違った雇い方で別の誰かが貶められたかもしれないのに、それは無視するんだな)
(う~ん……)
一方のフライアもちょうどいいフォローの言葉を見つけられない。先程の兄の荒々しさを思い起こすと、警備員の言葉も少しは納得のいくような、いかないような……。
そんな兄妹の傍ら、ドリューがパンパンと手をはたいた。
「さて、これでとりあえずは一件落着、か。……? ライアス、どうした?」
見ればライアスは片手で軽く頭を押さえ、俯いている。
フライアも最初は兄が考え込んでいるものと思っていた。
だが……。
「……ちょっと、頭いてぇ……」
フライアもドリューも「え?」と首をかたむける。途端にライアスの頭がかくっと垂れて、傍らのフライアが心配そうにその顔を覗き込んだ。
まどろむ意識の中、ライアスは頭痛に伴うひどい眠気を自覚していた。だが、それも無理はない。先日からの寝不足に二日酔い、さらには先刻の余計な頭突き……。
戦いを終えた安堵感も相まって、疲労はピークに達していた。
身体を動かせば少しは目が覚めるだろうと思っていたライアスは、改めて人の活動には限界があると思い知ることとなった。




