171 偶然が重なりあって
マグダレーナの家はクルサの住宅街の一角にあった。
観葉植物が飾られた綺麗な室内に整然と家具が並べられ、彼女と叔母の二人で暮らすのにはちょうど良い広さだ。
居間にはベッドが設えられていて、介護生活の名残を思わせる。日中は寝室ではなく、この居間で叔母の世話をしていたのだろう。
兄妹を招き入れたマグダレーナはどこか面映ゆそうに微笑んだ。
「叔母さんのことでいろいろあって掃除が行き届いてないんだけど、座って」
兄妹は室内を見渡し、感心したように口を開く。
「いや、シェラタンの俺たちがいた家よりよっぽどいい」
「うん……」
自分たちが長年暮らしたシェラタンの小屋を思えば、マグダレーナの家は華々しく感じられるくらいだ。
促されるまま、兄妹は部屋の中央にあるテーブルの前に腰を下ろす。マグダレーナはキッチンへと立つ。
「コーヒーでいい? ライアスは、ブラック?」
コーヒーポットを手にマグダレーナが勧めてきた。
「いや、普通ので」
そう言って首を振るライアスに、マグダレーナはあら、と僅かに目を丸くする。
「そう、なんか意外。フライアは?」
「あ、あ。えっと……」
続いて尋ねられ、フライアはもにょもにょと言い淀んだ。
そんな妹に代わってライアスが口を開く。
「あればココアで。なかったらカフェオレっぽく甘めにしてほしい」
「あ、ちょ……」
遠慮のない兄の物言いに、フライアがぼっと頬を赤く染める。
子供っぽいが甘党で、コーヒーも少し苦手なのだ。
ライアスのそんな図々しい要望に、マグダレーナは快く応じてくれた。
「オーケー。ココアあるわ。ちょっと待ってて」
手慣れた動作で三人分の飲み物が用意され、こんがり焼き上げられたラスクと共にテーブルに供される。
テーブルを囲うように座り、三人は改めて顔を見合わせた。
「わざわざ、ありがとうな」
礼を言うライアスに、マグダレーナは微笑みで応じた。
「ううん、来てくれて嬉しいから。前はこんな落ち着けた状況じゃなかったし」
「そうだな……」
ライアスは淹れてくれたコーヒーを口へと運び、ふうと息をついた。
室内にまで微かに漂う潮風の香りが、妙に心地いい。港町のその独特な風土が当時の記憶を蘇らせる。兄妹は何とも落ち着いた心地で、ここクルサでの戦いを思い起こしていた。
「……あの時マグダレーナと別れた後も俺たち、少しドリューの作戦に付き合ったんだ。けっこう、というかかなり大変だったよ」
ライアスはぼんやりと呟くように言った。
フライアもうんうんと相槌を打つ。病院での会話とは話題が異なるが、和んだ雰囲気の最中彼女の叔母についてさらに話を聞くことは憚られた。
マグダレーナが小首を傾げて尋ねる。
「そうだったの?」
「ノースライフ……だったっけ? あの山脈の谷に落ちてさ。フライアと命からがら逃げてきた」
そうしてライアスはここクルサで彼女と出会った後のことをぽつぽつと語った。
谷底の鉱山でオアイーターという怪物と戦ったこと。それから魔法の都アルニラムへと渡り、一度故郷シェラタンに戻った後、王都アウストラリスの傭兵となったこと。その傭兵として各地の調査に赴いたこと。
それから武闘の都ザウラクでの闘技に、貿易の都ナシラでの苦難……。
イリューアやマルコスのことなど訳ありの話題は伏せながら、今日までの旅路をありのまま話して聞かせた。
そんなライアスの話を、マグダレーナはさも嬉しそうに聞いていた。
「もう立派な冒険者じゃない。すごいわ! アカデミーにいた子でもそんなに広く自由に旅できないもの」
ずっと一緒にいたはずのフライアが「……ね?」とまるで他人事のように相槌を打つ。
「……そうだな。思えば随分と歩いたよな」
ライアスは両手を頭の後ろに回し、しみじみ呟くように言った。
マーシアに存在する都は、故郷であるシェラタンを除いた八つの都のうち五つは訪れたことになる。数だけでいうなら半分を超えた。
マグダレーナは感心するように小さくため息を吐いてみせた。
「いいなあ。すごいわよ。頭がいいとかそうじゃなくて、どんな危険なことがあってもうまく立ち回れる。そういう人ってなかなかいないもの」
「そうかなあ」
ライアスはぽりぽりと頬を掻いた。長話で乾いた喉をコーヒーで潤し、ラスクへと手を伸ばす。軽くまぶされた砂糖の甘さがコーヒーの苦味と程よく合う。
「それで、またアトリアに戻ってきた。まさかこんな形で戻ってくるとは思わなかったよ」
そう話すと、マグダレーナは「そうね……」と呟いて手に持っていたコーヒーカップを軽くゆする。
「なんかまた、物騒になりそうだし」
その言葉がエラセドのことを指しているのか、はたまた別のことかは分からない。
それを確認しようとライアスが顔を向ける。
「昨日の、広場であったことは見てたのか?」
マグダレーナは頷いた。
「ええ、遠くから少しだけ。市長さん。まだ重傷のはずなのに、大変だなあって」
「ああ……」
ライアスも頷いて返す。ふと、モーランが倒れた後のことが気になった。彼女ならある程度は知っているはずだ。
するとそんな思いを察したかのように、マグダレーナはすうと深呼吸をするとこう話した。
「市長さん。叔母さんの最期も見届けてくれたの。自分もまだ安静にしなきゃって状態なのに、車椅子のままで、叔母さんが息を引き取る時まで見守ってくれたの」
叔母のことが話題に上がり、兄妹はハッと息を呑む。
だがマグダレーナは微笑みを浮かべ、その気丈さを保ったまま話を続けた。
「三人で、最期の時間が過ごせたわ。……叔母さんと市長さんはアカデミー創設の時からの知り合いだったの」
言いながら、叔母の話を懐かしむように目を細める。
「その時アトリアはまだ小さな学び舎がいくつも並んでいただけで、それをひとつにするために二人ともクルサから駆り出されたんだって。いろんな都からやってくる知識や経験を持った人たちを取りまとめるのに必死で、寝るのも惜しくて、でもそんな忙しさの中でアカデミーが立ち上がって。初めて入学式が開かれた日は今も忘れられないって。二人で口を揃えていたわ」
──マグダレーナの叔母ローズと、クルサの市長モーラン。
此度の惨事により今は混乱を極めているアカデミーだが、その学び舎が二人にとってかけがえのないものであったことが分かる。今や有名な学術都市のシンボルも、その創設に携わった二人の力があって成り立ったものなのだ。
兄妹は黙ってマグダレーナの話に耳を傾けた。
「最後の最後で叔母さん、市長さんのことが好きだったって。片思いだった、なんて言い出したの。でも叔母さんの方が少し年上で、市長さんはどんどん偉い人になっていったから、このままでよかったんだって。そしたら市長さんも照れちゃって。ふふ……ちょっと可愛かった」
マグダレーナは朗らかに笑いながら言った。
それにつられるようにフライアも笑い、ライアスは「ほう……」と唸るような声を漏らす。
死の間際の告白とは、ある意味最も甘美な告白かもしれない。
叔母の死の直後ではあるが、話を聞いていてもマグダレーナはある程度の心のゆとりを持てているようだ。
「叔母さんが息を引き取った時も、市長さん、傍にいてくれたの。独りで見送らなきゃいけないのかなって思ってたけど、やっぱり一緒にいてくれたのは嬉しかった。……それで、昨日の騒動でしょう? エラセドが来ることは快く思わないけど、ほんと大変だなあって」
ライアスは「そうだよなぁ……」としみじみ呟く。
有事における市長モーランの振る舞いは兄妹もすぐ間近で見てきている。
これまで彼はアカデミーから理不尽な要求を受け、さらにはその身に重傷を負った。挙句の果てにはそのアカデミーによる不祥事の尻拭いまで背負わされ、今も市民らの矢面に立っている。
昨日もそんな彼に対し、非難を浴びせる人々が大勢いた。それでも彼は立ち続け、もう一度アトリアを立て直そうと声を上げ続けている。そればかりかドリューやマグダレーナにまでその心を砕いているのだ。
兄妹にはもはや凄いという以外の形容が思いつかない。
ライアスは机に肘をつき、モーランの偉大さに吐息する。フライアも何も言えず、ただ俯いたままココアを口に含むしかない。
やがてマグダレーナが残っていたコーヒーをまた一口飲み、呟くように言った。
「そんな、素敵な時間を作ってくれたのが、あなたたち」
僅かに顔をかたむけ、柔らかな視線を兄妹へと向ける。
「……えっ?」
フライアが声を漏らし、唖然と顔を上げる。ライアスも同様だ。
マグダレーナはくすりと笑った。
「エラセドと交戦が始まったあの時、言われるままに避難していたらこうはならなかったわ。交戦が終わったらすぐに病院は負傷した冒険者たちで溢れかえったし、入れたとしてもきっと気が気じゃなかった。伝えたいことも伝えられなくて、ただ死を待つばかりだった気がするの。エラセドが市街地まで入ってきて外が騒がしくなっても、あの時は二人でいられたわ。……だから叔母さんもきっと安心して、市長さんと会える時まで頑張れたと思うの」
その言葉に兄妹は目をぱちくりとさせる。
身近な人が命を失う、その間際──。そうした悲痛な時間を、兄妹はこれまで真に迫って考えたことがない。
彼女の叔母にしても、すべては終わってしまったことだ。例え過去に遡れたとしても、危篤状態にあった彼女を救う術はなかったのだろう。
だが同じ「死」を迎えるにしても、状況によってこんなにも人に与える影響が変わるものだとは思いもしなかった。
「……俺たち、力になれたかな?」
ライアスが確信を得られないまま尋ねると、マグダレーナは驚くように目を見開いた。
「そんな! すごく助かったって言ってるじゃない! あの時支給された傭兵の札、今でもお守りとして持ってるんだから!」
諭すように言われ、ライアスは「そ、そうか……」と口ごもるように呟く。フライアは表情のない兄に代わり、おどけるように笑った。
……どうもまだ人との距離感を掴むのには疎いようだ。
それに、兄妹はエラセドへの奇襲作戦に加担したことを今も後ろ暗く感じている。その場では正しいと思い決めたことが、結果的には間違っていたのだから。
けれど──。
「……そりゃ、よかった」
ライアスは小さく呟いた。
──すべてが間違っていたわけではない。
彼女のためを思い、考えつくまま為したことが、良い形で「今」に繋がっている。
その事実はひそやかに、だが確実に、兄妹の胸に勇気を与えていた。




