170 嵐過ぎ去りし後
港町クルサの町角にそびえる、大きな建物の前にたどり着いた兄妹はその足を止めた。
ライアスは建物の外観を見上げ、首を傾げる。
「ここは……病院?」
フライアが「うん」と頷く。それはこの港町にある最も大きい病院施設だった。
未だ目が覚めず、歩いたせいで二日酔いが回りはじめてきたライアスが酔いどれるように目を細める。
「……おい、酒に酔って寝不足なだけで診察は受けられねえぞ」
フライアは「違うの!」と半ば突っ込みのように言うと、ほらほらっ、と兄の手を引き中へと入っていく。
病院内は穏やかで、医療施設ならではの静謐な空気に満ちていた。エラセドとの交戦直後はこうもいかなかったが、今では争いの傷跡も落ち着いているようだ。冒険者の姿は少なく、待合所では看護師と患者にその付き添いらが和気あいあいと交流していた。
ライアスは入口付近に掲示された入院患者の案内を目にした。
「あー……そういうことか」
そう呟いて頬を掻いた。記憶が苦手なライアスだが、クルサでの出来事を少しずつ思い出しはじめる。
確かここに知り合いの親戚が入院していたはずなのだ。
掲示を確認すると、最上段にあるモーラン市長の名前が目を引いた。それに付随して『面会謝絶』と記されている。昨日の様子を見ると、ここに通院しながら今も仕事にあたっているのだろう。
ライアスは改めて目当ての人物を探す。
「えーと……あいつの、叔母さんだったっけ。なんて言った?」
人物に見当がついても名前までは思い出せない。そんな兄に対し、フライアも掲示を確認しながらその名前を口にする。
「たしか……ローズさん」
言われてライアスも名前を探すが、部屋数も患者数も多いせいかなかなか見つけられない。
「うーん……。いない?」
兄妹でしばらく掲示板を眺めていると、不意に後ろから声をかけられた。
「どなたか、お探しでしょうか?」
女性の声だった。
「……んー、ちょっと知り合いを探してて……」
受付係だと思い、ライアスは掲示板に顔を向けたまま適当に返事をする。
同じようにフライアも掲示の名前を確認し続けていたが、ふと気付いたように女性の方を振り返った。
「ああっ!」
思わず声が上がり、それに反応してライアスも女性へと視線を向ける。
「……ああ! ……マグダレーナ!」
そしてその名前を呼んだ。
「……久しぶり」
洒落た帽子の鍔の下、女性はふふ、と軽やかな笑みを浮かべた。
──マグダレーナ。
エラセドとの交戦において兄妹が志願兵として戦いに臨んだときのことだ。
クルサの住人である彼女は避難を余儀なくされ、ここに入院する叔母を残して行くことをひどく案じていた。
そこでライアスはクルサの兵に一芝居打って、彼女が傭兵として叔母に付き添えるよう、その手筈を整えたのだ。
その印象は強く、今回ばかりはライアスも彼女の名前を思い出すことができた。
「この前はありがとう。あれ以来姿が見えなくなっちゃって、心配してたの。会えてよかった……」
マグダレーナは淡い感動を湛えたような表情でそう言った。
「あ、ああ。そうだな」
ライアスも頷いて応じる。
当時、マグダレーナと兄妹が過ごした時間は一日にも満たない。それだけの間柄ではあるものの、まるで旧友と再会するかのような、そうした懐かしさを覚えた。
フライアがこの病院を訪れたのも、彼女とその叔母の様子が気になったからなのだ。
「……ああ、俺たちもな、ここに来れば会えるんじゃないかって思って。で、叔母さんは元気か?」
ライアスなりに気遣いながらそう尋ねた。なにせ当時は危篤状態だと言っていた。
するとマグダレーナは笑みを浮かべた表情を軽く曇らせた。
「……うん。叔母さん、三日前に亡くなったの」
「「えっ⁉」」
思わず声が上がり、兄妹は揃って口を押さえる。
──三日前となるとつい最近のことだ。神経質になっていてもおかしくはない。
元気か、などと尋ねたことを後悔するライアスだったが、一方のマグダレーナは大丈夫、と両手を振ってみせた。
「ううん、気にしないで。あなたたちには感謝の気持ちでいっぱいだから、大丈夫」
ライアスはぽりぽりと頭を掻く。
「そ、そうか……?」
兄妹にはまだ、彼女の言葉の真意が分からない。
どう会話を続けるべきか測りかねていると、マグダレーナが周りの様子を気にするようにしながら口を開いた。
「病院で話すことじゃないわね。家が近くにあるんだけど、寄ってかない?」
そう言って病院の玄関口へとその足を向ける。
「あ、ああ」
誘われるまま、兄妹も彼女の後に続いた。
マグダレーナは何も言わず、自宅に向かい颯爽と歩みを進める。その足取りを見る限りそう打ちひしがれているようには見えない。
──落胆はしているが、一旦の心の整理もできている。
彼女の後ろ姿にそうした胸の内を感じながら、兄妹はただ黙ってその後をついていった。




