166 身を挺する市長
学長室から書類を運び出したその足で、三人は一路アトリアの港地区クルサへと向かった。
ドリューを先頭に、後ろから兄妹が続く。兵士や救助員が入り乱れる市街地を駆け抜け、当初こそ横並びだったものの、やがてフライアがついていけなくなってしまった。
「はあ、はあ、はあ……」
港町クルサまではそれなりの距離だが、ドリューの足取りは止まりそうにない。軽く息切れするもすぐ駆け出し、一向に差が縮まらない。
講師の身になったとはいえ、身体は今もなお衰え知らずのようだ。
距離が離れるドリューとフライアの間に立つようにライアスが前後を確認するが、いよいよ互いが見えなくなってきた。
このままではドリューの姿を見失う。そう察したライアスは苦しげに呼吸する妹を振り返った。
「もう……もういいって! ほらっ、入れって!」
そう言って手を差し伸べる。息を切らしながら遠くでぶんぶんと首を縦に振るう妹の様子が見えた。
適当な木陰を見つけて立ち止まり、兄の身体へとフライアが入り込む。そうして憑依が済んだところで行き先の港側へと視線を戻すと、ドリューの姿はとても小さくなっていた。
「あいつ、ほんとに先生かよ!」
(今、今左に曲がってった)
一切振り返ろうとすらしないドリューもドリューだ、などと愚痴を零しながら、兄妹は突き進んでいく彼の後ろ姿を追い続けた。
港まで高低差のあるクルサの高地側、その中心部には広場があり、町を治める役所が建っている。
兄妹はかつて、市長モーランを訪ねてこの役所を訪れたことがある。それから程なくエラセドとの戦争がはじまり、兄妹も志願兵として戦いに加わった。
馬鹿みたいに重い砲弾を延々運び、侵入したエラセドの騎士とも対峙した。その一度きりだが、兄妹には印象深い場所だ。
その広場にたどり着いた兄妹は呆気に取られていた。
大勢の市民が広場へと詰め寄せ、クルサの役所を背にした役人たちと対峙している。それも衆目を集めているのは役人だけではない。役所の傍にはエラセドの使者に護衛と思しき騎士たちの姿もあった。
どうやら役人と騎士で何かを話さんとしているようだった。
一行が市民で作っている集団の後ろについた。
そこから聞こえてくるのはやはり不安や不信の声で、これから何が起こるのかと固唾を呑んで見守っている。
兄妹もそんな心持ちを共有していたが、不意にドリューが前へと足を踏み出した。
「ちょっと! すまないっ! どいてくれ!」
そのまま人混みを掻き分けるように進んでいく。
「い、行くのかよ?」
たじろぎながらライアスも後に続く。ドリューは交渉の場に割り込むような勢いだ。
人と人の間を縫うように進み、ついに最前列へと躍り出た。目の前にはクルサの役人とエラセドの騎士がいる。
そこへ、ドリューが飛び出した。
「待てえ‼ 待ってくれ!」
その場に割って入ったドリューに役人たちから険のある視線が向けられる。それでもドリューは怯むことなく声を荒げた。
「これは、どういうことなんだ⁉ 師匠……、市長は……!」
するとエラセドの使者の一人が面鎧に覆われた顔を向け、鎧越しにくぐもった声を発した。
「おお、アトリアの者か。その顔には見覚えがあるな。だが、今回は手出し無用だ。お前は関係ない」
さらりと言ってまた顔を背ける。その態度と声音から、ドリューや兄妹と比べて一回りは年上であろうことが分かる。
「関係ないってどういうことだ! なぜアトリアにいるんだ⁉」
なおも食い下がるドリューに対し、騎士は冷淡な口調で応じる。
「我々エラセドは戦いに来たのではない。ここクルサの責任者と協力し、ヴォイドを暴走させたアトリア、アカデミーの失態を調査しようとしているのだ」
市民にも聞こえる、堂々とした声が返ってきた。
しかも、クルサの役人たちもそれに同調するかのようにドリューを見やる。
お前がおかしい、そうした空気に呑まれるようにドリューは勢いをなくしていく。頼りなく首を振り、それでも訴えかけるのをやめられずに口を開いた。
「ど、どうしてなんだ? クルサはアトリアの一部じゃ……」
そのときだった。
「もう、よせ。ドリュー」
厳然とした、それでいて落ち着いた声がドリューをなだめた。
ドリューは声の方へと顔を向け、複雑な心情をその顔に浮かべる。
──その男は車椅子に乗って現れた。
「っ! 師匠!」
叫ぶように言うドリューに続き、ライアスも声を上げた。
「モーランさん……!」
その姿を兄妹は久しぶりに目にした。
聞いた話ではモーランは銃弾を受け、意識不明に陥っていたはずだ。だが、彼はその意識を取り戻していたのだ。
モーランは側近らしき男に車椅子を押してもらいながらエラセドの使者の前へと進み出た。まだ治療中なのか着脱しやすい衣類を身に纏い、その上に簡易な上着を羽織っている。
モーランとエラセドの使者が視線を交わし合う。
しばし言外のやり取りをするかのような時間が過ぎたが、やがてモーランの方からゆっくりと頭を下げた。
「今回の件、まずアトリアの一地区の責任者としてお詫び申し上げる。そなたたちとは先日、この件の対応を巡り、罪もない戦士たちも犠牲にしてしまった」
その姿と言葉に堪らず、ドリューが足を前へと踏み出す。
「し、師匠……!」
モーランはただ手をかざしてドリューを制止し、エラセドの使者に対する言葉を続ける。
「ついては今回のヴォイドゲートについて、そなたたちとはもう一度じっくり交渉がしたい。あの時は腹に銃弾を受けたが……私は、そなた方が仕掛けたとは思っていない」
その言葉にドリューと兄妹は驚愕した。
「……えっ⁉」
「なっ……!」
モーランが受けた銃弾はエラセドの仕業ではない……?
そうだとしたらすべての前提が覆る。エラセドと交渉に打って出たモーランが撃たれ、それが開戦のきっかけとなった。だからこそ兵は立ち上がり、死力を尽くしてエラセドと戦ったのだ。もしモーランの言うことが真実なら、あの戦いには何の意味があったというのだろうか。
あまりの衝撃にドリューも兄妹も言葉を失った。その間も両者のやり取りは続き、次にエラセドの使者が口を開いた。
「……いかにも。我々もその身の潔白を早く証明するべきだった。だが、情けないことにその主犯格は見つけられていない。そのまま戦いに入り、危うく一地区の責任者を殺してしまうところだった。我々からも、詫びを申し上げる」
それからすべての騎士が胸に手を当て、モーランに向かい揃って頭を下げる。一糸乱れぬ、誠意のこもった所作だった。
クルサとエラセド──。
双方が頭を下げる姿に、ドリューもライアスも金縛りにあったように動けなかった。
だが、彼らを取り囲む市民たちからは困惑と野次の声が飛び交った。
「……お、おいっ、市長! どうする気だ! エラセドを来させるつもりか!」
「やめてくださいっ! 戦争した相手を迎え入れるなんてっ!」
「クルサを巻き込むなーっ! ここから出ていけーっ‼」
代表者同士が和解しても市民は簡単には受け入れられない。
市長の対応に対する不満、エラセドへの不信、新たな争いに対する恐怖……それらが重なり、市民たちの声は段々と怒号へと変わった。
背後から大勢の市民が詰めかけ、ライアスは前へと押し出された。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て、いてっ! ぐわあっ……!」
さらには前方の役人たちによって押し返される。後ろから前から、市民と役人に挟み込まれてもみくちゃにされ、どうすることもできない。
エラセドからの使者は表情は窺えない。だが、時折その鎧に石が投げつけられている。腰に手をやり、もしかしたら呆れているのかもしれない。
やがてモーランが車椅子から立ち上がり、市民に向けて両手を広げた。
「皆! 申し訳ない! どうか、この場は抑えてほしい。これ以上の対立は無意味だ!」
治りきらない傷の痛みに耐えながら、ふらつく足取りで、どうにか抑えてほしいと精一杯の声をあげる。
だが暴徒と化した市民を易々と止めることはできない。一部の市民から今度はモーランに向かって小石が投げつけられ、モーランの顔に身体にと打ちつけられた。
それでもモーランは声を張るのをやめようとはしなかった。
「我々はヴォイドという災厄に見舞われている! 私はこの港を守る責任者として、この問題からは、決して目を背けない! ……どうか、解決までにこの港の、ごく一部を……私に預けてほしい! 決して……、生活に、支障は出さない……っ!」
痛みに顔を歪めながら、息も絶え絶えに訴えかける。
今にも倒れそうなその姿に、役人たちが慌てて車椅子に戻るよう促す。だがモーランはそれに従うことなく、立ち続けたまま市民へと視線を投げかけた。
すると市民たちは徐々に声を小さくしていった。モーランの思いを汲んだのか、呆れたのか、あるいは行動に恐れたのかは分からない。何人かがまだ声を上げる中、やがて後方から市民が少しずつ広場を離れはじめた。
最後まで抗議していた一団は一時モーランとあと数歩というところまで迫ったが、役人たちによって押さえられた。
そんな彼らが恨み節を吐き捨て、連行されるまで、モーランは座ることなく立ち続けた。
そうしてすべての市民が帰路につくのを見届けると、彼は再度エラセドの使者たちに頭を下げ、ようやく車椅子へとその身体を戻した。
市民らが広場を立ち去っていく中、モーランはエラセドの使者を役所内へと招き入れるよう役人に命じた。
それに従い役人らも役所へと入り、広場にはドリューに兄妹、そしてモーランと一人の側近だけが残された。




