155 引き起こされた事態
──翌日早朝。
兄妹はまだ眠りの中にいた。
表では朝を告げる鐘の音が響き、同時に夜の番の終わりを告げるラッパが鳴らされる。
「う~ん……」
ここで暮らしはじめた当初、兄妹はそれらの音を合図に目を覚ましていた。だが、それも次第に慣れてしまい、今ではその音に気付くこともなく眠りこけている。
少しずり落ちた布団を引いてまた眠りの中へ。
だが──。
「なんですって⁉」
この日は違っていた。
イリューアが発した驚愕の声により兄妹は目を覚ました。
「ライアス! フライア! 起きて!」
立て続けに聞こえてきたカムトの呼びかけにより上体を起こす。
「なに……?」
「ん~……?」
寝ぼけ眼をこすりながらぼやく兄妹をよそに、大声が響き渡る。
「ライアス! 起きてよ! 《最悪の事態》が起きたんだ!」
「リーダー! 起きてくださいっ!」
──最悪の事態。その言葉にライアスは跳ね上がった。
「……っ! な、なんだって?」
寝耳に水、とはまさにこのことだ。ぼやけていた目の焦点がようやくカムトの顔を捉える。
「いい? キミたちにこれからアトリアに行ってもらう! 情報じゃ、ヴォイドゲートが開いたっていうんだ!」
兄妹は息を呑んだ。「……ええっ?」と表情を歪めるフライアの傍らを、イリューアが横切っていく。
「ちょっと……! お先に失礼します!」
着替えのためだろう、急ぎ足で別室へと入っていった。一方、未だベッドの上にいる兄妹はすぐには思考が追い付かない。
「ごめん! 詳しく話している余裕はないんだ」
ヴォイドゲートが開いた……? その事態に備えて勇者が向かったのでは?
まだ頭の中はぼうっとする二人に対し、カムトは二人を急かした。
「とにかく着替えて、城の前に戦馬車を付けてる。他の傭兵や兵士と一緒にアトリアへ同行していってほしいんだ!」
ライアスは寝癖の残る頭をわしゃわしゃと掻く。
「起きなければ」という意識と鈍ったままの身体が噛み合わず息だけが荒れてくる。
「あ~……っ、わかったよ!」
そう言ってベッドから躍り出た。それを見て取って、カムトは足早に事務所を出ていった。
「え……? えっ? もう~っ!」
フライアも慌ててベッドから飛び降りた。
戦馬車、と言っていた。おそらくアトリアまで輸送されるのだろう。隣にいる妹に構わず、ライアスはその場で寝間着を脱ぎはじめた。
「ったく! なんだってんだよ。昨日は問題なさげに言ってたのがよぉ……!」
「全然用意できてないのにっ!」
同じく寝間着姿のフライアも服とローブを抱え、イリューアが入った別室へと慌しく移動をはじめた。
──「最悪の事態」。
その本当の意味を知らぬまま、兄妹は一路アトリアへと向かうことになった。
宮殿の正門前に、大型の馬四体に引かれる戦馬車が控えている。
「リーダー! 急いでください!」
一足早く事務所を出ていたイリューアが馬車の前で声をかける。その隣にはカムトの姿もあった。
兄妹は走りながら身なりを整える始末で、ライアスの寝癖はそのまま、フライアもいつもは編んでいる髪を振り乱しながら走っている。
「まったくよ……。少しは心構えくらいさせてくれってんだよ……!」
「はぁ、はぁ……。あれに乗るの?」
見れば戦馬車は数台あり、後ろに荷台が繋がれてそこに人が乗り込んでいるようだ。詰めれば十数人は乗り込めそうだが、既に王都兵数人と冒険者たちでどこも定員になりつつある。
それを見てライアスが口を開く。
「……だめだ、あれ。フライア、三人で乗るのはきついぞ」
その言葉はもちろん、「憑依して乗ろう」という示唆だ。
「まだ髪整ってないのに……」
「見えなきゃいいだろ、もう、早くっ!」
投げやりな口調で返され、フライアは髪を触りながらうう、と唸り声を上げる。
走って向かいながら、馬車側から死角となる場所でライアスが一瞬立ち止まる。後を追って走る妹がその背中にぶつかるように、兄妹の身体はひとつになった。
ようやく正門前にたどり着きイリューアを見れば、髪型から胸元の装飾までピシッと整っている。自分たちと対照的なその身なりに、さすがは騎士だ、と思わず兄妹は感心してしまう。
「では、乗り込みましょう」
イリューアが毅然とした口調で言った。カムトは一瞬だけライアスの周囲を見回す。
「えっと、フライアもいるんだよね。よし、荷台に乗って! 説明は部隊長から出る!」
そう言って馬車の荷台へと腕を振った。
「まーったく。着替えも話も早えよなあ」
ぼやきながらもライアスが乗り込むと、馬車はすぐさま出発した。
時計の針はまだ六時を回っていない。早朝の馬車移動となり、王都兵はさておき突如召集された冒険者たちの中には眠っている者も多い。とてもじゃないがヴォイドに立ち向かおうという光景ではなかった。
荷台は狭く過密で、慌てて着込んだ鎧を整え直す余裕もない。乗り心地の良くないその車内に、統率役らしい王都兵の声が響いた。
「早朝から申し訳ない! 我々はこれよりアトリアへ向かい、開いたヴォイドゲートの収束の任務にあたる! ここにいる傭兵、冒険者の役目は都内に進出したとされる悪魔の撃退だ!」
決然と言い切るも、それに対する反応はさまざまだ。
ヴォイドと聞いてひそひそ囁き合う者、実感が湧かないまま眠気と戦っている者……。ライアスはどちらかといえば後者だった。
王都兵が説明を続ける。
「情報によれば幸い、ゲートに開きは小さく、現れている魔物も小さいと聞いている。ヴォイドの瘴気を気にする者もいるだろうが、その心配はほとんどない。だが、敵の数が多く、都内に無数に放たれているという情報だ。通常のモンスターを狩り続ける任務と言ってよいが、決して単独行動を起こさないこと! 先行している神官フェルディナント様と《勇者》アヴァランがゲートを塞ぐまで、辛抱強くアトリアを防衛するのだ! 到着まではしばし心の準備を整えよ」
そこまでを力強く語り、限られたスペースに腰を下ろす。一通りの説明は済んだようだ。
ライアスはおもむろに首をひねる。
(ん~? ヴォイドの瘴気に、敵が無数? ゲートを塞ぐまで防衛?)
その頭上ではフライアが同じように小首を傾げている。
(都、襲われてるの?)
二人してどうにも頭が回らない。
ヴォイドは兄妹にとって未知の相手だ。瘴気がどうとかゲートがどうとか言われてもよく分からない。心の準備といっても睡魔は度々襲ってくるし、石畳を弾いて走る馬車の振動が思考を阻害する。
これでは考えたところで埒が明かないな、とライアスは小さく息を吐く。ふとイリューアに視線を向けると、どことなく神妙な面持ちで、片手を顎に添えたまま街道の景色を眺めていた。
「イリューア。お前、ヴォイドの悪魔って見たことある?」
話しかけるもすぐには反応がない。少し間があってからライアスを振り向き、
「……あっ、いえ。一度も……」
小さく呟くように言った。ライアスが「だよなぁ……」と相槌を打つも、イリューアはすぐさま視線を戻した。妙に素っ気ない。心ここにあらず、といった感じだ。
いつもと違うその様子が気にかかり、ライアスは声をかけた。
「どうした?」
するとやはり間があった。
「……いや、少し気分が優れないもので」
彼女らしからぬ弱々しい声でそう言った。
ああそうか、とライアスは納得する。気を揉んでいるようにも見えたがそうではなく乗り物酔いと格闘しているのだ。早朝から抜かりなく準備をしていた彼女でも、この揺れには対応できていないようだ。
そうして揺れを意識した途端、ライアスまで気分が悪くなってきた。
「……悪い。俺も少し寝るよ」
やや青ざめた顔でそう呟く。
──馬車は出発したばかり、アトリアはまだ遥か先だ。




