153 アトリア外交の行方
作業場の片付けに作業着からの着替え、それから皮をシェラタンにいるベベルの元へ発送する手続きを済ませて、軽く小一時間はかかってしまった。
塔を上り下りした兄妹は息を切らし、急き込むように事務所の扉を開いた。
「はあ……、はあ……、待たせたか?」
荒い息のままライアスが尋ねる。カムトは既に事務所にいて、その対面にはイリューアも座っている。先日と同じような状況だ。
だが、カムトに待ちくたびれた様子はない。
「いや、ちょうど時間通りだよ。大丈夫」
朗らかにそう言った。兄妹はホッとして彼らの座る応接用のソファへと向かう。
ライアスがカムトの隣、フライアがイリューアの隣に腰を下ろし、四人が向き合うかたちになった。
「それで、なんだ? 話って」
ライアスが言葉を切り出し、フライアとイリューアも揃ってカムトへと視線を向ける。
カムトは少し間を置き、ゆっくりと口を開いた。
「うん、アトリアのことなんだけどね。ちょっと進展があったんだ。姉さんから念のため、王都からバックアップをお願いしたいって」
「バックアップ?」
ライアスが首をひねる。カムトはこくりと頷いた。
「……あんまり、神経質にはならないでね。昨日はアカデミーの学長が面会を断ったって話まではしたよね」
訊かれてライアスが視線を彷徨わせる。
「た……たしか」
覚束ない兄に代わり、「しました」とフライアが応じる。
カムトはうん、と頷いた。
「そこまでだったらまだいいんだけど、今日になって定期視察してるヴォイドゲートへの立ち入り調査をアカデミーが断ってきたんだって」
それを聞き、ライアスが「……ん?」と不明瞭な声を上げる。フライアとイリューアも目をぱちぱちとさせた。
カムトが言葉を継ぐ。
「ヴォイドゲートはアカデミーが監視してるんだけど、そのアカデミーがゲートの近くまで行くことを許可しないって。これまでそんなことはなかったからおかしいって話になってね。向こうは『ゲートから危険を察知した。今は入れさせられない』、だなんて理由で立ち入りを断ってるんだけど、変な話なんだよね」
説明を受け、各々が話の内容を頭の中で噛み砕いていく。
安全性を確認するための視察なのに、危険だからと立ち入りを禁止する。その矛盾に誰もが気付いていた。
「姉さんが説得し続けたようなんだけど埒があかなかったみたいでね。それならヴォイドの脅威に対抗できる《勇者》を送り出して確認しようってなったんだ。ついさっきだけど、兄さんとアヴァランがアトリアに向かったよ」
カムトはため息交じりに言った。
危険というのが立ち入りを禁止する理由ならば、ヴォイドの鎮圧を担う力を持つ《勇者》であれば問題ないはずだ。
「ああ……。それで、勇者様は稽古を途中で切り上げたんですね」
イリューアが皆に聞こえるように呟いた。彼女は午前中アヴァランと稽古をしていたはずだ。
「うん、そうなんだ。夢中になってたところで悪かったね」
カムトが応じる。アトリアに向かう準備のため稽古は中断されたようだった。
イリューアは「それは構わないのですが……」と言いながら視線を持ち上げた。
「アトリアは大丈夫なんですか?」
兄妹も感じていた疑問を先に切り出した。
三人に視線を向けられたカムトは顎に手を当て、俯き加減にテーブルを見つめている。
「うん、そこなんだけど……」
そう口にするも、すぐには言葉が続かない。煮え切らないその応じ方にライアスが口を開いた。
「カムト。その辺は俺たちも気になってるところなんだ。アカデミーは以前、そのヴォイドゲートを使ってクルサとエラセドの争いのきっかけを作ったんだ。アカデミーの奴からも、クルサの市長からもそう聞いてる」
カムトは俯いたままだったが、その思いを汲み取るように小さく頷いた。やがて大きく息を吐き、ゆっくりと顔を上げる。
「……やっぱり、噂は本当だったんだね。クルサでの交戦があった後、いろんな情報が飛び交って、ほとんどはアトリア贔屓の情報が王都に聞こえてたんだけど、その中にアカデミーがヴォイドゲートを動かそうとしたって微かに流れていたんだ」
その言葉に兄妹とイリューアは愕然とする。……その兆候があったのなら、やれることがあったのでは?
「おい、調べられなかったのか。それ?」
ライアスが語気を強めて尋ねると、カムトは僅かに表情を歪めた。
「……調べはしたんだよ。以前アヴァランが王都にいた時でね。事情を話して頼んで、馬で一走り調べに行ってもらったんだ。《勇者》はヴォイドを検知する力を持っている。ゲートに異変があれば気付くことができる。……でも、それでも異変はなかったって」
語尾につれて小さくなり、最後は消え入るような物言いだった。調べたのに突き止められなかった、それに対する不甲斐ない、という思いが如実に伝わってくる。
ライアスがやや気まずそうに口を開く。
「……わ、悪い。責めるつもりじゃなかった」
項垂れるカムトを慰めるように言葉をかけた。だがその横顔は憂いに沈んでいる。頭の回転が速く利発なカムトだが、精神面はまだ年齢相当の脆さがある。
カムトは小さく息を吐くと、「うん、ありがとう」と顔を上げた。彼が持ち直したのを見て、ライアスは本題へと話を戻す。
「それで、本当に大丈夫なのか?」
するとカムトは「ちょっと待って」と片手を上げた。
「その前に、ちょっと確認させて。本当にゲートは動いたの? ゲートが開いたならヴォイドに潜む悪魔とは一体でも出会ってるの?」
「あ、いや……」
先程とは対照的な強い口調にライアスが口ごもり、前のめりだったフライアとイリューアも身体を引いた。
アカデミーがヴォイドゲートを使ったとはいえ、確かに悪魔らしき生物を見たわけではない。冷静に考えてみれば、脅しをかけるだけならヴォイドゲートを開く必要はないのかもしれない。
そんな三人の様子にカムトはホッと肩の力を緩めた。
「ならまだいいよ。ゲートが開く規模にもよるけど開いたところでアカデミーが悪魔たちをコントロールできるわけでもない。被害は都を問わず被るはずさ。それと、アカデミーが本当に脅しのためにヴォイドを持ち出していたなら今回だって利用してきている可能性もある。今は刺激しないように、でも万一には備えるために、兄さんとアヴァランもアトリアには伝えずに密かに向かってもらっているんだ」
その説明に一同はなるほど、と頷き合う。そのあたりの対応はさすが、ヴォイドの脅威に立ち向かう《勇者》を擁する都だけに抜かりがない。
カムトが言葉を継ぐ。
「明日に二人が姉さんらと合流して危険とされたゲートの視察許可をもらえるのが一番いい収まり方だね。アカデミーがどう出てくるかが掴めないけど、ヴォイド相手の専門家を出してきた相手に断る理由はないはずさ」
ライアスはふうむ、と腕組みをする。
「そういうことか……。それで、俺たちは特に出番はないってことか」
カムトはこくりと頷いた。
「うん、最悪の事態が起こらなければね」
「…………なんだって?」
カムトのその言葉に三人は固まった。




