149 気取りのない勇者様
兵士や宮殿の使いたちの足音だけが聞こえる静かな廊下。
正体の見えない戦争に思いを巡らせ、三人は足を止めていた。
だが自分たちの上長でもある神官が外交中である以上、下手に首を突っ込むわけにもいかない。カムトの言うように、よほどでない限りは自分たちが手出しするべき問題ではないだろうことも分かっていた。
そのとき、不意に男の声が聞こえた。
「よう! 久しぶりだ!」
ライアスがその声に顔を向ける。
「ん? ……あっ!」
その男の顔に驚きの声を上げた。
金属が擦れる音を響かせながら、立派な鎧を身に纏った青年がゆっくりと歩み寄ってくる。その顔は、ライアスでも忘れることがない。
「アヴァラン……!」
勇者アヴァラン。
ただならぬ存在感を漂わせながら、屈託のない表情を兄妹へと向ける。
「ライアス。久しぶりだな。前に会ったのはたしか、まだここへ来たばっかりの時だったよな」
朗らかに言われ、ライアスが「ん……だったかな」と締まりなく応じる。するとアヴァランは破顔して、
「はは、しっかりしろよ。少し遅くなったが、話は聞いてる。『ブラザーズ』の設立、おめでとう。これで城内に仲間が増えたってもんだ」
「「えっ……?」」
ライアスとフライアが戸惑いの声を重ねて顔を交互に見やった。
親しげな勇者の態度に兄妹は当惑した。
「お、おい。皮肉か? 俺たちはまだそんな大した身分じゃないぞ?」
ライアスは動揺を露わにそう尋ねた。
なにしろ自分たちと彼とではあまりに立場が違う。アヴァランは神官から力を授かった《勇者》の称号を持つ者であり、アウストラリス軍の分隊長でもある。
一方、ライアスら兄妹は軍人としてさえ認められていない。「ブラザーズ」というギルドを立ち上げはしても、立場はあくまで《傭兵》でしかないのだ。
アヴァランは「うーん……」と唸り、おもむろに首を傾げた。
「そうすると、どうやったらその垣根を破れるだろうか」
「え……?」
呟くようなアヴァランの言葉に、兄妹はますます当惑の色を濃くする。
すると不意にアヴァランが両腕を広げた。
「俺はただ、同世代の後輩が来てくれたから嬉しいし、楽しくやりたいって言いたいだけだ」
どうということもないだろ、とばかりに朗々とした声を上げる。
「正直な、俺もこの《勇者》って称号が時々邪魔になるって思うことがあるんだ」
言いながらアヴァランは快活な笑顔を見せた。
だが兄妹はその言葉に疑問を抱いた。傍らに控えるイリューアも同様のようだ。勇者として敬われる人間がこうも腰を低くできるものなのか、どうにも信じられない。
「……《勇者》の称号が邪魔だって?」
ライアスが尋ねると、アヴァランは躊躇なく頷いた。
「まあな。……あー、でもフェルディナントには言うなよ。あいつじゃ、機嫌を損ねるからな!」
そう言ってニッと口角を上げる。
勇者の称号に似つかわしくない茶目っ気のある物言いに、フライアが思わず苦笑いを零す。
「い、いいの、それ?」
するとアヴァランはムッと唇を曲げた。
「《勇者》だったらダメだって言うのか? あいにく、俺も《勇者》である前に皆と同じ一人の人間だからな」
兄妹とイリューアは顔を見合わせ、思わずううん、と唸る。
アヴァランの態度を見る限りからかっているわけでもなさそうだ。《勇者》という肩書きさえなければ先輩と呼んでもおかしくないような雰囲気だ。
……だが、いまいちその距離感が掴めない。
「その……ちょっとそういう人付き合いは慣れてないもんだから……」
どう返していいか分からず、ライアスが言い訳のように口にする。相手の気分を害したくないと思うとそれ以上言葉が見つからなかった。
そんな思いを察したかのように、アヴァランはくすりと笑って口を開いた。
「いいさ、せっかくこうして同じ宮殿の中にいるんだ。互いに大陸中を飛び回ってるんだから、せめて会えたときくらい気兼ねなく話そうぜってことだ」
ライアスは未だ戸惑いながら、
「そ、そうか? わ、わかったよ」
と、ひとまず首を縦に振った。
これもアヴァランなりの厚意なのだろう。場の空気に流されたような気もしながら、兄妹はどうにか彼の言葉を受け入れることにした。
アヴァランはニカッと笑い「よし!」と声を張り上げる。
「……と言ってこう誘うとまた抵抗されるんだろうが、明日の午前中空いてるか?」
そう言って兄妹の顔を見やった。
ライアスが「え?」と再び戸惑いの声を発する。その反応にアヴァランはやっぱりな、という顔で説得するように言葉を付け足した。
「最近偵察任務や指揮監督の仕事が多くてな。剣を振ってないんだ。稽古の相手になってくれないか?」
「えぇ……」
今度はあからさまに渋った口調で返す。勇者の稽古相手というのもそうだが、明日はフライアと鎧の製作を予定しているのだ。
「その……『空気を読まない』ってやつかもしれないんだけど、俺たちこの鎧を直さないといけないんだ」
ためらいがちにライアスが言うと、アヴァランは「……ほう!」と顎に手をやり、
「その鎧は自分で作ってるのか?」
「ま、まあな」
そう言ってずい、とライアスの鎧に顔を近付けた。
アヴァランは感心するように軽く血も滲んでいる鎧を眺め回す。
思いがけない反応にライアスは思わず目を細め、その隣でフライアが頬を赤くする。鎧を作れる人間はそう多くないのかもしれないが、決して自慢できるような質ではない。兄妹はなんとも面映ゆい思いがした。
そんな兄妹の様子に気付いてか、アヴァランは姿勢を正すと場を取りなすように口を開いた。
「そうか、それなら仕方ないな」
兄妹は返す言葉もなく、しばしの沈黙が流れる。……なんとも微妙な空気になってしまった。このまま別れるのはさすがに気まずい。
ライアスは腕組みして横を見た。
「俺とフライアは予定が付かないんだけど、そうだな。……イリューアいけるか?」
そう言ってイリューアを見やった。
「え? ……え?」
唐突に名前が上がり、イリューアは目をぱちぱちとさせる。
「また代わりに、って形で悪いんだけど」
ライアスはやや申し訳なさそうに言う。だが、稽古の相手であれば騎士であるイリューアにも十分務まるはずだ。
イリューアはまさか自分に振られるとは思ってもみなかったようだ。
「……私などが、勇者様の相手をするのですか?」
怖々とした小声でそう返してきた。
その素直な狼狽えぶりにフライアがくすりと笑う。ライアスは「ほらな」とばかりにイリューアを指差し、わざとらしく声を大きくする。
「な? そう思うよなあ? いきなり勇者との稽古って言われたらさ、驚くよな? 俺の感覚間違ってなかったよなあ?」
「わかった! わかったって!」
アヴァランは苦笑いを浮かべ、と両手を前に上げた。その仕草にフライアの口元がまたほころぶ。
身分の差による感覚の違いが共有され、にわかに場が和んだ。ライアスが改めて口を開く。
「それで、どうする? どうしても明日は俺たち、手が空かないんだ。イリューア次第なんだ」
するとイリューアはこくりと頷いた。
「……わかりました。私も、最近はあまり剣を振るっていなかったのでちょうどいいですね」
その返答に兄妹はホッと胸を撫でおろし、アヴァランが喜びを露わに声を上げた。
「そいつはいい! エラセドの剣術を見られるのはいい機会だ!」
「アヴァランっ!」
咄嗟にライアスが言葉を遮る。彼女がエラセド出身の人間であることはできる限り広めたくない。
アヴァランもそうした事情を知っているのか、ハッとして口元を押さえた。
「……すまない。純粋に稽古をしたいだけだ。明日の午前中、宮殿の中庭にいいか?」
改めて言われ、イリューアが頷く。
「……はい。私も午前中のほうが都合つきます」
アヴァランは満足そうな笑みを浮かべると、「ありがとうよ」と手を上げながら自室の方へと去っていく。
……と、思っていた彼が一行に背を向けたまま立ち止まり、天井を仰ぎ見るとこう呟いた。
「はあーあ、オッズが二十倍、だったよな。五百マーシャルくらい掛けていたらなあ……」
「「……はっ⁉」」
仰天のハモり声を上げながら兄妹で顔を見合わせる。だが、続く言葉が見つからない。
それを聞いてか聞かずか、アヴァランはなに食わぬ顔でまた歩き出した。




