141 手のひら見せ合って
一区切り話が付いたところで、マルコスは少し休憩にしましょう、と言って席を外した。疲れ切った様子のライアスに気を利かせたのだろう。
「はあぁ……」
見た目は一人、憑依した妹と二人きりになり、ライアスは安堵と疲れが入り混じったため息を吐く。それから足元に目を向け、置いてある洗浄用具へとおもむろに手を伸ばした。
ナシラに人気という洗浄剤は確かに上品な香りを漂わせ、なんとなくだがシェラタンにも広がる花畑を彷彿とさせた。
ライアスは握ったブラシをその洗浄剤で濡らし、自らの鎧へと擦り込んでいく。そうして身体を洗うようにラプターの返り血を洗い流す。
「……やっぱり、悪気はなさそうだよな、あいつ」
人目がないのをいいことに小声で語りかける。
(うん。裏はなさそう)
頭上に浮かぶフライアが応じた。
「協力したいって言ってたけど、なんだろう? 別に俺たちじゃなくてもいい気がするんだけどな」
(うん。でも、話がずっと逸れてて……)
「ああ……」
何故自分たちなのか、それを聞きたいのに、話を理解しようと質問するうち話題が別の方へと膨らんでしまう。
だがマルコスはそんな疑問に対し常に誠実に答えてくれた。
「そろそろ様子見は止めてあいつの希望も聞いてやらないと、か」
ライアスは呟くように言った。相手が誠実ならばこちらも応えるべきかもしれない。
気持ちの整理をつけるようにブラシを洗浄剤の入ったバケツへと戻す。ブラシに付いたラプターの血がじわりと洗浄剤を赤く染めた。
ふう、と一息ついて椅子に腰掛ける。
……と、同時にライアスは胸元に違和感を覚えた。
「……ん? あれ?」
べたつくような感覚があって、首元から確認すると肌着が濡れていると分かった。
(どうしたの?)
妹に声をかけられ、小さくため息を吐く。
「ああ……。また、革を新調しないとなって」
(また浸み込んだの?)
ライアスの鎧は革と金属板を合わせて作られている。革が傷み、そのひび割れから洗浄剤が浸透してしまったようだ。
「そう。交換の目途が過ぎたな」
(……うん。ずっと使ってるから)
人気のない商会のテラスに何気ない兄妹の会話が流れる。
そのときふと、ライアスは今の環境と自分たちの境遇の差に違和感が込み上げてきた。
レギンスやブーツと異なり、戦いや狩猟で幾度となく壊れるこの鎧は店で買ったものではない。雑貨屋を営むベベルから精製された革の切れ端と金属板をもらい、それを彼女の知り合いの職人に教えてもらったやり方で自ら組んだものだ。
壊れればまた同じ手法で組み上げる。ずっとそうしてきた。
豪奢な屋敷の中、おかしなもんだな、とライアスは大きくため息を吐く。
「なんか……。ちょっと幻でも見てたのかな」
(……え?)
フライアには兄の真意が分からない。ライアスはちらりと宙に浮く妹に振り向き、言葉を添える。
「俺たちは元々鎧すら満足に買い足せなかったんだ。何百万マーシャルだなんて、今俺たちが見るべきものじゃない」
(ああ……!)
フライアはハッとした。どんな環境にあっても自分らしさを忘れないようにしよう、そんな確認を込めてライアスは言ったのだ。
「今見るのはあいつの意図、考え。それに絞ろう」
(……うんっ!)
兄の言いたいことを理解し、フライアも力強く頷いた。
兄妹は気持ちを入れ直す。さっきまで何やら気が昂っていたが、もしかすると手にしたこともない金額を告げられ目が眩んでいたのかもしれない。そうした貧富の差を思い知ったところで、それを今気にしていても仕方がない。
切り替えよう。そう思い深呼吸したところで、マルコスがテラスに戻ってきた。
「失礼しました。長くお付き合いさせてしまっています」
丁寧な口調で言われ、ライアスが応じる。
「いや、俺らも質問ばかりして先に進ませてないからな」
するとマルコスは口元に手をやり、微かな笑みを零した。
「ふふ……」
「な、なんだよ?」
少しムッとして言うと、マルコスは薄い笑みを湛えたままこう告げた。
「あ、いや……。やはり、『俺ら』とおっしゃるものですから……」
「っ!」
ライアスが絶句し、その頭上にいるフライアが顔を覆った。その指の隙間からため息が零れる。……気を抜くとすぐ人称を複数形にしてしまう。
(もうコソコソしてても意味ないんじゃねえか?)
半ば諦めがちにライアスが呟く。その様子に、マルコスは困ったように首を傾げた。
「え、えっと……。なんでしょう? 聞いていてもあなたの口調はあながち、ごまかしているわけではない気がするのですが……?」
戸惑いを露わに口にする。兄妹の事情など知る由もないのだから無理もない。
そんなマルコスの様子に兄妹もまた困惑する。
(もう、無理だって。たぶん、マルコスは悪い奴じゃない)
ライアスが言い、フライアがため息交じりに頷く。兄妹は意を決した。……いや、決心という名の諦めかもしれない。
「……? ……っ! わあっ⁉」
次の瞬間、マルコスが間の抜けた声を上げた。
項垂れてテーブルに両肘をつき頭を抱えるライアス、その背後に浮かび上がるようにフライアが姿を現し、そのまま兄の後ろへコトン、と靴音を立てた。
「え……? ええっ?」
これまでずっと冷静で凛々しい顔を崩さなかったマルコスも、このときばかりは表情を乱した。褐色肌に一際目立つ両眼をぱちぱちとしばたたかせている。
「……やっぱり、お前でも驚くんだな。脅かして悪い。俺の妹だ」
ライアスに紹介され、フライアが軽く前に出る。
「……フライアといいます」
ちんまりと縮こまりながら小さく会釈した。
それに対し、マルコスは動揺を隠せないまま応対する。
「は……はい。……あっ、い、椅子と飲み物をご用意いたしましょう!」
何百万マーシャルという大金を動かす商人でも気を動転させることがあるらしい。非の打ち所のない完璧な人だと思っていた青年商人の素の姿に、フライアは思わず頬を緩めた。
すぐに椅子とコーヒーが用意され、三人でテーブルを囲む。そしてライアスは《独りの兄妹》について改めて説明をした。
──フライアはライアスの半身であり、《自分自身》であること。力を切り分けた者として、話したり、覚えたり、考えたり、その力を合わせて生きていること。これまでイリューアやヴィクター、そして勇者アヴァランにもしてきた話を繰り返した。
先程までとは立場が逆転し、マルコスは戸惑いを隠せずにいながらも努めて理解しようとしてくれた。
「はあ……なるほど。世の中には、数字で表せないこともあるんですね……」
椅子の背もたれに身体を沈ませ、天を仰ぐように言ってみせる。その様子は先程までのライアスにそっくりだ。
(気が合いそう……)
フライアがどこか嬉しそうに呟いた。ライアスは無表情のまま頷き、言葉を添える。
「ああ、一足す一が二にも一にも五にもなる、不思議な関係だ」
マルコスは気を取り直すように兄妹へと顔を向けた。
「いや、まさしく……。冒険者とこうして関わることは少ないのですが、まさかこんなお方と巡り会えるとは……」
その表情には先程までの精悍さが戻ってきている。
兄妹からするとマルコスは秘密を明かした数少ない人間の一人ということになる。
ライアスは改めて口を開いた。
「この力があるからと言って金が湧いてくるわけじゃないけど、俺たちにとっては大事な関係と事情なんだ。さっき聞いた商人の裏事情と同じように、他言はしないでほしい」
するとマルコスはしっかりと頷いた。
「……わかりました。そうしましょう。これで、お互いに手のひらは見せ合ったということですね」
そう言って顔をほころばせる。
それぞれが手の内を明かし、兄妹とマルコスの間にひとつの信頼関係が結ばれた。
「ああ。協力の話をしたい」
「……はい!」




