140 存続を賭けて戦う商人たち
商人の話についていくのが精一杯なライアスにマルコスはくすりと笑った。
話を整理するべく口を開く。
「ええ、先ほど商会の規模が大きくなってしまう、というお話をしました。大きくなればなるほど自分の商会でありながら目の行き届かない分野が増えてきます。すると、思わぬところから足を引っ張る輩が現れるのです」
聞きながらライアスが「ほう」と呟く。話が伝わっていることを確かめ、マルコスが言葉を継ぐ。
「商売は実力があっても、信頼なしには成り立ちません。人々に選ばれ、関係を維持していかなければそれこそ大きい時は何百万マーシャルを超える契約金が他の商会へと移るのです。そうならないために我々は全力を尽くしますが、その関係維持を妨害し、その取引先を自分たちに仕向けようとする商会が現れてきたのです」
(なんびゃくまん……)
フライアが思わず眉根を寄せた。
自分たちには想像もつかない金額の桁に兄妹の思考が一時停止する。
「な、なんで、そんなバカでかい金がいとも簡単に動くんだ?」
具体的な価値がイメージできないままライアスが尋ねる。
マルコスは小さくため息を吐いた。
「それは、取引先もまた巨大だからです。父の取引もそうなのですが、ナシラの貿易で圧倒的な規模を持つのは他でもなくサダルメリクです。常に物資を必要としているこの都では数々の取引を商人たちが独占的に結んでいます。相手は数人、十数人の小隊から、都の統括の側近を守るエリート部隊まで。ですが、共通しているのは、彼らは一刻を争っているということです」
言いながら僅かに眉をひそめる。
「生きるか死ぬかを巡る争いで物資の供給を止めたり、彼らへの報酬を与えられなかったりすれば信頼を大きく損ねるわけです。死に際になって物資が遅れて取り返しがつかないことになったら……、彼らはきっとこう言うでしょう。『命を賭けている俺たちをなんだと思っている! お前たちの商会とは取引しない!』と。すると何十、何百人という規模を供給していた部隊との商売が上がるわけですから影響は莫大なものとなるわけです」
説明を受け兄妹も考えをまとめていく。
「うん、うん……」
マルコスがゆっくり説明してくれるおかげで、兄妹にも完璧ではないにせよ大まかなイメージが掴めた。頷くライアスを見て、マルコスはさらに言葉を添えた。
「我々商人はそれを継続するために細心の注意を払います。時には信頼を勝ち取るために、先ほどの騒ぎでお見せしたように、露店の損害を請け負うようなことも行います」
「……あー、さっきのか」
ライアスが納得するように呟く。
慣れない状況に緊張しているせいか忘れかけていた。兄妹を襲ったラプターに露店を滅茶苦茶にされて騒ぎ立てる商人らに、マルコスは「損害を補填」すると告げることで場を収拾したのだ。
「それで……? ちなみにあれは本当に全部肩代わりするつもりか?」
ふと気になり、ライアスが尋ねる。するとマルコスはくすっと微笑んで首を横に振った。
「ふふ。もちろん、ケゼックに全額払ってもらいますよ」
「おおぉ……? ど、どうやって?」
さすがに機密情報か、と思いながらも尋ねてみる。ただでさえ守銭奴な商人、それもあの悪徳そうなケゼックが支払うとはとても思えない。
するとマルコスは懐から手帳らしき物を取り出し、それをおもむろにテーブルの中央に置いた。なんだ? と前屈みになるライアスに対し、マルコスはゆっくりと口を開く。
「また話が逸れてしまいますが、それを利用します」
「これは……『保安官手帳』?」
ライアスが覗き込み、手帳に記された文字を口にする。
マルコスはこくりと頷いた。
「ええ、ナシラの統括部門から発行されている特殊な公認証です。私はこの都で有事が起こったときに自身の部下や護衛を出動させて鎮圧させる権限を持っています」
その言葉に宙のフライアがぽかんと口を開く。
(……え?)
都の有事に身内の者を出動させ鎮圧する権限──。それはとてつもなく大きな権限ではないだろうか?
野盗から生活を守るシェラタンの自警団と似ているようでまるで意味が異なる。この商業都市において、そんな絶大な権限を一人の商人が握っているのか?
驚くばかりで兄妹には言葉が見つからない。唖然としながら、ライアスはまた思いつくまま疑問を口にした。
「それは……やばい権限じゃないか? なんで都がやらずに商人に任せるんだ?」
確かにこの青年商人なら上手くやるのかもしれない。
だがもし、その権限をそこらの悪徳商人が手に入れたなら。それこそ最悪の事態に陥るのではないか。
……想像するだけで背筋がゾッとする。
その考えを見透かすかのように、マルコスは丁寧に説明をはじめた。
「そこがまた、このナシラが抱える問題なのです。自分が言うのも難ですが、この都は都長や統括部門より一部の商人のほうが強い力を持っています。おっしゃる通り、本当は都が管理するべきなのですが、そうしていた時期に賄賂が横行したのです。十年ほど前になりますが、ある商会が都の運営部門を裏で買収して北のマーケット地区を実質的に支配した、という事件がありました」
ライアスはがっくりと項垂れ、頭を抱えてテーブルに伏せる。
問題の規模が大きすぎてもはや兄妹には理解が追いつかない。
(どうなってんだよ、この都……)
頭の中で呻く。人間の欲望と騙し合い、そのスケールがあまりに大きい。
そんなライアスに対し、マルコスは苦笑いを浮かべながら言葉を継いだ。
「今だから笑って話せる話です。私もまだ幼かったのですが、一時は大変な事態になりました。露店の配置はその商会が意のままに設定していきました。ライバル商会は全てマーケットの外れに移動させられ、常時監視させられ、決められたものと量しか売れず、その規則に反したら即都の本部に通告されて罰則を受ける、ひどい有様でした」
ライアスは弱々しく首を振った。
「……よくまあ、そんなところから立ち直れたな……」
呆れ果て、もはや言葉を選ぶことなく呟く。兄妹が思い浮かぶ限りの「最悪の事態」は既に起きていたのだ。
マルコスが言葉を続ける。
「それから父も加わった他の商会が集まり、その不正を摘み取ったのです。ただ、同時に都の運営への不信感が急速に広がりました。今の制度では都はダメだと、任せられないという流れでこの『保安官』制度が生まれたのです」
「ふーん……」
ライアスはしみじみ相槌を打った。少しずつではあるが、この都の全体像がようやく見えてきた気がする。
「その保安官ってのはつまり、都の運営部門だけじゃなくて商人からもちゃんとこの都を見張ってくれっていう制度なのか」
有事の対応だけでなく商売の公平性を保つのも役目のひとつなのだろう。それならば商人が取り仕切るというのも理解できる。
「そうです。大混乱に陥った都の苦肉の策とも言えますが、要するに住民から見て納得のいく監視体制が必要になったのです。そこで資格試験に合格し、なおかつ『民から幅広く認められた』商人に限り、この資格を与えられるように制度が作られたのです」
ライアスがふうむ、と腕組みする。
「それで、マルコスがその保安官になったと」
マルコスが頷く。だが僅かに首を捻り、言葉を添えた。
「とはいっても、これは常に約束されるものではありません。この資格を受けるのに二年勉強しました。しかもこの公認証を更新し続けられるかは民衆次第。知名度が下がれば認知もされなくなりますし、商会として不正を起こせば当然剥奪の火種になります。この権限の乱用なんてもってのほかです」
その説明に兄妹は思わずため息を吐いた。
(なんてがんじがらめの世界なんだ……)
表情に乏しいライアスもむう、と口をへの字に変える。
いわば導き手として人前に立ち、秩序を背負って活動を行う。それも何ひとつ間違ってはいけない。
……自分たちには到底できない振る舞いだ。
「そんなことまでして保安官の資格を取ったのが、最初の……」
ライアスが呻くように言った。そんな重責を背負うのには理由があるのだろう。
マルコスはゆっくりと頷いた。
「はい。妨害を仕掛ける輩から商会を守るためです。父に勧められて勉学に励みましたが、一時は軽く鬱になりましたよ。ですが、やはり取っておいて正解でした。この資格はうまく使えば他の商会の失態を暴き、自身への知名度を引き上げる手段として合法的に使えます。先ほどのケゼックの件はちょうどいい例です」
兄妹は揃ってこくこくと頷く。
「さっき俺たちの前でアジ演説やってたもんな」
思い出すようにライアスが言うと、マルコスは照れるような笑いを見せた。
「あまり人前に立つのは好きではないんですけどね。でも、嘘はついていませんよ。あの後のやり取りですが、露店の損害額を一旦私が請け負う一方でケゼックは損害を出したとして都へ罰金を払います。そのままではありませんが、都を通して補填した私の元にお金が返ってきます。露店を営む人々は短時間で復旧できますし、私は問題を解決した保安官、商人として知名度を上げられる、というわけです」
ライアスがふう、と息を吐いて天を仰ぐ。
「……めんどうな取り決めだなぁ」
呆れるように呟いた。それなりに理解したつもりだが、ナシラの諸事情はこれまで巡った都とはまたワケが違いすぎる。
そんなライアスに対し、マルコスは話を締めくくるように言った。
「私がお伝えしたかったことはいかに商人としての信頼を確立するのが難しいか。そしてそれを崩すのがいかに簡単か。そしてナシラは今、その両極端な環境に怯えながら日々を送っている、ということです。ただお金や権力を振る舞うことが今、決して有効な策ではなくなったのです」
兄妹は改めてナシラでの日々を思い起こす。したたかな商人らの顔が脳裏に浮かんだ。
「ああ、それはよーくわかった……」
呟くように言い、ライアスは椅子の背もたれに身体を沈めた。




