116 慈愛
「重い……」
「ぶつからねえように気をつけろよ……」
夕暮れ時、シェラタンの街は賑わっていた。アウストラリスほどではないものの出歩く人々は多く、田舎の小都市ならではの活気に満ちている。
兄妹は大荷物を抱え、人混みの只中をぶつからないよう大通りを注意深く進んでいく。
だが、その行く手に慣れ親しんだ人物の顔が見えた。
「あ……やべ……」
目が合い、ライアスがぽつりと呟く。今は鉢合わせになりたくない人物だった。
「ちょっと! 二人とも!」
「う……」
その女性、ベベルはそう言うと苦笑いをしながら大荷物を抱える兄妹のもとに駆け寄った。
「そういうことなら言いなさいよ! 王都に送ればいいんでしょ? 送り先さえ教えてくれればこっちから出すわよ」
ベベルは腕を組み、水臭いわね、というふうに兄妹を見やる。
「いや、それが……」
ライアスが言い渋る。
彼女を頼りたいのは山々だが、送り先を伝えるとなると宮殿付きの仕事をしていることがバレてしまう。
――今は、まだ大事にしたくない。だから、まだ伝えられない。
そんな兄妹の思いを知ってか知らずか、ベベルは朗らかに笑って口を開いた。
「また加工処理ができる場所が確保できたってことでしょう? どこ? 王都の神官様に送ればいい?」
「「えっ?」」
兄妹は揃って驚きの声を上げた。
彼女は王都の神官、と口にした。傭兵として頑張っている、とぼんやり伝えはしたが、王都所属のギルドとして活動していることは知らないはずだ。
きょとんとする兄妹を見て、ベベルは小さくため息を吐く。まったくもう、とでも言いたげな顔だ。
「……あなたたちが傭兵以上の立場で王都のために活動しているのはわかっていたわ。イリューアちゃん、だったよね。すごくきれいな子が自警団の応援に来たなぁって思ってみたらその所属が『ブラザーズ』って。なんとなーくだったけど、あなたたちの顔が浮かんで。ちょっと調べてみたら、やっぱりその代表者にあなたの名前があったのよ」
兄妹は愕然とした。隠し通そうとしていたことを、彼女はとっくに知っていたのだ。
「そうだったのか……」
ばつが悪そうにライアスが俯いた。フライアも俯き、顔を赤く染める。なんだかすごく恥ずかしくなった。
立ち止まったまま兄妹は荷物を地面へと下ろす。既に両手が限界に近かった。
「別に、自慢することでもなかったし、そんな特別な目で見てほしくなかったからつい……」
視線を落としながら、言い訳をするようにライアスが言う。どうにも後ろめたい気持ちがあった。
するとベベルは柔和に笑ってみせた。
「それはいいのよ。素敵なことよ。ずっと前に言った『新しいことに取り組んでみたら?』ってアドバイス。実現してくれているんだから」
「「あ……」」
その言葉に兄妹は揃って目を丸くする。
新しいことに取り組む、それは確かにベベルに言われたことだ。その言葉をきっかけにシェラタンの自警団に入り、そして世界を見て回ることを決めた。
かつての境遇に思いを馳せ、兄妹は何とも言えない心持ちになる。あの日のことがあるから今日がある、改めてそんなふうに思った。
ベベルが言葉を続ける。
「でもね、あなたたちのその口ごもる癖が時々心配になるの。もっと自分たちだけじゃなくて周りに頼ればいいのにって」
優しい口調だったが、一方でどこか切なげだった。
そんな彼女の気持ちを汲む余裕もなく、ライアスは慌てたように口を開く。
「あ、いや。けっこう頼ってるほうだよ? 今回だって、言っちまえば神官に許可をもらって王都の宮殿の片隅に作業場を作るってなもんだ。ギルドを立ち上げたのも神官の許可をもらえてできたわけだし」
するとベベルは頷いた。
「うん。それはいいの。……でも昔から、あなたたちは自分のことになると途端に話を伏せるのよ」
その言葉に兄妹はぎくりとする。図星だった。
ベベルは兄妹からすると親のような存在だ。しかし兄妹はそんな彼女に、いや、そんな彼女だからこそ、自分たちの最大の秘密、理性を切り分けられた《独りの兄妹》であることを伝えられてはいない。
ベベルは優しげな笑みを口元に湛える。
「きっとあなたたち二人でいなきゃいけない理由も何かあるんだと思うし、それを今更聞かないわ。でも、そんな中でも私だって応援したいのよ。ずっと見てきたんだから。言えないことをどんどん増やすんじゃなくて、言えることは言ってほしいのよ」
兄妹は言葉を失くした。ベベルは想像以上に自分たちのことを分かっていたのだ。無駄な心配はかけまいと口を閉ざしてきたが、彼女はそんなことを望んではいなかった。
ずっとそうしてきたことに、どれほど自分たちがベベルに寂しい思いをさせたのだろう。それを思い知ることになり、兄妹は自責の念に駆られた。
「……ごめん」
気まずそうに頭を掻きながら、ライアスが言う。ベベルはおもむろに首を振った。
「いいのよ。謝らないで。それで? 私にできることはある?」
兄妹は俯き加減に視線を交わす。──もう彼女に寂しい思いを抱かせたくはない。
ベベルに向き直ると兄妹は揃って頷き、ライアスが口を開く。
「えっと……。この重い器材を王都の『ブラザーズ』の事務所に送ってほしい。あと、もうひとつ。結局皮の処理とか鉱石の錬成をしても王都に引き取り先があるかどうかわからないんだ。状況次第じゃまた引き取ってもらいたいんだけど、何かいい手はないかな?」
するとベベルは嬉しそうに笑った。任せなさい、とばかりに胸元をポンと叩く。
「そういうことなら! 定期的に王都にこっちから商品を発送する業者があるのよ。王都の取引場所と時間は決まっているから、そこに持って行ってくれれば私の元に届けてもらうようにするわ。業者には私から話をするから、王都でどのくらいの頻度でやり取りするかはその時に相談して」
意気揚々と説明するベベルの笑顔に、兄妹の胸にも喜びが湧く。
「ああ! わかった」
「ありがとう!」
──と、そこへ頭に一滴の水が落ちてきた。
「あれ……?」
空を見上げると灰色の雲が漂い、雨がぽつぽつと降ってきた。シェラタンではよくある夕立だ。
ぱらぱらと本降りになりそうな状況に、ベベルが腰に手を当てて呟いた。
「ほら。お天気も今日は行くなって言っているわよ」
少し悪戯そうな口調で言う彼女に「うっ」と声が漏れた。確かにこのまま王都まで強行すれば手ぶらで行けても全身がずぶ濡れになるだろう。
どうしよう、と答えが出せない兄妹に、ベベルがまた優しい目を向けた。
「今日は泊まっていきなさいよ。明日荷物と一緒に馬車に乗っていけばいいじゃない。せっかく帰って来たんだから。あなたたちの旅を、少し聞かせてよ」
「あ、ああ……」
そうだった。ベベルにはこの旅のことを何ひとつ言っていなかった。かつては「もう限界!」という時にも必ず戻ってきて、と言ってくれた。ずっと心配してくれていた人を、平気な顔をして素通りするところだった。
それから兄妹はベベルと一緒に荷物を彼女の店まで運んだ。それからはかつて日課だった店での食事に入る。喫茶店は夜の部をお休みにしていた。
三人きりの店内。机にはベベル特製のポトフにミートグラタン。懐かしの味にこれまでの出来事が一気に蘇った。
最初はたどたどしかったが、兄妹はひとつひとつ思い出すように旅の足取りをベベルに伝える。
久しぶりに交わした三人の時間はあっという間に過ぎ、区切りがついた頃には日が変わっていた。




