113 湧き出すシェラタン魂
翌日。兄妹はすっかり寝過ごしてしまった。
窓から降る日差しが既に強い。慌てて身支度を整えようとする兄妹だが、不意に戸口で物音がした。
目を向けたフライアがうげっ、と気まずそうな顔をする。
「なんだ。まだ寝ていたのか」
フェルディナントが不機嫌そうに兄妹をねめつけていた。つかつかと部屋に入り、固まる兄妹を尻目に用紙の束を机に放る。
「報酬と一緒に昨日の報告で聞きそびれた項目をリストアップして紙を置いておいた。記入次第また持ってきてくれ。あと、やり方は任せるとは言ったがここは宮殿だ。だらしなさが目に余るようなら報酬も減額だからな」
感情のない声で言い捨てると、さっさと事務所を出ていった。
そんなフェルディナントを見送り、ライアスはため息を一つ吐く。事務机を見ると十枚ほどの文書が重なり合っていた。
「いちいち面倒だなあ」
げんなりと言って文書を手に取る。パラパラ確認したところ、昨日提出した報告書にまつわる追加質問のようだった。昨晩受けた質問よりも具体的な内容が項目化されていて、回答を記入するスペースも大きく取ってある。
「でも、また忘れないうちに……」
フライアが文書を確認しながら言った。ライアスは肩をすくめ、それから大きく欠伸をした。
「って言っても腹減ったな。昼も近いし、昼飯の分も持ってきてやるか」
フライアも同意し、兄妹は寝ぼけ眼をこすりながら改めて身支度をはじめる。
なにしろ「ブラザーズ」の事務所は宮殿の敷地内の端、それもかなり奥まった場所にある。街に出るにしても一苦労なのだ。
神官アウラに一室設けてもらったときには感謝しかなかったが、実際に暮らしてみると立地の悪さが浮き彫りになってくる。
兄妹は事務所と街を往復して食料を調達し、食事と休憩を繰り返しながら書類の山に向き合う。
だが、相変わらず慣れない文章作業に悪戦苦闘し、ようやく目処が立った頃には日が傾きはじめていた。
最後の一枚を前にして、ライアスは事務椅子の背もたれに身体を沈める。つられるようにフライアもソファに横になった。
「もう日が暮れるじゃねえか。全然休みの日の感がねえぞ」
そんなことを言いながら二人してうーんと唸って身体を伸ばす。そして、脱力したまましばし休憩をする。
やがてフライアはぽつりと呟いた。
「……防腐作業、全然できないね」
「……ん?」
ライアスはきょとん、とフライアを見やる。ザウラクの帰りにライアスが提案したことなのだが、当人は案の定、覚えていない。
フライアがふう、と息を吐いて説明する。
「シェラタンでやってたこと。またやろうって」
シェラタンで暮らしていたとき生業にしていた、皮の防腐作業や鉱石の錬成。
ライアスはしばらく考え込み、ようやく「……ああ」と思い出した。
「そのことか。言ってたな。身体を動かしたいとか、たまにはやりたくなるってな」
とはいえ最近はモンスターの皮を剥ぐようなこともなかったし、何より加工に使う機材一式がシェラタンに置いたままだ。
事務所には寝心地のいいベッドや書類作業に十分な事務机はあるが、ずっと行ってきた手仕事に役立つような設えはない。兄妹が長年やってきた獣皮の処理や鉱石の錬成はもちろん、食材の調理もできないのだ。
(……やっぱり、無理よね)
フライアが小さくため息を吐く。自分から話を切り出したものの、フライアは半ば諦めかけた。
だが、そこにライアスは別の答えを切り出した。
「まずは作業場を作らねえとな」
頭の後ろに手を組んでおもむろに呟く。椅子の背もたれがきい、と音を立てた。
「……えっ?」
フライアはそんな兄を見やって目を丸くする。
「皮の処理と、鉱石の錬成ができる炉が置ける場所……。この塔の下に並べるとか」
ライアスはぶつぶつと計画を口にしている。
諦めるどころか宮殿の敷地をちゃっかり利用しようと企てる兄に唖然としながら、フライアは尋ねた。
「いいの? それ」
ライアスは背もたれに身を預けたまま思案を続ける。
「いや、聞かないとそりゃわからねえよ。でもどうだろうな。塔の裏側なんて死角だろうし、城壁で外からは見えないし、そもそもこの北東側って外に建物が無いんだよな。気分転換にちょっと見てみるか?」
言うや否や、ライアスは「よっ」と椅子から立ち上がった。そのままさっさと事務所を出ようとする。
事務仕事が退屈で仕方なかったのだ。
「あっ。待ってって!」
フライアは慌ててソファの下に転がっていたブーツを履き直す。
向こうみずな兄にため息をつきながら追いかけるが、その表情はどこか期待を込めて晴れやかだった。
「ブラザーズ」のある塔の階下。
降り立った兄妹は、周辺を散策して口を一文字に結ぶ。
死角と思っていた敷地の隅、その周辺はしっかりと整備されていた。植木が行儀よく立ち並び、整えられた芝生には綺麗な花まで咲いている。
管理者の目が行き届いていることは明白だった。
これでは当然、炉などの機材を置くことなどできそうにない。
「宮殿だもん……」
フライアが眉尻を下げて呟く。
「やっぱりダメか。それにこの辺、日当たりも良くないよな」
そう言ってライアスは辺りをさらに確認する。獣皮の防腐作業には天日干しの工程がある。しかし周囲は塔そのものや城壁の陰になって日光が下まで届かない。
兄妹はふとシェラタンの小屋を思い起こす。あの家は周囲が草原や田畑、牧場などに囲まれていて、少しばかり領地を広げても文句を言われないものだった。
このアウストラリスとはあまりにも勝手が違いすぎる。
「んー……。このまま諦めるのも面白くねえぞ?」
ライアスは考え耽り、やがて頭上を見上げる。
「地上が駄目なら……上か?」
兄に倣ってフライアも視線を持ち上げる。
「塔の?」
後ずさりして入ってきた目映い夕陽に目を細めながら、手で陰を作って塔の頂上を見上げる。
事務所の真上に当たる場所だ。宮殿の本殿には及ばないものの、塔は城壁よりも高い位置まで伸びている。
ライアスがすぐさま塔の中へと戻り、フライアもその後を追った。そのまま屋上まで螺旋階段を駆け上がる。
「これは……穴場じゃないか?」
ライアスが期待を膨らませるように言った。
屋上部分は見張り台になっていた。直径八メートル程の円状の空間が広がり、縁まで進めば宮殿の東側を一望することができる。
視界は広く、目を凝らせば海の先に魔法の都アルニラムがあることも分かる。
しかし石造りの囲いは色がくすみ、床には砂利や埃が散らばっている。王都兵の姿がないのはもちろん、しばらく使われていないことが容易に想像できた。
視察を終えた兄妹はそのまま本殿へと赴き、神官アウラを訪ねた。
アウラは厳格なフェルディナントとは対照的に柔和な人柄で、「ブラザーズ」の設立も認めてくれた。弱さを突くわけではないが、彼女なら交渉に乗ってくれるかもしれないと期待を寄せた。
「あの塔の屋上ですか? おっしゃる通り、あそこは昔見張り台として使っていたところです」
うんうん、と頷く兄妹にアウラは言葉を続けた。
「ただ、今はその外回りにある城壁を見張り場所として置き換えています。お気づきかもしれませんがあそこは西側の視界がまったく掴めない上に移動も手間のかかるところです。東側は遮る建造物がないので警備を城壁に回したのです」
「なるほどな」
期待通りの返答だ。兄妹は視線を交わして頷き合い、ライアスが口を開いた。
「その屋上、俺たちが使っていいかな?」
アウラはきょとんと小首を傾げる。
「はぁ、どのようなことに使うのでしょうか?」
問われ、ライアスが要望を口にする。
「俺たち、シェラタンで皮の加工とか鉱石の錬成とかをしてたんだ。だからこっちでもちょっとした作業場が欲しいんだ」
素直に用途を伝えたが、さすがに『モンスターから剥いだ皮を干したい』とは言わない。
アウラは指を頬に添え、考え込むように視線を持ち上げる。
「そうですね……。それは常設するのでしょうか? 万一の有事にすぐ撤去できますか?」
ライアスは腕組みをして答える。
「そうだな。雨ざらしにはできないから、樽と木箱を二個ずつ借りられればまとめられると思う」
アウラはそれ以上質問をせず、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
やはりあのフェルディナントの妹とは思えない。そんな思いを伏せながら兄妹は「ありがとう」と口を揃えた。




