怨恨1:【クマを殺すな!ヒトが死ね!燃える動物愛護魂!】
イメージソング:Jungle Boogie
https://youtu.be/baRc4EE-t_8?si=WSteKL1-0JyJkW2P
時系列では第一弾エラーラ・ヴェリタス編第一話の前日譚なのでこのプロローグで描かれている悲惨な諸問題は全て解決済みです
異世界転生した俺、橘ケンジの第二の人生は、最高にハッピーなラノベ展開になるはず……だったんだ。
トラックに撥ねられて死んだと思ったら、目が覚めると……剣と魔法のファンタジー世界。
新暦105年、王都。
魔法や聖剣なんて便利なものは手に入らなかったけれど、俺には現代の理系大学で会得した「獣医学」の知識があった。
白銀の美しい鎧に身を包んだ凛々しい女騎士アリア・フォン・クライフォルトに拾われ、辺境の村「オークヘイブン」へと連れてこられた俺は、傷ついたグリフォンの雛を治療したり、魔獣たちの病気を未然に防いだりして、すっかり村の「頼れるおにいさん」として重宝されていた。
「ケンジ、本当にありがとう!お前が来てくれてから、騎士団の生存率は跳ね上がったよ。お前は私たちの命の恩人だ!」
アリアはいつだって真っ直ぐで明るい笑顔を俺に向けてくれた。
彼女の兄の辺境伯バルトール様からは「どこの馬の骨とも知れん戦えぬ男」と最初は警戒されていたけれど、俺は自分の知識で大切な命を救えることに、これ以上ない喜びと生きがいを感じていた。
異世界で、獣医知識を生かし、美しい女騎士と幸せに暮らす。
そーんな、お約束のハッピーエンドが待っているのだと……まだ、本気で信じ込んでいたんだよ……。
日常が崩れ始めたのは、魔導端末を通じて、一人の男が脚光を浴び始めてからだった。
男の名はアルフォンス・ハイゼンベルク。
王都の貴族で、「賢者」を名乗る男だ。
彼は安全で快適な都会・中央王都の内側から、なんとも耳障りの良い言葉を撒き散らしていた。
『皆さん!悲惨で野蛮な戦いを今すぐやめましょう! 森の聖なる王であるクマ、「クロウ・オブ・マウンテン」と共存するのです!愛と対話をもって心を通わせることこそが、我々人間が選ぶべき、唯一の道なのです!』
その言葉は、魔獣の恐ろしさを何一つ知らない王都の連中の心を一瞬で掴んだ。
彼らが想像する「クマ」とは、きっと王都の高級ショップで売られている愛らしい魔法人形か何かなのだろう。
だが。
俺たちが現場で対峙している「クマ」、クロウ・オブ・マウンテンは違う。その鋭い爪が振るわれれば、人間など一瞬で肉塊に変えられる。対話なんて、完全に……無理だ。
しかし。
安全圏で暮らす無知な大衆は、手軽に手に入る「正義感」という名の麻薬に狂喜したのだ。彼らはアルフォンスの言葉を信奉し、命がけで村を守っている俺たちに向かって、ついに、怒涛の誹謗中傷を浴びせ始めたのだ。
『クマちゃんとの共存を拒む辺境伯バルトールは血に飢えた野蛮人だ!死ね!』
騎士たちは書類仕事と誹謗中傷の嵐で精神的に追い詰められ、疲弊していった。バルトール様がどれほど現場の惨状と事実を訴えても、王都の連中は耳を塞いで笑うだけ。……人間というのは、自分にとって都合の良い綺麗な嘘しか信じない生き物なのだ。
そしてある日。
元凶であるアルフォンス本人が、数人の取り巻きを連れて「現地調査と啓蒙活動」のためにオークヘイブンへとやってきた。彼はバルトール様の前に立つと、芝居がかった仕草で言い放った。
「やあやあ、野蛮な辺境伯よ、私は森の王と対話し、共存の歴史を開くために来ました。今日、この時をもって、あなた方の浅ましい虐殺行為は私が終わらせてみせます」
その手に握られていたのは、怪しげな小瓶だった。「あらゆる魔獣と心を通わせる秘薬」だと誇らしげに語る彼からそれを受け取り、蓋を開けた瞬間、俺の直感が猛烈な警報を鳴らした。
ツンとした刺激臭……これは、魔獣が発するフェロモンを限界まで濃縮した危険極まりない興奮剤だ。さらにその奥に微かに混ざっているのは……人間の血の匂い。これは魔獣の闘争本能を極限まで暴走させ、周囲にある全てのものを破壊させるための、最悪の薬物調合だった。
「やめろ!そんなものを使ったら対話どころか、奴らを怒り狂わせて無差別な虐殺を引き起こすぞ!」
俺が警告すると、アルフォンスは心底哀れみを含んだ軽蔑の目で俺を見下ろし、見下し、そうして、鼻で笑った。
「ああ、ああ。なるほどですねえ……無知な異界人の嫉妬は見苦しいですね。愛を知らぬ君には理解できなくても仕方がない。愛!愛!愛!愛イイイイ!……これは、聖なる愛の魔法なのですから!」
そうして、彼は一人で森の奥へと消えて行った。
その、わずか一時間後。
アルフォンスの使った薬によって、伝説級のクマ「山主」が完全な狂乱状態に陥り、縄張りを降りて村へと襲来したのだ。
城壁を軽々と見下ろす巨大な体躯、歩く自然災害そのものの圧倒的な破壊力。見張り台の鐘が、断末魔の叫びのように狂った音を響かせる。
「総員、配置につけ!民を絶対に死なせるな!」
バルトール様は自ら大剣を手に取って最前線へと駆け抜けた。アリアも固い決意を瞳に宿して兄の隣に立つ。だが、この地獄のような戦場をさらに最悪の惨劇へと変えたのは、山主ではなく、やはり、アルフォンスだった。森から半狂乱で這い出てきた彼は、腰を抜かして泣き叫びながらでんぐり返ったかと思えば、戦場を無秩序に走り回り、命がけで戦う騎士たちに説教をしてから、自分の盾となって死ぬようにと懇願し、聞き入れられないと知るや、地面に倒れてジタバタと四肢を振り回して暴れ回ったのだ。
「やめろ!クマに刃を向けるな!だが、私を庇え!私は王都の偉大な賢者だぞ!お前たちのような下賤の者は、私を守ってクマから襲われて死ぬべきなんだよ!私を!私を!私を私を私を私を!おおおおおおおッ!まあああああああああああッ!ぼくの話を聞いてよッ!ぼくいーこと考えたんだからッ!ぼくのゆーとーりにしてッ!なああああああああああッ!びゃあああああああああッ!」
……その身勝手な暴走が、取り返しのつかない悲劇を生んだ。逃げ惑うアルフォンスを庇おうとしたアリアが体勢を崩した、まさにその瞬間。山主の巨大な爪が、アリア目掛けて一直線に振り下ろされたのだ。
「アリアッ!」
バルトール様が叫び、彼女の前に立ちはだかった。自らの身体をただの盾にして。
生々しい音が戦場に響き渡った。鋼鉄の鎧が紙屑のように容易く引き裂かれ、辺境伯の巨体が木の葉のように宙を舞って叩きつけられた。
「兄上―――ッ!!」
アリアの絶叫が響く。
討伐隊の決死の猛攻によって何とか山主を森の奥へ追い返すことには成功したものの、支払った代償はあまりにも絶望的だった。俺が駆けつけた時には、もう獣医の知識など何の役にも立たなかった。内臓は原形をとどめないほど押し潰され、命の灯火は完全に消えかけていたのだから。
「ぼちゅっ!?……うぴ……ア!……ひしーっ!……アリ……アリア!……ぷぐっ!…………た……民を!……たの……うぶぅぅっ!?……た……たの……む……」
最期にそれだけを言い残し、バルトール様は息を引き取った。
そしてそのすぐ傍らでは、無傷の、幼児退行したアルフォンスが呆然と座り込み、「ぼく悪くないよ!……ぼく、ぼくは対話をしようとしただけだから!……あいつらが野蛮だからだよ……!だから、いーんだもん!ばーか!あやまれ!……だれかあやまってよおおおンッ!」……と、自分を弁護する不気味な呟きを繰り返していた。彼の軽薄な自己満足の正義が、この村のリーダーを、そしてアリアのたった一人の兄を惨殺したのだ。
その夜、兄の亡骸の前でアリアは静かに涙を流していた。だが、その瞳の奥には、地獄の業火のような激しい憎悪が燃え上がっていた。
「……殺す。私が。絶対に」
俺はアリアの肩を抱き寄せ、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて誓った。
「俺も行くよ、アリア。一人にはさせない」
アリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。俺たちは固く手を握り締め、復讐を誓い合った。だが、本当の地獄は魔物の牙や爪などではなく、俺たちが命がけで守ろうとしていた「人間たち」の手によってもたらされることを、この時の俺たちはまだ知る由もなかった。
バルトール様が亡くなってから一ヶ月後、村にやってきた王都の補給隊の男は、アリアに向かってニタニタと不快な笑みを浮かべながら言い放った。
「いやあ、辺境伯様もまあ何というか、ま、災難でしたなあ。ま、なんでも、アルフォンス賢者様の素晴らしいお言葉を聞き入れず、一方的にクマを攻撃して怒らせてしまったとか。ま、だめですよねーっ。ま、ここだけの話、王都では自業自得だって噂になってますよ?……ま、これだから田舎者は馬鹿しかいないんだよな、本当に田舎者はみんな死ねばいいんだよな、特にクライフォルト家は!死ねよ!……ってみんなから言われちゃいますよ?ああ、今言った言葉は、私の意見じゃないですよ?」
俺は怒りで拳を握り締め、血が滲むほど強く噛みしめた。王都では、生き残ったアルフォンスが保身のために醜悪な嘘を撒き散らしていたのだ。
『私は愛を持って対話を試みたのです!しかし辺境の野蛮な武力主義者たちが、クライフォルト騎士団が、それを踏みにじり、森の王を激怒させた!賢者である私を盾にして死んだ辺境伯こそが、この悲劇の元凶なのです!』
魔導端末を通じて流れるその演説に、王都は熱狂した。父を殺され、村を守ったアリアが「殺人鬼」と叩かれ、すべての元凶であるアルフォンスが「悲劇の聖人」として称えられている。これが、安全な壁の内側でぬくぬくと育った人間どもの「正義」の正体だった。
アリアの執務室には「討伐隊の武装を解除しろ」「魔獣への謝罪文を出せ」という王都からの抗議書状が山積みになった。
それでも、俺たちは戦うしかなかった……。
北の村で、明確な知性を持って人間を狩る凶悪なクマが出現し、深刻な被害が出始めていたからだ。
現地へ向かった俺たちを迎えたのは、村の一番の賢者だった。彼の幼い娘は、病気の友人のために薬を届ける途中でクマに襲われ、上半身を食い散らかされた姿で発見されたという。深い絶望に沈んでいた賢者だったが、同じく、兄を失ったアリアが静かに寄り添うと、その瞳には、燃えるような復讐の決意が宿った。
「あの悪魔を……地獄へ叩き落としてみせる!」
賢者は村中の人間を一つにまとめ、渓谷の地形を利用した巨大な罠の建設を開始した。村の全員が一つになり、悲しみと恐怖を乗り越えて希望に向かって協力し合った。
何週間も全員が汗を流し、誰もが信じていた。これで悪夢が終わり、平穏が戻ってくるのだと。感動的な人間の絆が、そこには確かにあった。
だが。
決行の前夜。
完成した罠の重要部品が、何者かによって徹底的に破壊されているのが見つかった。
犯人を捜しに出たアリアたちが森で捕らえたのは、王都からやってきた「聖なる命の会」と名乗る狂信者たちだった。彼らは仲間を失った村人たちの前で、悪びれる様子もなく晴れやかな笑顔で言い放ったのだ。
「私たちは、聖なる森の主をあなた方のような野蛮な悪魔の罠からお救いしたのです!愛と対話こそが唯一の道だと、なぜ分からないのですか!クマは人を殺しません!クマは人を殺しません!クマは人を殺しません!あなた方のしていることは虐殺です!クマに謝ってください!では、クマの代わりに、私たちに謝ってください!慰謝料はクマは受け取れませんから、私たちが預かります!さあ!いくらでもいいから支払ってください!」
無知な善意という名の一番タチの悪い狂気。彼らは自分たちが正しいと信じ込み、その結果として現場の人間がどうなるかなど、指先ほども考えていなかった。
罠の修復は間に合わず、その夜、異変に気づいたクマたちが村へと襲来した。賢者は、崩壊しかけた装置を手動で動かすため、たった一人で崖の上の制御レバーへと走った。
「娘よ……今、仇を討ってやるからな!」
しかし、クマの悪魔的な知性は、人間の浅知恵など遥かに凌駕していた。誘い込まれたと見せかけて、本体は闇に潜んでおり、賢者がレバーに手をかけた瞬間、背後の闇が揺らめいた。
「う、後ろだッ!!」
俺の叫びは届かなかった。クマの巨大な爪が、月光を浴びて生々しく一閃する。
肉が弾け、骨が砕ける生々しい音が響き渡り、賢者の身体は肉塊となって地面にぶち撒けられた。
そして、ここから始まったのは、魔物など比較にならないほど恐ろしい「人間たちの本性」の惨劇だった。
翌朝、賢者の無残な亡骸を村に運び込んだ俺たちを待っていたのは、労いや痛みの共有ではなかった。集まってきた村人たちの瞳に宿っていたのは、濁り切った恐怖、そして……ドス黒い憎悪だった。
「なんで賢者様を死なせたんだ!謝れ!」
「あんたたち騎士団がもっとしっかり戦っていれば、賢者様は助かったはずだ!謝れ!」
「そうだ!余所者のあんたたちがこの村に来てから、すべてがおかしくなったんだよ!謝れ!」
誰かのせいにしなければ、自分たちの哀れな心が恐怖で破裂してしまうのだろう。暴徒と化した村人たちは、昨日まで自分たちのために汗を流し、命がけで戦っていたアリアや俺に向かって、すべての責任を擦り付け始めた。
食堂へ行けば「人殺しに食わせる飯はない」と唾を吐きかけられ、俺が傷ついた子供を治療しようとすれば、母親が子供を引きずり倒して「悪魔に触るな!」と叫んだ。
アリアが領主としてどれだけ頭を下げても、彼らは嘲笑い、排泄物や生ゴミをぶつけるだけだった。
そして満月の夜、恐怖で正気を完全に失った村人たちは、松明を手にして俺たちが滞在していた賢者の家に押し寄せてきた。
彼らは何の躊躇もなく、家に火を放った。
パチパチと音を立てて燃え広がる猛火。賢者が一生をかけて書き残した膨大な研究資料が、思い出の品々が、無知と無関心と憎悪の炎の中で真っ黒な煙となって消えていく。炎に照らし出された村人たちの顔は、醜く歪み、魔物よりも遥かに恐ろしい悪魔の形相をしていた。
「逃げるぞ、アリア!」
人間の腐敗と狂気はどこまでも加速していく。
王都の魔法通信盤では、アルフォンスがさらに狂気的な演説を撒き散らしていた。
『聞くがいい!同胞たちよ!アリア一味は神罰を受けたのだ!賢者の死は、彼らの虐殺行為が招いた自業自得だ!今こそ立ち上がり、野蛮な辺境の悪魔どもに愛の鉄槌を下すのです!』
この神託のような演説に狂乱した「聖なる命の会」のメンバーは、いよいよ、完全なテロリストへと変貌した。
彼らは俺たちの前線基地に強烈な神経毒の胞子を投げ込み、十数人の騎士を手足の痺れで動けない状態に追い込んだ。身動きの取れない騎士たちの顔に、彼らは晴れやかな笑顔で小便を巻き散らした。
「おいしくなぁれ!おいしくなぁれ!愛を受け入れない悪魔どもに聖なる罰を!おいしくなぁれ!おいしくなぁれ!」
さらに、友愛団の若い男は、負傷した騎士を看病するフリをしてアリアに近づくと、背後から毒塗りのナイフで彼女の腹をグリグリグリグリと容赦なく深く突き刺した。アリアが血を吐いて倒れると、男はうっとりとした狂信的な表情で叫んだ。
「きもちいですか?これで私も聖者になれる!愛の勝利だ!で、きもちいですか?腹を刺されて、きもちいですかッ!」
それだけではない。
王都からは豪奢なスーツを着た魔導規制局なる役人どもがやってきて、毒に苦しむ騎士たちをゴミのように見下しながら言い放った。
「ああ、まあ、無用な争いを続けた自業自得ですな。アリア・フォン・クライフォルト。あなたの統治能力欠如を王都へ報告し、即刻処罰を請求させてもらう」
さらに村の友愛団の信者は、自分の体にクマを誘引する薬品を塗りたくり、「神の使いよ私を召しませ!」と叫んでわざと山主の前に飛び出し、自分を喰わせることで討伐隊の防衛線を内側から崩壊させた。狂気的な自爆テロだ。
魔物の物理的な殺戮、王都の貴族の保身、狂信者たちの無差別テロ、そして自分たちが命がけで守ろうとした村人たちの裏切りと放火。
四方八方からの底なしの悪意と意地悪!
逃げ場など最初から存在しなかったのだ!
そして、すべての希望を永遠に打ち砕く最後の絶望がついに訪れた。
猛吹雪の夜、村の外れに住む開拓民一家の家が、山主によって襲撃されたという報せが入った。村人たちは「あいつらは王都人ではなくゼランティア人だから喰われて当然だ」とゲラゲラ笑って見捨てた。
アリアと俺は、ボロボロの身体を引きずり、死の吹雪の中へと飛び出した。
だが、たどり着いた家の中で俺たちが目にしたのは、言葉を失う地獄だった。
夫は頭を叩き割られて即死。妻は暖炉の前で山主によって惨たらしい食料として解体されていた。赤黒い血と内臓が壁一面に飛び散った部屋の奥で、少年が恐怖でガタガタと震えていた。
山主は、俺たちが入ってきたのを見ると、口元を血で真っ赤に染めたまま、ニタリと人間のように歪んだ笑みを浮かべた。
あいつは、腹が減っていたから襲ったのではない。
人間が絶望し、悲鳴を上げ、愛する者が目の前で喰われて壊れていく姿を見るのを、心から楽しんでいたのだ。山主は、喰い残した妻の腕を口にくわえると、俺たちに向かって「無駄だったね」と言わんばかりに、嘲笑いながら少年の首を太い爪で引き裂いて、首筋から血液を啜り飲んだ。
「あ?……あぁ……あぁぁぁ……!!!!」
アリアが膝から崩れ落ちた。
守ろうとした父は生々しい肉塊となって死んだ。
信じた民には裏切られ、家を燃やされた。
正義を語る賢者に陥れられ、手助けしてくれた仲間は毒で刺された。
裏切りと狂気。絶望。愚行。
そして今、幼い少年の命すら、悪魔の玩具として弄ばれている。
俺は、転生した時に描いていた「獣医として命を救うハッピーライフ」なんていう甘く浅はかな幻想が、木っ端微塵に粉砕されたのを感じた。
もう、この世界に、救うべき命なんてただの一つつも存在しない。
人間はどこまでも醜く、愚かで、自分の保身のためなら平気で命の恩人を裏切り、偽りの正義で人を惨殺する。
そして魔物は、その人間の醜悪さをせせら笑いながら、効率よく惨殺のゲームを楽しんでいる。
「ケンジ……私、もう……何のために戦えばいいの?……もう、分からないよ……」
アリアが涙すら流せない枯れ果てた目で、俺を見上げた。その瞳には、かつての輝かしい騎士の誇りなど微塵も残っていなかった。
俺は、血と内臓がぶち撒けられた部屋の真ん中で、ゆっくりと声を上げて、笑い出そうと努めた。
「ははは。決まってるだろ。もう。……もう、誰も救わなくていいんだよ」
俺は胸ポケットから、血で汚れた解剖用のメスを取り出し、その刃先を愛おしそうに、スリスリスリスリとなぞった。俺は、「まさか、この程度の惨劇で自分が悲しむわけがないだろう」とでも言いたげに、芝居がかった演技をはじめた。自分を狂わせないために、あらかじめ自ら狂っておこうとしたのだ。
「ははは。……人間も、魔物も……全部、同じ、ただの肉だ。俺の獣医としての知識はさ、もう、命なんてもの救うためじゃなく、どう切れば一番長く他人を苦しめられるかを知るために使えばいいんだよ……」
山主は、そんな見え透いた芝居を打つ俺に一切の興味を示さなかった。
奴は、少年の腹をいたずらにほじくりぬいて、俺の顔色を伺いながら微笑み、そうして、少年の死骸を俺の足元へ投げ捨てて、勝ち誇るでもなく、優雅に……森の奥へと帰っていった……。




