能力者の選考
重苦しい沈黙が、地下数百メートルに位置する会議室を支配していた。
そこは「内閣官房特別災害対策本部臨時分室」――通称、日本政府地下特別会議室。かつて冷戦期に極秘裏に建設され、核戦争や巨大自然災害といった、国家の崩壊に直結する超弩級の危機にのみ使用されてきた堅牢な要塞である。
しかし、今日ここに集められた閣僚や専門家たちの顔に浮かぶ緊迫感は、過去のどの危機とも異質だった。
なぜなら、彼らが対峙しているのは、既存の物理法則や国際政治の枠組みを完全に無視した存在――「ダンジョン」、そして人類の常識を遥かに超越した神たる存在、「月詠霞」だったからである。
「……現在までに、月詠霞様より直接『恩恵』を賜った一次選考の能力者たちは、すでに全国各地のダンジョン最前線において、劇的な戦果を上げています」
内閣官房長官が重い口を開き、手元のタブレットを操作した。
背後の巨大プロジェクターに、鮮明な映像が映し出される。暗い洞窟のようなダンジョン内で、人知を超えた速度で動き、炎を操り、巨大な魔物を一刀両断する若者たちの姿。それはまるで、神話やゲームの世界が現実へと侵食してきたかのようだった。
「戦闘能力に関しては、申し分ありません。彼女の与える力は、一騎当千。彼らのおかげで、初期に発生した大氾濫の兆候はことごとく未然に防がれています。……だが」
官房長官は一度言葉を切り、会議室に集まった面々を見渡した。
「戦える人間――『戦士』だけでは、この先訪れるであろう真の混沌を乗り越えることは不可能です」
画面が切り替わる。映し出されたのは、戦闘の華々しい成果ではなく、その裏に積み上がる「未解決の課題」の山だった。
「現在、各省庁が最も頭を抱えているのが、ダンジョン内部から持ち帰られる『未知の物質』の処理です」
研究開発担当の文部科学省参事官が、ため息混じりに資料をめくる。
「魔物の残骸、既存の周期表に存在しない鉱石、そして空間に充満する『魔力』と呼ばれる未知のエネルギー。戦闘特化の能力者たちは、これらを『ただ拾ってくる』ことはできますが、それが何であるかを解析し、社会に還元する技術を持っていません。宝の山を前にして、私たちはただ指をくわえて見ている状態なのです」
「さらに深刻なのは、前線の消耗です」
そう言って発言を引き継いだのは、厚生労働省から派遣された医療対策担当官だった。
「『恩恵』を得た能力者たちといえど、肉体は人間です。骨も折れれば、未知の毒に侵されもする。現在、戦闘職の自己回復力や、前線に同行する簡易な救護班だけでは、重傷者の治療が追いつかなくなっています。ダンジョンの深層に進めば進むほど、致死性の高い攻撃や呪いのような異常状態が増加している。このままでは、どれだけ優秀な戦士がいても、一人、また一人と磨り減って使い潰されるだけです」
防衛大臣が、不快そうに机を叩いた。
「要するに、ロジスティクス(兵站)の破綻だ。どれだけ強力な戦車があっても、整備兵と燃料、そして弾薬の補給がなければただの鉄屑になる。我々は今、その一歩手前にいる」
総理大臣は、組んだ両手の上に顎を乗せ、じっと画面を見つめていた。
これまでの報告を頭の中で整理し、静かに、だが確信に満ちた声で呟く。
「……つまり、次に我々が求めるべきは、敵を討ち倒す『剣』ではなく、傷を癒やす『盾』であり、技術を研ぐ『砥石』である、ということだな」
「その通りでございます、総理」
官房長官が深く頷き、画面を次のスライドへと進めた。
「政府として、月詠霞様に推薦する『第二次適性候補者』を5名に絞り込みました。いずれも、戦闘経験は皆無ですが、それぞれの分野において日本、ひいては世界最高峰の頭脳と技術を持つ者たちです」
プロジェクターに、5人の顔写真と詳細な経歴、そして政府の推薦理由が表示された。
【第一候補】神崎 鉄也―― 42歳 / 特殊金属加工職人
経歴:
下町の町工場「神崎精密工業」の三代目。国家資格である特級技能士を最年少で取得。F1マシンの極秘パーツから、宇宙ロケットの特殊ノズル、さらには文化財である日本刀の修復まで手掛ける、現代の「鍛冶の神」。
政府推薦理由:
「彼は金属の『声』が聞こえると言います。ダンジョンから産出される、ダイヤモンドをも凌駕する強度を持つ『魔鉄』や未知の合金。これらを加工・鍛造できる技術者は、現在の科学界にも存在しません。彼に神の力が宿れば、能力者たちの武器防具は劇的な進化を遂げるでしょう」
【第二候補】白石 凛―― 35歳 / 異常現象研究者
経歴:
量子力学および超常現象の融合研究を行う数少ない物理学者。かつて「オカルト崩れの異端」と学会から冷遇されていたが、ダンジョン発生によってその理論の正当性が証明された。
政府推薦理由:
「彼女は『魔力』という超常のエネルギーを、既存の物理法則を否定することなく、新たな法則として組み込もうとしています。もし彼女が魔力を感知・制御するシステムを構築できれば、神の力そのものを一部数値化し、人類が応用する道が開けるかもしれません」
【第三候補】水城 透―― 39歳 / 救命救急医
経歴:
紛争地域での医療支援活動を数多く経験し、国内の政令指定都市における超過酷な救命救急センターの部長を務める。いかなる極限状態でも、1秒でトリアージ(治療優先度の選別)を行い、命を繋ぎ止める「死神の鎌をへし折る男」。
政府推薦理由:
「戦闘中の即死、または四肢欠損といった致命傷に対し、現代医療はあまりにも無力です。しかし、ダンジョン内に存在する『治癒素材』を最も効果的に、かつ医学的なアプローチで活用できるのは彼しかいません。彼が『聖なる癒やし』の力を持てば、文字通り戦闘不能の壁が崩壊します」
【第四候補】桐生 悠真―― 28歳 / 技術開発研究者
経歴:
マサチューセッツ工科大学(MIT)を飛び級で卒業後、大手精密機器メーカーの極秘開発部門に引き抜かれた若き天才。ナノテクノロジーとロボティクスの第一人者。
政府推薦理由:
「彼の専門は『異分野の融合』です。魔力と現代の電子工学、または機械工学を掛け合わせることで、魔導具(魔力駆動のドローンや自動防衛ターレットなど)の開発が可能になります。もし彼が神の啓示を受ければ、非能力者である一般兵でもダンジョンで戦える『装備』が生まれる可能性があります」
【第五候補】藤堂 千春―― 45歳 / 資源・農業研究者
経歴:
熱帯雨林や砂漠などの極限環境における植物の生態、および品種改良の研究家。バイオテクノロジーを用いて、数々の不毛の地を緑地化してきた実績を持つ。
政府推薦理由:
「ダンジョン攻略は、数ヶ月、数年に及ぶ長期戦になることが予想されます。内部で自給自足ができるのか、また、ダンジョン産の植物を日本の『食料資源』や『新たなエネルギー源』として栽培・流通できるか。国家の経済的自立、そして飢餓の防止において、彼女の研究は生命線となります」
5人のプロフィールがモニターを埋め尽くす中、会議室には再び、重々しい静寂が戻ってきた。
誰もがその重要性を理解していた。
この5人が「力」を得れば、日本はダンジョンという未知の脅威を、単なる「災害」から、人類を次のステージへと進める「資源の宝庫」へと変えることができる。
しかし――。
総理大臣は、腕を組んだまま、険しい表情でモニターを見つめていた。
「……素晴らしい候補者たちだ。日本の英知を集めたと言っても過言ではない。だがな」
総理の鋭い視線が、官房長官へと向けられる。
「この5人に、『彼女』が力を与える価値を見出すかどうかは、まったく別の問題だ。月詠霞様は……神だ。人類の都合や、日本国家の存続など、彼女にとってはどうでもいいことかもしれない。彼女が求めるのは、ただの『面白さ』か、それとも我々の計り知れない『大いなる意志』か……」
その言葉に、誰も反論できなかった。
どれだけ精緻な作戦を立て、どれだけ優秀な人間を用意しようとも、選定の基準はすべて「神の気まぐれ」の一つで覆る。
「……それでも、我々は提示するしかありません」
官房長官は静かに答えた。
「これが、今の人類が示せる、最大限の『誠意』と『可能性』です」
「そうだな」
総理は深く息を吐き出し、決断を下した。
「よし、この5名のリストを月詠霞様へ提出せよ。日本国の、そして人類の未来を彼らに託す」
「了解いたしました。直ちに、伝達役を通じて彼女の元へ届けます」
数時間後。
厳重に封印されたタブレット端末が、ある一人のメッセンジャーによって、月詠霞の滞在する「神域」へと運ばれていった。
すべては、彼女の双眸にどう映るか。
新たな能力者――未来を紡ぐ「灯火」が誕生するかどうかは、すべて彼女の気まぐれな神意に委ねられたのだった。
日本政府が極秘裏に手配した迎賓館――かつては皇族や国賓を迎えるために使われていた格式高い近代和風建築の邸宅。その一室には、世界を揺るがす緊張感とはあまりにも不釣り合いな、どこか暖かく穏やかな空気が漂っていた。
部屋の中央、最高級の西陣織が施されたソファ。
そこにちょこんと腰掛けた月詠霞は、テーブルの上に美しく並べられた色とりどりのお菓子を、小首を傾げながら眺めていた。
「……日本のお菓子って、本当に種類が多いわね。前の世界では、お菓子といえば果物をハチミツで煮詰めたものか、精霊たちが作る木の実の焼き菓子くらいだったのに」
小さく独りごちながら、彼女は淡い桜色をした季節限定のマカロンを一つ、白く細い指先でつまみ上げた。それを小さな口元へ運び、さくり、と上品な音を立てて齧る。
「ふふ、甘酸っぱくて美味しい。この『イチゴ』という果物の酸味を活かす技術は、神の奇跡にも劣らない工夫ね」
その愛らしい仕草、満足げに細められた夜空のような瞳。
それだけを見れば、彼女はただの可憐な少女にしか見えない。
しかし、一歩この部屋の重厚な防音扉の外に出れば、そこはさながら戦場だった。
廊下には、国家安全保障局、外務省、防衛省、そして内閣情報調査室の超エリートたちが、血走った目でモニターや通信機器を睨みつけて待機している。心電図のモニターのように緊迫した空気が張り詰め、誰もが額に冷や汗を浮かべていた。
彼女の機嫌一つで、極東の小国である日本の命運など、容易く消し飛ぶことを全員が骨の髄まで理解していたからだ。
やがて、部屋のドアが静かに、しかし明確な意志を持ってノックされた。
「失礼します、霞様」
部屋に入ってきたのは、政府と霞との「繋ぎ役」であり、彼女から一定の信頼を勝ち得ている蓮馨寺だった。彼は仕立てのいいスーツの皺を一つ伸ばし、恭しく一礼する。
「霞様、ご報告があります。お寛ぎのところ恐縮ですが、お耳を貸していただけますでしょうか」
「なに? 蓮馨寺。せっかく新しいお菓子の味わい方に没頭していたところなのに」
霞はマカロンを飲み込み、少し拗ねたような、だが楽しげな視線を彼に向けた。
「新たに力を授ける候補者について、政府側で最終的な選定を行いました。今回は、これまでとは大きく趣向を変えております」
蓮馨寺はそう言いながら、手にした上質な革のファイルから、5名分の詳細な資料を取り出し、漆塗りのローテーブルへ静かに置いた。
「あら、そうなの?」
霞は少し興味を持ったように、座り直して身を乗り出した。銀糸のような髪が、彼女の動きに合わせてさらりと流れる。
「今回はどんな人たちを集めたのかしら。また、血気盛んで『私が世界を救う!』なんて息巻いているような、単純な戦士たち?」
「いえ。今回は戦闘能力を持つ者ではなく……」
蓮馨寺は一枚目の資料を開いた。そこに写っているのは、頑固そうな目元に深い皺を刻んだ、作業着姿の中年男だ。
「まずは、武器や防具を作る者。素材加工の極致に至った職人です」
霞の細い眉が、ぴくりと動く。
「なるほど。牙を研ぐ者ではなく、牙そのものを鋳造する者ね」
蓮馨寺は頷き、二枚目の資料をめくる。
「次に、未知の力を研究する者。既存の科学に囚われず、魔力を解析しようとする物理学者です」
さらに三枚目。
「そして、前線で傷つき、命の灯火が消えかけんとする者を救う医者」
四枚目。
「魔力と現代の技術を融合させ、新たな道具や兵器を生み出せる若き技術者」
最後に五枚目。
「そして、ダンジョンという環境から得られる植物や資源を管理し、人類の生活基盤を根本から支える資源研究者です」
5枚の資料が、テーブルの上に美しく並べられた。
霞はそれらをじっと見つめる。
これまでに彼女が力を与えた者たちは、突発的に発生したダンジョンや魔物の脅威に直接立ち向かうための「剣」であり「盾」だった。いわば、急場を凌ぐための対症療法に過ぎない。
だが、今回の候補者たちは明らかに違う。
彼らは戦うためではなく、ダンジョンという超常の存在を日常に組み込み、人類が新たな段階へ進むための「礎」――すなわち、未来を作るための人間たちだった。
「……ふふ、いい考えね」
霞の唇が、綺麗な弧を描く。
「ダンジョンって、ただ魔物を倒して、最深部のボスを潰せば終わり、というわけじゃないもの。世界そのものが変質しているのだから、強いだけの戦士が何百人いようと、それを支える『文明』がなければ、人類はただすり潰されて滅びるだけだわ」
「左様にございます」
蓮馨寺は静かに、しかし力強く頷いた。
「ですが、彼らにその『資格』があるかどうか、最終的な判断はすべて霞様にお任せいたします」
「もちろんよ。私を誰だと思っているの?」
霞はそう言うと、ソファから音もなく立ち上がり、資料の前に立った。
「じゃあ、少し『視て』みようかしら」
その瞬間、部屋の空気が一変した。
先ほどまでの、お菓子を好む少女の愛らしい雰囲気は完全に霧散し、絶対的な「個」としての、神の威圧感が部屋中を満たす。神宮寺の呼吸が、一瞬で凍りついたように止まった。
霞の漆黒の瞳の奥に、淡く、しかし圧倒的な神聖さを放つ黄金の光が宿る。
それは、人間がどれだけ言葉を飾り立て、経歴を偽ろうとも、決して隠すことのできない「魂の本質」を透視する眼。
彼らがこれまでの人生で積み上げてきた「才能」。
心の奥底に秘められた「可能性」。
未知の領域に踏み込むための「覚悟」。
そして、彼らが力を得たとき、世界にどのような波紋を広げるかという「未来への影響」。
膨大な情報が、因果の糸となって、霞の脳内へと濁流のように流れ込んでいく。
「……」
部屋を支配する、濃密な沈黙。
は、自分の心臓の鼓動が不快なほど大きく響くのを感じながら、ただ彼女の判決を待った。
窓の外で待機する観測班の計器類が、突如として発生した高濃度のエネルギー反応に狂ったような警告音を上げていることだろう。
やがて、十数秒にも、あるいは数時間にも感じられた沈黙の果てに。
「ふふっ」
霞が、楽しそうに喉を鳴らして笑った。
その瞬間、張り詰めていた神の威圧感がスッと消え去り、元の穏やかな空気が戻ってくる。
「面白い人たちを選んだわね、日本政府も」
霞は満足そうに、資料を指先で整えた。
「ただの職人や、風変わりな研究者として書類の上だけで見ていたら、この価値には気付かないかもしれないわ。でもね、神宮寺」
彼女は悪戯っぽく微笑み、彼を見上げる。
「この5人……全員、本物よ。
ただ与えられたおもちゃ(力)を振り回すだけの子供たちとは違う。自分の意志で、自分の足で立ち、ちゃんと未来をねじ曲げられるだけの、強固な意志を持っているわ」
蓮馨寺の胸に、かつてない高揚感が突き抜けた。
「では……!」
「ええ」
霞は力強く頷いた。
「この5人に、直接会ってみるわ。
彼らが私の前に立ったとき、どんな顔をするのか。そして、私の力を前にして、どんな『未来』を望むのか……それを直接、聞いてみたいの」
その言葉が紡がれた瞬間、神宮寺が懐の無線機に短く指示を送る。
「――こちら神宮寺。霞様より、5名全員との『謁見』の許可をいただいた。直ちに、候補者たちを特別移送せよ。繰り返す、直ちにだ」
部屋の外が、一気に慌ただしくなり、足音が廊下に響き渡る。
しかし、その忙しなさは悲壮なものではなく、どこか希望に満ちた熱を帯びていた。
戦うためではない。日本、そして人類の文明を次のステージへ引き上げるための、最初の歯車が回り始めたのだ。
霞はゆっくりと歩みを進め、防弾ガラス越しに、夕暮れに染まる東京の街並みを見下ろした。
超高層ビルの群れの向こう、はるか遠くに、うっすらと聳える巨大なダンジョンの影が見える。
「さあ……どんな力を与えたら、一番面白くて、私を退屈させない未来になるかしらね?」
窓ガラスに映る神の顔には、この世界の誰も見たことのない、邪悪で、そしてどこまでも無邪気な微笑みが浮かんでいた。
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