各国の対応
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永田町合意の衝撃は、地球上のあらゆる都市、あらゆる集落を瞬時に駆け巡った。
ホワイトハウス、中南海、クレムリン、そしてブリュッセルのEU本部。数日前まで、世界を動かしていた既存の意思決定機関は、すべて機能停止に追い込まれた。なぜなら、神が突きつけた「四大原則」は、現行の国際法や金融システム、そして軍事戦略をすべて無価値にするものだったからだ。
特に世界を震撼させたのは、第三原則:『自力適合の原則』と第四原則:『文明兵器の制限』だった。
他国に依存すれば、その国のドロップ率が低下する。これは、軍事力の小さな国が、アメリカや国連の平和維持軍に頼って自国のダンジョンを管理してもらうという、これまでの「安全保障の国際協力」が完全に封じられたことを意味する。
さらに、高濃度魔力環境下では、人類が誇る近代兵器――ステルス戦闘機、大陸間弾道ミサイル、自動小銃にいたるまで、そのすべてがただの不発弾、あるいは電子制御を失った「鉄の塊」に変じる。
世界は生き残るために、自らの手で、自らの国家の形を解体し、再編成せねばならなくなった。
アメリカ合衆国:ペンタゴンの死と「ギルド制」の誕生
ワシントンD.C.の国防総省では、大統領の帰国からわずか3時間後に、国家安全保障会議(NSC)が招集された。
これまで世界最強を誇った米軍のプライドは、粉々に打ち砕かれていた。自慢の空母打撃群も、無人機による精密爆撃も、ダンジョンという「異界の法則」の前には機能しない。
「我々は、軍という概念そのものを捨てる必要がある」
陸軍参謀総長は、苦渋に満ちた表情で机を叩いた。米軍が下した決断は、全軍の階級制度を事実上凍結し、個人の戦闘能力と魔導適応値の高い若き兵士を抜擢する、独自の「ギルド制」への移行だった。
従来の「師団」「大隊」といった大規模な編成は解体され、5〜6人の少人数で構成される『ペンタゴン・ダンジョンタスクフォース』、通称「ファースト・ギルド」が設立された。
アメリカは科学によるアプローチを諦めず、日本から無償共有された第一号ダンジョンの戦闘ログを、最先端AIとスーパーコンピュータに学習させた。魔物の筋肉の動き、骨格の脆弱性、魔力放出の予兆を1フレーム単位で徹底的に数値化。銃器が使えないならばと、高硬度のチタンや未知の合金を用いた「対魔物用冷兵器(近接武器)」の
開発に、国家予算を惜しみなく注ぎ込み始めた。
中華人民共和国:『万里の長城プロジェクト』という人海戦術
北京政府が下した決断は、アメリカの効率主義とは真逆の、全体主義国家だからこそ可能な苛烈極まるものだった。
他国に頼ればドロップ率が下がる。ならば、自国の圧倒的な「人口」そのものを最大の資源として投入し、力技で大地に適合するという超物量作戦である。
「我が国には、大地を埋め尽くす民がいる。一人倒れれば、十人がその死体を踏み越えて進めば良い」
国家主席の冷徹な号令の下、数万人の退役軍人や警察組織、そして半ば強制的に徴集された民兵からなる『人民探索軍』が組織された。
シベリア国境付近や、内陸部の山岳地帯に現れた未攻略ダンジョンへ、彼らは数万人規模の人間を一斉に突入させた。
「何人死のうが、我が国の人間が自力で魔物を屠り続ければ、それは『自力での適応』と星にみなされるはずだ」という冷徹な計算に基づいている。犠牲者の数は厳重に隠蔽されつつも、その圧倒的な人海戦術により、中国国内のいくつかのダンジョンでは、確かに魔物の間引きと、わずかながら「下級魔石」の安定的確保が始まっていた。
欧州連合(EU):『共同探索騎士団』のジレンマ
地続きの欧州では、一国の崩壊が全体のドロップ率低下や魔物溢れ(ダンジョン・バースト)を招くことを懸念し、激しい議論が戦わされていた。
フランスやドイツといった大国は自力での攻略体制を整えつつあったが、東欧や南欧の小国には、自力でダンジョンを制圧するだけの人的資源もノウハウもない。
「第三原則を回避しつつ、欧州全体の防衛網を維持する抜け道を見つけねばならない」
ブリュッセルのEU本部で採択されたのは、騎士道精神を模した共同防衛組織『欧州共同探索騎士団(ECEF)』の発足だった。
彼らは「他国に依存する」のではなく、「欧州という一つの運命共同体として、国境線を超えた共同の権利を持つ」という法解釈を神のシステムに認めさせようと足掻いていた。各国のエース級の探索者を一つの「騎士団」に集約し、魔物の弱点データをリアルタイムで共有。最も効率的な前線維持を模索し始めた。
世界中が「大ダンジョン時代」への対応に追われる中、世界初のダンジョン先進国となった日本は、お祭り騒ぎと未曾有のプレッシャーの渦中にあった。
霞の宣言通り、日本政府は第一号ダンジョンの攻略データを全世界の共有サーバーへ無条件でアップロードした。
「ゴブリンの首の皮の薄さ」「トラップ発動の魔力残滓の視覚化」「初級ポーションの効能検証」――それらは世界中の研究者や軍人にとって、文字通りの『聖書』となった。
しかし、日本だけが優位に立ち続けることは、国際社会が許さなかった。
東京・麻布に設立された「国際ダンジョン共同研究機関(IDRO)」には、世界中から超エリートの留学生、軍の観戦武官、そして「研究者」という名目のスパイたちが押し寄せていた。
「日本の探索者が使っている、あの『ステップの踏み方』の生データを手に入れろ。あれには、魔力の消費を効率化する秘密があるはずだ」
六本木や秋葉原、永田町周辺は、今や各国の情報工作員が暗躍する「スパイの首都」へと変貌しつつあった。日本のトップ探索者を自国へ引き抜こうとする工作、あるいは日本が国家管理下に置いている「完全治癒ポーション」の現物を一本でも盗み出そうとする闇のディールが、毎夜のように繰り広げられていた。
国内の治安維持も限界を迎えつつあった。防衛省と警察庁は合同で「対探索者犯罪対策課」を急設。
ダンジョン内でレベルを上げ、常人離れした身体能力を手に入れた人間が、万が一地上で暴走した場合、近代的な銃器や警察力では抑え込めない。
「レベルを上げた犯罪者を抑え込めるのは、同じくレベルを上げた警察探索者だけだ」という結論に達し、日本政府は独自の「官庁ギルド」の育成を急いだ。
世界が種族の存亡をかけて血眼になっているその一方で、日本の国家安全保障の最高機密は、首相官邸の最上階で「ポテトチップス」へと注がれていた。
「総理、失礼いたします。霞様へのお届け物の件ですが……」
数日後。激変する世界情勢の報告書が机に積まれる首相官邸の総理執務室に、一人の男がノックをして入ってきた。
財務省と外務省を渡り歩いた超エリートであり、今は「神のお世話係」という世界一胃が痛い役職に就いている神宮寺である。彼の目の下には、ここ数日間の心労を物語る深い隈が刻まれていた。
総理大臣は、数頭のライオンを相手にするよりも硬い表情で顔を上げた。
「ああ、神宮寺くん。例の件か。手配は済んだのか?」
「はっ。カルビー様、および湖池屋様、その他地方の老舗メーカー数社に政府から極秘裏に打診いたしました。『九州しょうゆ味』をはじめ、『関西だししょうゆ』『瀬戸内レモン』『北海道バターしょうゆ』といった全国のご当地限定品。さらに、各メーカーの製品開発部が総力を挙げた『門外不出の限定試作品』、合わせてトラック3台分を確保いたしました。現在、霞様の控室へ搬入中でございます」
神宮寺は生真面目な顔で報告を続けた。
「なお、購入費用およびメーカーへの特急製造ライン確保の補償金は、国家安全保障費の『内閣官房機密費(外交報償費)』から計上いたしました。財務省の監査には、『国際安全保障維持のための戦略的物資調達費用』として処理させてあります」
総理は深く、重い溜息をつき、しかしその目には奇妙な充実感を宿らせて頷いた。
「それでいい、神宮寺くん。大国からの核の脅威を防ぐために弾道ミサイル防衛システム(BMD)に数千億円を投じるよりも、彼女に機嫌よくポテトチップスを食べてもらう方が、我が国の安全保障にとっては遥かに安上がりで、かつ絶対的だ。1袋150円のスナックで、この国が塵になるのを防げるのであれば、これほど費用対効果の高い防衛費はない」
「仰る通りです、総理。霞様が『美味しい』と仰るたびに、日本の株価と通貨価値が微かに上昇するという奇妙な相関関係すら、日銀のデータで観測されています。彼女の機嫌こそが、現在の日本経済の生命線です」
「世界は今、彼女が作ったルールの上で踊っている」
総理は窓の外の紫色の空を見つめた。
「私たちはその最前線で、絶対にステップを踏み外してはならないんだ。他国がどれだけ日本のポーションを狙おうとも、彼女が日本に居座ってくれている限り、我が国に手を出すことはできない」
神宮寺が礼をして退室しようとした、その時だった。
彼のスマートフォンが、政府専用の超暗号化回線で激しく鳴り響いた。その着信音は、事前に設定されていた「国家非常事態」を告げる、耳を刺すような高音のサイレンだった。
画面に表示されたのは、IDRO(国際ダンジョン共同研究機関)からの緊急アラート。
『――警告。日本国内、第二号ダンジョン(富士山麓)および第三号ダンジョン(紀伊山地)において、高濃度魔力パルスの急激な上昇を観測。空間の熱歪み、地殻の変動を確認。大自然の排熱まで、残り48時間。同時に、アメリカ(グランドキャニオン)、中国(タクラマカン砂漠)、EU(アルプス山脈地域)の未踏破ダンジョンでも、同様の地殻変動を確認』
「始まったか……」
神宮寺は呟き、ネクタイを緩めた。
神が与えた猶予期間は終わり、世界はついに、自らの足で歩むための「最初の試練」を迎えようとしていた。
「バースト」――それは、ダンジョン内部に溜まりに溜まった高濃度の魔力エネルギーが、空間の許容量を超えて地上へと逆流する、星の「排熱現象」だった。
これまでのように、人間が武器を手にダンジョンの「中」へ入って戦うのではない。向こうから、異界の魔物の軍
勢が人間の生活圏へと溢れ出してくる、文字通りの天災である。
富士山麓の第二号ダンジョン周辺では、半径数キロメートルにわたって空間がガラスのようにひび割れ、そこから
不気味な黒い霧が噴き出していた。霧の中からは、地響きのような咆哮と、無数の赤光を放つ魔物の眼光が確認された。
「自衛隊、および第一号ダンジョンで経験を積んだ『政府公認探索者部隊』を展開せよ!」
総理の怒号が官邸地下の作戦室に響く。
幸いにも、日本には第一号ダンジョンを攻略した際のアドバンテージがあった。魔物の弱点、魔力環境下での戦い方は、すでに自衛隊の精鋭たちに叩き込まれている。
近代兵器が使えないならばと配備された、高硬度チタン製の戦斧や、特殊な魔導コーティングを施した盾を持つ「装甲歩兵大隊」が、富士の裾野に防衛線を築いていた。
しかし、世界各国の状況は悲惨を極めていた。
アメリカ:グランドキャニオンの戦火
アメリカのグランドキャニオンに発生した大型ダンジョンからは、飛行型の魔物の群れが天空を埋め尽くすようにして出現した。
米軍の誇るF-35ステルス戦闘機がスクランブル発進したものの、ダンジョンから数キロメートルの「魔力フィールド」に突入した瞬間、機体の全電子基板がショート。パイロットたちは脱出を余儀なくされ、世界最強の航空戦力は一瞬にして無力化された。
「クソが! 科学が神のシステムに拒絶されている!」
前線の指揮官は叫んだ。ペンタゴンが急造した「ファースト・ギルド」の若き探索者たちが、チタン製の大型弓や近接武器を手に、生身で巨大な飛行魔物の群れに立ち向かうしかなかった。アメリカのプライドは、血と硝煙の中で泥に塗れていった。
中国:タクラマカン砂漠の赤い泥沼
中国のタクラマカン砂漠では、地底から無数の巨大な昆虫型魔物が湧き出していた。
北京政府は、訓練期間わずか数日という『人民探索軍』の数万人の若者を、文字通りの人間の壁として投入した。
「退くな! 突撃せよ!」
近代的な自動小銃が作動不良を起こす中、彼らは鉄パイプや、支給されたばかりの粗末な長槍を手に、魔物の群れへと突っ込んでいった。
砂漠は瞬く間に人間の血で赤く染まり、夥しい犠牲者が出た。しかし、第三原則『自力適合の原則』がある以上、ここで他国の力を借りるわけにはいかない。中国政府は、国力が低下することを恐れ、犠牲を顧みない「血のコスト」を支払い続けた。
EU:アルプス防衛線のジレンマ
欧州のアルプス山脈地域では、雪山を割って現れた氷属性の魔物の軍勢が、麓の街へと進撃を始めていた。
『欧州共同探索騎士団』は、フランス、ドイツ、イギリスの精鋭探索者を前線に投入したが、ここで深刻な「法の壁」が立ちはだかった。
「この地域の防衛に、フランスの探索者が多く参加している。これは、イタリアやスイスの土地に対して『他国への依存』とみなされるのではないか!?」
EUの作戦本部は、戦闘の最中にもかかわらず、「神のシステムが下すペナルティの条件」についての法解釈に追われていた。
もしここでフランスがスイスの街を救えば、スイスのダンジョンドロップ率は恒久的に低下するかもしれない。しかし、見捨てれば魔物が欧州全土へ溢れ出す。人間が作った「国境」という概念と、神が定めた「新秩序」の矛盾に、欧州は激しく揺さぶられ、前線の連携は乱れた。
世界が混沌と戦火に包まれ、何万人もの人間が血を流し、大国その存在基盤を揺るがされているその瞬間。
首相官邸の一角にある、最高級の防音とセキュリティが施された「神の控室」では、全く異なる時間が流れていた。
高級なソファーに深く腰掛け、小さな足をぶらつかせている月詠霞は、室内に設置された巨大なモニターを眺めていた。
モニターには、富士山麓で奮闘する自衛隊の姿や、アメリカの戦闘機が墜落する様子、中国の砂漠が血に染まる光景が、リアルタイムで映し出されている。
「うーん……やっぱり、人間って面白いなぁ」
霞は、手元の袋から「ポテトチップス 九州しょうゆ味」を一枚つまみ、口へと運んだ。
パリッ、と軽快な音が室内に響く。
「甘辛いタレの味が、お芋のサクサク感と合っていて本当に美味しい。人間って、こういうちっぽけで、でもとっても洗練されたものを作る才能だけは、宇宙で一番かもしれないね」
彼女にとって、地上で起きている何万人もの死闘は、悲劇でも何でもなかった。それは、地球という星が生き残るための当然の代謝であり、人類という種が次のステージへ進むための、ただの「テスト」に過ぎない。
もし、この試練を乗り越えられずに滅びるのなら、人間はその程度の種族だったということ。それだけのことだった。
「でも、日本政府は頑張ってるほうかな。ちゃんとお菓子の約束も守ってくれたし」
霞は嬉しそうに目を細め、モニターの中の日本の総理大臣の青ざめた顔を見た。
「いいよ。あなたたちが自力でその二つのダンジョンを鎮圧できたら、次のステップの『ヒント』をあげる。……だから、しっかり踊ってね、人間さんたち」
彼女はそう呟くと、再びポテトチップスを口に放り込み、楽しそうに足を揺らした。
48時間に及ぶ地獄のような激闘の末、東の空から太陽が昇り始めた。
富士山麓。自衛隊の装甲歩兵部隊は、満身創痍になりながらも、第二号・第三号ダンジョンから溢れ出した魔物の最後の1体を屠ることに成功した。
防衛線は崩壊寸前だったが、第一号ダンジョンのデータを完全に頭に叩き込み、徹底的な「適応」を試みた日本の探索者たちは、一人の戦死者も出すことなく(重傷者は多数出たが、ポーションによって即座に治療された)、バーストの鎮圧に成功したのである。
「……勝った。我々は、自力で生き残ったぞ!」
前線の兵士たちが歓声を上げる。その瞬間、彼らの脳内に、神のシステムからの「通知」が響いた。
『国内ダンジョン・バーストの自力鎮圧を確認。適合度上昇。国内ダンジョンのレアアイテムドロップ率:1.2倍に上昇』
日本は、最初の試練を「完全勝利」で乗り切ったのだ。
しかし、他国の状況は傷だらけだった。
アメリカは、グランドキャニオンのバーストを鎮圧したものの、近代兵器の壊滅と多くのベテラン兵士の損失により、その軍事的な世界覇権は完全に失墜した。
中国は、圧倒的な犠牲者を出すことでバーストを無理やり抑え込んだが、国内の不満は限界に達しつつあった。
EUにいたっては、法解釈の遅れから一部の街が壊滅し、一部の小国ではドロップ率が恒久的に低下するという、最悪のペナルティを食らう結果となった。
首相官邸の作戦室。総理大臣は、日本の完全鎮圧の報告を受け、深く椅子に背をもたれかけた。
「生き残った……。だが、これは本当に、ただの最初の一歩に過ぎないんだな」
神宮寺が、静かにコーヒーを差し出した。その手も微かに震えている。
「総理、IDROからの報告です。世界中で、今回のバーストを生き延びた探索者たちの『レベル』が急激に上昇しているとのこと。人類は、傷を負いながらも、確実に変化(進化)を始めています」
「ああ」
総理はコーヒーをすすり、窓の外を見た。紫色の空は、夜明けの光によって徐々に本来の青さを取り戻しつつある。
「世界はもう、元には戻らない。我々は、この神の庭(地球)で、生き残り続けなければならないんだ」
大ダンジョン時代の最初の嵐は去った。しかし、人類が手に入れたのは、平和ではなく、より苛烈なる生存競争の切符だった。神の気まぐれと、世界の野心が交錯する新時代。日本の、そして世界の足掻きは、ここからが本番だったのである。




