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会議

首相官邸大ホール。かつてこの場所は、国賓を迎えるためのきらびやかなシャンデリアが輝き、歴代の総理大臣が諸外国の要人と握手を交わし、カメラのフラッシュを浴びる「調和と外交の象徴」だった。


しかし、その日の空気は全く異なっていた。窓の外に見える永田町の空は、どこか赤みを帯びた不気味な紫色に変色し、大気そのものが微かに震えている。


円卓を囲むのは、現代地球の富、権力、そして軍事力の頂点に君臨する首脳たちである。


アメリカ合衆国大統領は、歴戦の政治家らしい鋭い眼光を崩さず、手元の極秘資料に目を落としている。その隣には、冷徹な現実主義で知られる中国国家主席、毅然とした態度を崩さないロシア特使、さらには欧州の命運を背負うEU(欧州連合)の代表たち――フランス大統領、ドイツ首相、イギリス首相。


それだけではない。国際社会のパワーバランスを反映し、中東の膨大なオイルマネーを背景に持つサウジアラビアの王太子、南米の広大な資源と国土を代表するブラジルの大統領、世界最大の人口と急成長を遂げるデジタル・インフラを擁するインドの首相、さらには南半球の資源供給網の要であるオーストラリア首相や、東アジアの安全保障の最前線に立つ韓国大統領までが席を連ねていた。


彼らが一堂に会した理由は、地球規模の地殻変動――通称『ダンジョン』の出現と、それを巡る世界の覇権争いだった。


「……日本政府が確保した『完全治癒ポーション』の現物、および第一号ダンジョンの最深部で回収された未知の魔導結晶。これらをどのように国際社会で管理するか。それが、本日この場が集められた理由だ」


アメリカ大統領が、低く、威圧的な声で口火を切った。その視線は、円卓の末席に座る日本の総理大臣へと向けられている。


「我が国はすでに、国防総省を中心に『ダンジョン特別分析官制度』を発足させている。近代兵器がダンジョン内で機能不全に陥るというデータは確かにあるが、それは一時的な環境要因に過ぎないというのが我が国の科学者たちの見解だ。日本が幸運にも最初のダンジョンを踏破したからといって、その成果を独占することは許されない。ポーションの全量買い取り、および管理権の米国への委譲。これが、世界秩序を維持するための最も合理的、かつ唯一の選択肢だ」


大統領の言葉は、裏を返せば「米国の傘に入り、奇跡を独占しろ」という露骨な強要だった。


これに即座に牙を剥いたのは、中国の国家主席である。彼は机の上で指を組み、冷徹な笑みを浮かべた。


「米国の一極集中こそ、新たな混乱の引き金だ。神託がどうであれ、この『ポーション』およびダンジョン技術は人類共通の遺産として扱われるべきである。国連を通じた『国際ダンジョン管理委員会』を設立し、各国の人口比率や世界経済への貢献度に応じて公平に分配すべきだ。もし日本が特定の国と結託し、資源を独占するならば、それは世界に対する経済的な宣戦布告と受け止めざるを得ない」


「公平、とはよく言ったものだ」

ロシアの特使が、皮肉めいた笑みを浮かべながら割って入った。


「我が国の北方、シベリアの永久凍土から突如として現れた特大型ダンジョンからは、すでに凶悪な魔物が溢れ出している。今この瞬間にも、我が国の勇敢な兵士たちが命を落としているのだ。人道的な観点から言えば、日本は今すぐに『完全治癒ポーション』の現物と製造ノウハウを我が国へ無条件で提供すべきだ。これは要請ではなく、人類の安全を守るための『義務』である」


大国たちの剥き出しの覇権主義がぶつかり合う中、地続きの脅威に晒されている欧州(EU)の首脳陣もまた、悲痛な、しかし冷徹な計算に基づいた声を上げた。


フランス大統領が、洗練された、しかし緊迫感を隠せない口調で身を乗り出す。


「大国の方々は独自の論理を展開されていますが、地続きの欧州にとって、これは明日の生存がかかった問題です。東欧経由で魔物の進出が確認されており、EU全体の防衛網は危機に瀕している。我々EUは、ヨーロッパ全体の高度な魔導・科学研究ネットワークを日本に提供する用意がある。ポーションの製造、あるいはその臨床データをEUの最高峰の医療機関と共有し、医薬品としての『国際標準化(ISO)』を我が国々が主導すべきだ」


続いて、ドイツ首相が手元の経済損失予測のホログラムを起動しながら、硬い声で補足した。


「データ共有だけでは不十分だ。現在、欧州の物流の心臓部である主要高速道路アウトバーンや鉄道網の直下にダンジョンが複数確認され、欧州経済は麻痺寸前にある。日本が持つ戦術データとポーションの現物、これを欧州中央銀行(ECB)の全面的な財政支援と引き換えに、最優先でEUへ融通していただきたい。さもなければ、世界の経済システムそのものが、足元から瓦解することになる」


イギリス首相もまた、伝統的な外交カードをちらつかせながら、日本の総理を鋭く見据えた。


「日本がデータを無償公開したところで、それを実戦で扱える兵士(探索者)がいなければ絵に描いた餅だ。我が国が誇る特殊空挺部隊(SAS)の全ノウハウ、および対テロ戦術を日本に供与する。その見返りとして、最前線の戦闘で得られる『高ランク報酬』の共同管理権を要求する」


これまで黙って戦況を伺っていた他の主要国も、この「人類最大の配分劇」で蚊帳の外に置かれるわけにはいかなかった。


サウジアラビアの王太子が、身に纏った伝統衣装の裾を整えながら、傲然と言い放った。


「米国も欧州も、目先の利権に目が眩んでいるようだ。霞様、我が国は、今後のダンジョン攻略に向けた軍事再編にかかるすべての費用、総額数十兆ドル規模のオイルマネーを無条件で提供する用意がある。その代わり、我が国の王族の健康維持、および国内ダンジョン鎮圧のための『ポーションの優先供給ルート』を日本政府と結ばせていただきたい。紙切れになるやもしれぬ通貨やデータなどより、我が国の原油と資金こそが最も確実な担保だ」


インド首相が、静かに、しかし有無を言わせぬ威厳を放ちながら手を挙げた。


「我が国には14億の民がいる。そして、その中にはダンジョン発生と同時に、未知の『魔力適応』を示した若者が数百万規模で存在しているのだ。ポーションの分配や管理を欧米の少数の国で独占など言語道断。これからの大ダンジョン時代、最大の『人的資源(探索者候補)』を抱える我が国こそが、国際管理の主導権を握るべきである」


さらに、ブラジル大統領が拳を机に叩きつけた。


「アマゾンの奥地に現れた特大型ダンジョンのせいで、我が国の環境も経済も大打撃を受けている! 先進国だけで奇跡を回すつもりなら、我が国は世界への食糧・鉄鉱石の供給を即座に停止する。これは世界規模の『平等の問題』だ!」


オーストラリア首相、韓国大統領もそれぞれの思惑を口にし、円卓はさながら「地球の縮図」としてのエゴが渦巻く混沌の泥沼と化していた。彼らは神の存在を前にしながらも、なお、自国が培ってきた経済力、軍事力、資源、すると「人間世界のルール」を盾に、この状況をコントロールしようと必死に足掻いていた。


日本の総理大臣は、机の下で拳を握りしめ、冷や汗を流しながら耐えていた。日本の持つ国力、自衛隊の規模、経済的地位。どれをとっても、この怪物のような大国たちの連合に正面から抗う術はない。


「諸国のご意見は理解いたしました。しかし、我が国としても……」

総理が言葉を濁した、その時だった。


「――神、月詠霞様のご入場です」


ホールの入り口に立つ官房長官が、裂けそうなほどに震える声を張り上げた。


その瞬間、それまで大声を張り上げて利権を主張していた大統領も、首相も、王太子も、一斉にプライドを纏って入り口へと視線を向けた。彼らにとって、神という存在は「未知の超常現象」であり、極めて強力な生物兵器のようなものだという認識が心のどこかにあった。人間が作った外交交渉のテーブルにつく以上、必ず何らかの妥協点、あるいは経済的な利益による買収が通用するはずだ――そう信じたがっていた。


しかし、その傲慢な仮定は、彼女が一歩を踏み出した瞬間に粉々に打ち砕かれた。


ゴ、リ……。

物理的な音ではない。彼らの「魂」の根底に直接響くような、圧倒的な質量。


ドアが開け放たれ、姿を現したのは、薄緑色の長い髪を揺らす、一見すればどこにでもいる可憐な少女だった。しかし、彼女が纏う雰囲気は、この世のどの独裁者や英雄よりも冷徹で、絶対的だった。


彼女が歩くたび、ホールの空間そのものが歪み、周囲の光が屈折するのが目視で分かった。室内の気圧が急激に変化したかのような猛烈な圧迫感が襲い、各国首脳の背後に控えていた、世界最高峰の特殊部隊出身のSPや護衛たちが、誰一人として銃に手をかけることすらできず、その場で膝をつき、激しい過呼吸に陥った。


「が、は……っ!」

アメリカ大統領の背後にいたシークレットサービスが、顔面を蒼白にして床に這いつくばる。


誰も声が出せない。言葉を発すること自体が、宇宙の理に対する不敬であると、人間の本能が理解していた。

霞は、円卓の最上席に用意された、日本の総理大臣の席のさらに一段高く設えられた特製の椅子へと、滑らかに腰を下ろした。その長い睫毛が揺れ、集まった世界のトップたちの顔を見渡す。その瞳は、彼らを「一国の主」としてではなく、「等しく矮小な、愛すべき観察対象」として捉えていた。


「皆さん、遠くからようこそ。ずいぶんと急いで集まったみたいね」

鈴を転がすような愛らしい声。しかし、その声はマイクを通していないにもかかわらず、ホールの隅々にまで、恐ろしいほどの明瞭さで響き渡った。


最初に恐怖をねじ伏せて口を開いたのは、やはりアメリカ大統領だった。彼は額に滲む冷や汗を拭うことすら忘れ、歴戦のネゴシエーターとしての笑みを張り付かせた。


「……霞様、お初にお目にかかります。我々人類は、地球規模で発生したこの自然災害に対し、驚異的な適応を見せています。しかし、世界には厳然たる『秩序』が必要不可欠です。先ほども議論しておりましたが、我が国はすべての資源を最も効率的に管理する用意が……」

霞は、大統領の言葉を遮るように、小さく息を吐いた。


「……不合格」

その一言が放たれた瞬間、ホール全体の温度が、一気に氷点下まで下がったかのような錯覚が一同を襲った。口論を繰り広げていた首脳たちの言葉が、喉の奥で凍りつく。サウジの王太子も、インドの首相も、あまりの威圧感に全身の毛穴が逆立つ感覚を覚えた。


「な、何が、でしょうか……?」

アメリカ大統領が、震える声を絞り出す。


「あなたたちのその、『自分たちが世界の中心で、他人の成果を都合よく管理・分配できる』っていう傲慢な思考よ。前世紀の遺物みたいな政治ごっこは、私の前では通用しないわ」

霞の瞳から、先ほどまでの少女らしい輝きが消え、底知れない「虚無」と「絶対的な理」が顔をのぞかせる。


「勘違いしないで。私はあなたたちに、奪い合いの道具を与えたんじゃないの。あなたたちの足元にある地球はね、今、変わろうとしているわ。あのダンジョンはね、地球という星のバイオリズムがもたらした、純然たる『自然現象』。地球が次のステージに進むために、溜まったエネルギーを吐き出しているのよ。そしてそれは同時に、人類という種がこれからも宇宙で生き残るための、強制的な『進化の試験場』でもあるの。日本がポーションを手に入れたのは、彼らが最初に命を懸けて、その大自然のシステムに適合したからよ」


霞が指をパチンと鳴らすと、ホールの全モニターのホログラムが強制的に書き換わり、いくつかの「絶対遵守事項」が浮かび上がった。


「いい? これからあなたたちが生き残るために、最低限守らなきゃいけない『人間のルール』を今ここで決めてあげる。文句は一切受け付けないから、その頼りない脳みそに刻み込みなさい」


【絶対遵守】ダンジョン世界秩序・四大原則


第一原則:『獲得者帰属の原則』(ポーション等高ランク報酬の取引・略奪禁止)


ダンジョン内で得られたポーションやマジックアイテム、アーティファクトは、命を懸けてダンジョンを踏破・攻略した「探索者」および「その所属国」にのみ絶対の所有権を認める。

お金、原油、土地の割譲など、いかなる人間世界の対価による取引も、他国による軍実に的・政治的な略奪も一切認めない。これを破り、脅迫によって報酬を掠め取ろうとした国家は、システムによって即座に全報酬の機能を喪失(ポーションはただの水になり、武器は錆びる)させる。


第二原則:『叡智共有の義務』(基礎データの完全無償公開)


世界初の踏破国である日本を筆頭に、今後どこかの国がダンジョンを攻略・解析した際、魔物の生態、トラップの構造、魔力の性質といった「人類の生存に必要な基礎データ」は、国境を越えて全人類に無償開示・共有されなければならない。

情報を独占し、他国を間接的に滅ぼそうとする試みは、人類という種全体の進化を阻害するため、神の意志によりその国自体のダンジョン難易度を跳ね上げるペナルティを課す。


第三原則:『自力適合の原則』(国際依存に対するドロップペナルティ)


ダンジョンが活性化し、魔物が地上へ溢れ出す現象ダンジョン・バーストは、火山や地震と同じ「星の排熱」である。これに対し、他国の強力な軍隊や、他国の探索者に丸投げして自国での対処を放棄した国があれば、その土地の自然エネルギーの循環が完全に狂う。

他国に依存した国は、その甘えに見合うだけの『ポーションや強力な武具のドロップ率が恒久的に低下する』という、星そのものからの拒絶を食らう。 果実が欲しければ、自国の民の血を流して大地に適合しなさい。


第四原則:『文明兵器の制限』(魔力環境下における軍事力の再定義)


ダンジョン内部、およびバースト発生地域においては、高濃度の魔力フィールドが展開される。そこでは火薬の爆発、電子基板の制御、核分裂反応といった現行の人類文明の兵器の多くが作動不良、あるいは不発となる。

人類は銃やミサイルへの依存を捨て、大自然の魔導に適応し、自身のレベルを上げ、スキルを磨いた『個の強さ』――すなわち「探索者」を中心とした防衛・戦闘体制へ、国家のあり方を根底から作り替えなければならない。


「――これが、この星が始めた新しいルールよ」

霞は冷ややかに首脳たちを見つめた。


「サウジの原油も、インドの人口も、EUの国際標準も、自然の魔物の前には何の意味もないわ。他国を侵略したり、会議室でパイを奪い合ったりしている暇があるなら、今すぐに自国の軍隊を解体して、ダンジョンに挑む戦士を育てなさい。スタートラインは、日本が等しく与えてくれる。でも、そこから先、生き残るか、大自然の淘汰に呑まれて滅びるかは、あなたたち自身の選択次第よ」


霞の放った言葉は、その場にいたすべての首脳たちの脳裏に、冷酷な現実を突きつけた。


もはや、核兵器の保有数も、国内総生産(GDP)の多さも、神の前では、そして激動する地球の自然の前では何の意味も持たない。これからの世界を支配するのは、どれだけ自国のダンジョンに適応し、攻略できるかという「実力」のみ。


「……過保護な神様は、人間のためにはならないものね?」

霞はそう言うと、満足したように微笑み、それ以上彼らを見向きもせずに歩き出した。


その瞬間、室内に満ちていた圧倒的な神威が、潮が引くようにふわりと霧散する。首脳たちは、ようやく肺いっぱいに酸素を吸い込み、激しく咳き込んだ。サウジの王太子は椅子に崩れ落ち、アメリカ大統領は震える手でネクタイを緩めた。


「あ、そうだ。総理」

霞はドアの手前で立ち止まり、日本の総理大臣を振り返った。


「会議が終わったら、またあの九州のしょうゆ味のポテトチップス、買ってきておいてね。あれ、結構気に入ったから」

「……は、必ずや、手配いたします」

総理が深く一礼するのを見届け、神は軽やかな足取りで部屋を去っていった。


後に残されたのは、これまでの国際秩序が完全に崩壊し、まったく新しい生存競争のルールを突きつけられた世界各国の首脳たち。


彼らは互いを見る目を改めざるを得なかった。隣国はもはや政治的なライバルではなく、共に大自然の驚異に立ち向かうか、あるいは出し抜いて生存権を勝ち取るべき、過酷な「新時代」のプレイヤーなのだ。


こうして、東京・永田町から発信された神託は、数時間のうちに世界中へと伝播した。


人類は、大国によるパワーゲームの時代を終え、設定された絶対ルールの下で、種としての存亡をかけた『大ダンジョン時代』へと、強制的にその歩みを進めることとなったのである。

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