激戦
◇
その蹂躙とも言える映像をリアルタイムで見ていた世界中の人々は、画面の前で息をすることさえ忘れていた。
ネットのタイムラインは、もはや恐怖に近い驚愕の声で埋め尽くされている。
タカ@探索者オタク @taka_dungeon ・ 1分
速すぎる……。もう第三階層に入ったのか? 嘘だろ。
dungeon_watcher @d_watcher_net ・ 1分
あそこ、通常のトップパーティーでも慎重にトラップを解除しながら丸一日かけて突破する場所じゃなかったか?
現役Fランク探索者 @f_rank_surv ・ 2分
日本のこれまでの最高攻略記録を、信じられないペースで更新してるぞ! まだ突入してから三十分も経ってないのに!
サトウ|家族を忘れない @sato_dungeon_lost ・ 3分
神の力は本物だ。人類が勝ってる……。10年間ずっと逃げ回ることしかできなかった俺たちが、初めてダンジョンを明確に押し返してるんだ。
誰もがスマートフォンの画面、テレビのモニターから目を離せない。
人類の新しい英雄たちは、止まらない。
ただ前へ、より深い暗闇の奥へと、真っ直ぐに進み続ける。
◇
やがて。
緊迫した足音を響かせながら先頭を歩いていた藤堂が、唐突にその足を止めた。
「……待って」
その鋭い静止の声に、全員が微塵の乱れもなくその場に姿勢を凍りつかせる。
「どうした?」
東條が低く問いかける。
藤堂は、手元に浮かぶ魔力光を前方の深い暗闇へと向けたまま、喉を鳴らすようにして小さく息を呑んだ。
「今までの魔物たちから感じた魔力反応とは、根本的に違う……。大きい。あまりにも、大きすぎる」
大気が、一瞬にして鉛のように重くなる。
ただの湿った空気だったはずの空間に、肌をじりじりと焼くようなプレッシャーが満ちていく。
東條はゆっくりと、手の中で愛刀の柄を確かな力で握り直した。
「階層主か?」
藤堂は、顔を硬らせたまま静かに首を横に振る。
「分からない。でも……確実に、今までの魔物とは格が違う」
その言葉が、彼らの耳に届いたその瞬間だった。
ダンジョンの最奥、その深淵の底から、人間の内臓を直接掴んで揺さぶるような、凄まじい重低音が響き渡った。
ゴゴゴゴゴ……。
地響きと共に、古びた天井の岩肌から小さな石や砂埃が、パラパラと五人の足元へ落ちてくる。
世界中が固唾を呑んで見守る中。
無敵の快進撃を続けていた攻略隊の前に、初めて、その牙を剥いた本物の強敵が、姿を現そうとしていた。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
地鳴りは、次第にその低く重い音を大きくしていく。
それはもはや単なる音ではなく、大気を震わせ、人間の骨髄にまで直接響く物理的な圧力だった。まるで、奈落の底から巨大な何かが、一歩、また一歩と着実に、そして容赦なく近付いてきているようだった。
ダンジョンの空気が、目に見えて変わる。
これまで幾多の階層で遭遇し、屠ってきた上級魔物たち――それらとは比べものにならないほど濃密で、禍々しい魔力が、水没していくように周囲一帯を支配していく。肌に触れる空気が重く、ねっとりとまとわりつく。
東條は、汗ばみそうになる掌を衣服で拭うこともせず、愛剣の柄を静かに、だが割れんばかりの力で握り直した。
「……全員、警戒。」
その声は低かったが、不思議なほどよく通った。
「ここから先は別格だ。今までの奴らと同じだと思うな」
誰も返事はしない。
しかし、それは恐怖に竦んだからでも、無視したからでもなかった。返事をする必要がなかったのだ。東條の言葉が終わるより前に、五人ともが完全に、寸分の隙もない戦闘態勢へと移行していた。彼らの
視線はすでに、前方の闇の一点へと注がれている。
やがて。
絶対的な暗闇の奥、その遥か高い位置に、二つの紅蓮の光が灯った。
ギロリ。
肉食獣が、哀れな獲物を見定めるような、冷酷で残酷な視線。それが明確な殺意を伴って、日本攻略隊の面々を真っ正面から捉えた。
ズシン。
ズシン。
巨躯が一歩踏み出すたび、足元の岩盤が悲鳴を上げ、派手に震える。
その全貌が、ゆっくりと、しかし圧倒的な威容を伴って闇の中から現れた。
全長は優に六メートルを超える。
全身を覆うのは、漆黒の岩を削り出したかのような、禍々しい突起を持つ甲殻。その隙間から覗く筋肉は、鍛え上げられた鋼鉄の塊のように異常なほど隆起している。頭部には、天を衝くような二本の巨大なねじくれた角。両腕には、人間の身体が丸ごと隠れてしまうほど巨大で分厚い、漆黒の大剣が握られていた。
そして何より異常なのは、その背中から、文字通り「黒い霧」となって立ち昇っている濃密極まる魔力だった。それは意思を持つかのように蠢き、周囲の空間を侵食している。
「…………。」
一瞬、誰もが言葉を失った。
どれほどの修羅場をくぐり抜けてきた者であっても、その圧倒的な「生物としての格の違い」を見せつけられれば、本能が撤退を叫ぶ。ただその存在感だけに、全員の目を奪われていた。
観測室の戦慄
同時刻。日本政府が設立した特別災害対策本部、通称「政府観測室」。
壁一面に設置された大型モニターへ、ドローンが捉えた魔物の姿が映し出された瞬間、最前列にいたベテラン研究員の一人が、血の気が引いた顔で椅子から立ち上がった。
「馬鹿な……こんな個体、記録にないぞ……!」
彼は狂ったようにキーボードを叩き、世界中のダンジョンから集約された大規模データベースを高速検索する。
しかし、画面に表示されるのは「NO MATCH」の赤文字だけだった。何度再試行をかけても、結果は非情だった。
「該当データなし!」
「未確認個体です! Aランク、いえ、計測不能が出ています!」
オペレーターたちの悲鳴のような声が飛び交う中、室長の天城は、眼鏡の奥の目を限界まで見開き、画面へ吸い込まれるように身を乗り出した。
「違う……」
天城の呟きに、室内の騒音がピタリと止まる。
「これは通常種じゃない。既存の魔物が変異したものでもない。……ダンジョンが、人類の侵攻を阻むために自ら生み出した、完全な『新種』か……!」
その最悪の仮説が、観測室の空気を完全に凍り付かせた。
世界中へ衛星生配信されている中継映像でも、百戦錬磨の実況アナウンサーの声が目に見えて震えていた。
『ご覧ください! 巨大な魔物が姿を現しました!』
『現在、管理局の最高機密データベースにも一切の情報が存在しない、完全な未知の個体とのことです!』
『しかし、日本攻略隊は退きません! このまま交戦する模様です!』
インターネットの配信画面では、コメントが滝どころか光の速さで流れ落ちていく。
「でかすぎるだろこれwww勝てるわけねえwww」
「嘘、嘘でしょ……? 映画のグラフィックじゃなくて?」
「あれヤバくない? 放ってるオーラが今までの魔物と全然違う」
「逃げろ! 一旦引いて立て直せ!!」
「いや、彼らには神の力がある!」
「頼む、日本! 生きて帰ってきてくれ……!」
地球上の何億人という人間が、固唾を飲んで画面に釘付けになっていた。
激突の号砲
その時だった。
巨大な未知の魔物が、ゆっくりと、その凶悪な漆黒の大剣を持ち上げた。
次の瞬間。
「グォォォォォォォォォッッッ!!!!」
鼓膜を破壊せんばかりの咆哮。
それはただの叫び声ではなかった。可視化された凄まじい衝撃波となってダンジョン内を荒れ狂うように駆け抜ける。
頑強な岩壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、天井からは人間の頭ほどもある無数の岩が雨のように降り注ぐ。
普通の攻略隊、あるいは並のハンター集団であれば、この圧倒的な「咆哮」を受けただけで精神が崩壊し、陣形は瓦解していただろう。
しかし、東條は、嵐の中に立つ大樹のように、一歩も退かなかった。
降り注ぐ岩片を首をわずかに傾けてかわし、彼は静かに口元を緩めた。その瞳には、恐怖ではなく、狂おしいほどの高揚感が宿っている。
「なるほど。」
東條は小さく笑った。
「ようやく、本番か。前座が長すぎて欠伸が出るところだった」
その頼もしい声に、背後に控える白石も、不敵で妖艶な笑みを浮かべる。短剣の刃を指先で弄びながら言った。
「そうね。雑魚ばっかり相手にさせられて、少し退屈してたのよね。これなら私の速度についてこられるかしら?」
黒崎は、自身の身長ほどもある巨大なタワーシールドをガツンと地面に叩きつけ、それを軽々と肩へ担ぎ直した。
「ハッ、上等だ! これなら思い切り暴れても壊れねえだろ。俺の盾の強度を試すにはおあつらえ向きだ!」
藤堂は静かに目を閉じ、愛用のスタッフ(長杖)を構えた。彼女の周囲の空間が、集束する魔力によって淡く発光し始める。
「魔力反応……過去のどのボスよりも最大。でも……」
藤堂は目を開いた。その瞳は冷徹なまでに冴え渡っている。
「不思議と、負ける気がしない。」
そして、彼ら四人の背後で、桐谷は極めて冷静に全体の戦況と地形を見渡していた。彼の脳内では、神より与えられし戦術眼が、すでに数手先までの必勝のルートを導き出している。
「予定通りだ、お前たち」
桐谷の理性的で揺るぎない声が、全員の背中を強烈に後押しする。
「東條が正面からタゲを取り、奴の進撃を止める。白石は死角から側面、背後へ回り込んで攪乱。黒崎は東條のカバーと、藤堂への接近阻止。藤堂は最大火力で後方からの魔法支援。――俺が全体を指揮し、奴の動きを完全に封じる」
「了解!」
全員が短く、力強く頷く。
世界が絶望に震える中、彼らだけは違った。
神から授かった力――「ギフト」。その真価を世界に見せつける時が、ついに訪れたのだ。
東條はゆっくりと、しかし確実に、愛剣を正眼に構えた。
その極限まで研ぎ澄まされた刃に、呼応するようにして淡く、しかし太陽のように気高い黄金色の光が宿っていく。
「行くぞ。」
その一言。
それが、世界最強の進撃の合図だった。
刹那、爆音と共に地面が爆ぜる。
攻略隊の五人は、光の矢と化して、未確認の巨大な魔物へ向かって一斉に駆け出した。
人類の未来を背負う五人と、ダンジョンが産み落とした未知の怪物。
歴史に永劫刻まれることとなる最初の激突が、今、爆音と共に幕を開ける。
五人が同時に地を蹴った瞬間、ダンジョンの大気が爆発したかのような轟音が最深部の空間全体へと響き渡った。
先頭を音速の領域で突き進むのは、人類最強の戦士・東條。彼が踏みしめた足元は激しい衝撃に耐えきれず粉砕され、頑強な岩盤が蜘蛛の巣状に激しくひび割れていく。
「はぁぁぁぁぁぁぁッ――!!」
その咆哮とともに、東條の手にある黄金に輝く大剣が、一切の無駄のない軌道で一直線に振り抜かれた。狙うは魔物の分厚い胴体。これまで数え切れないほどの凶悪なボス魔物を、ただの一刀で文字通り両断してきた、東條のすべてを賭した全力の一撃だった。
――しかし。
ガギィィィィィンッ――!!
鼓膜を鋭く引き裂くような、凄まじい金属音が空間を支配する。
巨大な魔物は、片腕に携えた禍々しい漆黒の大剣を無造作に、まるで羽虫でも払うかのように軽く持ち上げただけで、東條の渾身の斬撃を完璧に受け止めていた。
「……っ!?」
東條の切れ上がった目が、驚愕にわずかに見開かれる。
止められた。人類の希望たる自分の全力の一撃が。小細工なしの真正面から。しかも、相手は両手ですらなく、ただの片手でそれを受け流したのだ。
「グォォォォッ……!」
魔物はまるで人間の戦士を嘲笑うかのように、獰猛な笑みを浮かべて鋭い牙を剥き出しにした。そして、そのまま黒い大剣を持つ腕に、さらなる質量を乗せるように力を込める。
「くっ……あぁぁっ……!」
伝わってきたのは、到底生物のものとは思えない凄まじい膂力。
東條の強靭な身体が、まるで木の葉のように数メートルも後方へと吹き飛ばされた。空中で寸前に体勢を立て直し、どうにか両足で着地したものの、その勢いは殺しきれない。東條のブーツは頑丈な地面を深く深く抉りながら、火花を散らして十数メートルも後退を余儀なくされた。
その光景をモニター越しに見つめていた地上階の観測室は、一瞬にして凍り付いた。
「東條隊員が……力比べで押された……?」
オペレーターの誰かが、現実を拒絶するように信じられないという声を漏らした。
神の力を得て世界最強の座に君臨して以来、東條が純粋なパワーのぶつかり合いで押し負ける映像など、世界中の誰も、一度たりとも目にしたことがなかったからだ。
「右だ! 白石、仕掛けろ!」
沈黙を破り、冷静沈着な桐谷の指示がインカム越しに鋭く飛ぶ。
その声と完全に同時に、最前線にいた白石の姿が掻き消えた。いや、消えたのではない。彼女の移動速度が常人の動体視力を遥かに超越したため、網膜が捉えきれなくなったのだ。
次の瞬間には、白石は巨大な魔物の死角である背後、その完璧な位置へと回り込んでいた。
「もらった……!」
冷徹な呟きとともに、彼女が構える銀色の双短剣が、魔物の無防備な首筋へと吸い込まれるように突き立てられた。
しかし。
キィンッ!
響いたのは肉を裂く音ではなく、硬質な鉱物同士が激突したかのような虚しい音だった。白石の渾身の刺突は、激しい火花を散らすに留まる。
「……嘘、硬すぎるっ……!」
超高振動の魔力を纏わせた刃を以てしても、魔物の皮膚をわずかに削り取っただけ。一滴の血すら流すことはできない。
攻略隊の動揺を見逃すほど、この怪物は甘くはなかった。直後、空気を切り裂く凶悪な風切り音とともに、魔物の巨大な尻尾が鞭のように唸りを上げた。
「!」
白石は野生的な勘で反射的に後方へと跳躍する。
だが、その速度は魔物の攻撃範囲から完全に逃れるには一瞬遅かった。
ドゴォォォォン!!
直撃は免れたものの、巻き起こった凶悪な衝撃波だけで白石の華奢な身体が木の葉のように吹き飛び、激しく背後の岩壁へと叩き付けられた。
「がっ……は……!」
肺の空気を強制的に吐き出され、痛烈な衝撃に白石の顔が歪む。戦場に重苦しい土煙が舞い上がる。
「白石! 持ちこたえろ!」
重戦士の黒崎が、手にした巨大なタワーシールドを構えながら彼女を庇うように駆け寄る。だが、その動きを阻むように、上空から質量そのもののような魔物の巨大な拳が容赦なく振り下ろされた。
「させるかぁぁぁ! 俺の後ろには誰も通さねぇ!!」
黒崎は全魔力を盾に集中させ、真正面からその一撃を迎え撃つ。
大激突。
鼓膜を破壊せんばかりの轟音が鳴り響き、発生した衝撃波だけで、周囲の分厚い岩壁がボロボロと崩れ落ちていく。
「ぐぅぅぅぅっ……ああぁぁぁぁっ!」
盾越しに伝わってくるのは、山が崩落してきたかのような圧倒的な重圧。
ミシミシと嫌な音を立てて、黒崎の腕の骨が軋みを上げる。彼の足元の岩盤は、その圧力に耐えかねてボコりと大きく陥没していった。全身の血管が浮き出るほどの負荷。それでも、黒崎は歯を食いしばり、一歩も退かなかった。盾使いとしてのプライドが、彼の足を地面に縫い付けていた。
「東條! 今だ! 意識がこっちに向いてる!」
「任せろ……!」
黒崎が命懸けで作った一瞬の隙。東條が再び地を蹴って駆ける。
その身体からは、先ほどを遥かに凌駕するほどの、眩いばかりの黄金の光が溢れ出していた。神から授かった彼だけの固有能力――【身体能力極限強化】。
筋力。
速度。
反応。
そのすべてが、人間の領域はおろか、従来の限界を遥かに超越して加速していく。
ドンッ!
踏み込みの一歩で、東條は音速に迫る絶対的な速度へと到達。残像だけを残し、巨大な魔物の懐へと深く潜り込んだ。
「これなら……届く!!」
再び黄金の剣を振り抜こうとした、まさにその刹那だった。
魔物の、不気味に爛々と輝く紅い瞳が、正確に東條の動きを捉えた。
ゾクリ。
心臓を直接氷で撫でられたかのような、凄まじい悪寒が東條の背筋を駆け抜ける。
(速い……なんだこの反応速度は……!?)
その山のような巨大な体躯からは到底想像もつかない、神速の身のこなし。魔物は凄まじい風圧を巻き起こしながら身体を鋭く捻り、右手の黒い大剣を、東條の胴体を真っ二つにする軌道で横薙ぎに振り抜いた。東條の攻撃よりも、魔物のカウンターの方が確実に速い。
「東條――っ!!」
後方から桐谷の悲痛な叫びが響く。
避けられない。体勢を完全に攻撃へと傾けていた東條には、もう防御も回避も間に合わない。誰もが、人類最強の戦士の死を確信した。
その絶望の刹那――。
「伏せて、東條くん!!」
凛とした藤堂の声がダンジョンに響き渡った。
同時に、彼女が掲げた漆黒の杖の先端から、幾重にも重なり合う複雑な魔術陣が瞬時に展開される。空間を埋め尽くすような、青白い神秘的な光。
「《多重重力拘束》!!」
ドスン、と空間そのものの質量が跳ね上がったかのように、大気が歪んだ。
東條の頭上を通過するはずだった魔物の腕と、その巨体そのものが、凄まじい重力負荷によって一瞬だけ下方に強く沈み込んだ。
「グォッ……!?」
魔物の動きが止まる。ほんの一瞬。時間にしてコンマ数秒の出来事。
だが、世界最高峰の戦士たちにとって、その僅かな隙は形勢を逆転させるに十分すぎる時間だった。東條は紙一重のところで上体を反らし、迫り来る黒い大剣の軌道を、文字通り髪の毛一本分の差で回避することに成功する。
「助かった、藤堂!」
「感謝するのはまだ早いよ、まだ終わってない……っ!」
藤堂が悲鳴を上げるように叫ぶ。彼女の白い額には大粒の汗が浮かび、膨大な魔力が尋常ではない勢いで消耗していくのが見て取れた。
「あの化け物……私の最高位の拘束魔術を、ただの純粋な筋肉の力だけで破ろうとしてる……!」
ギギギギギ、ギチチチ……!
空間を縛る重力の鎖が、物理的な悲鳴を上げて軋んでいた。
通常のボス魔物であれば、最低でも数十秒は完全に身動きを封じ込めることができる最高峰の禁忌魔術。しかし、目の前の怪物は、わずか数秒の抵抗の末に、その理不尽な重力を力ずくで押し破ろうとしていたのだ。
その圧倒的な絶望の光景を、一歩引いた位置から見つめていた桐谷は、静かに、深く息を吐き出した。
「なるほど……合点がいった。」
激動する戦場の中で、彼の瞳だけは、不気味なほどに冷徹で静かだった。
「見えたぞ。」
彼の固有能力――【戦術眼】。
戦場に存在するあらゆる事象、魔力の流れ、物理的な運動エネルギーを完全に対象・解析し、勝利への最短ルートとなる「最適解」を脳内に導き出す絶対の力。
魔物の強靭な筋肉のわずかな弛緩と緊張。
呼吸の周期。
激しい攻防の中での重心の移動。
攻撃へと転じる際の、わずかな動きの癖。
そのすべてが、桐谷の脳内で驚異的な速度でピースとして組み合わさり、一つの立体的な戦術図へと昇華されていく。
そして。
彼はついに見つけた。その完璧に見える怪物の肉体に存在する、たった一つだけの、しかし決定的な違和感を。
魔物の胸部中央。
漆黒の分厚い甲殻が重なり合う、その極めて微小な隙間。
そこだけが、周囲の完璧な魔力の循環から外れ、わずかに脈打つように流れが乱れていた。
(あそこが……奴の核心。弱点か。)
すべてを理解した桐谷の口元が、静かに、そして不敵に吊り上がる。
「全員、よく聞け。」
通信インカム越しに、彼の低く、だが確固たる自信に満ちた声が響き渡った。
「勝機はある。これより反撃に移る。俺の指示に一瞬の遅れも出すな」
その揺るぎない一言が放たれた瞬間、絶望の色に染まりきっていた地上の観測室の空気が、劇的に変化した。固唾を呑んでモニターを見つめていた世界中の人々が、一斉に希望の息を呑む。
人類最強の攻略隊と、深淵より現れた未知の怪物。
真の死闘は、まさにここから始まろうとしていた。
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