神託計画
その絶対的な大号令が下された瞬間、日本国家が保有するあらゆる情報網が、これまでの平時では考えられないほどの速度と規模で一斉に駆動し始めた。
自衛隊の最高機密データベース、冒険者協会が秘匿する上位陣の戦歴、そして日々生死の境界線で血を流し続けるダンジョン攻略専門部隊の作戦記録。超法規的措置によって制限を解除されたデータは、激しい濁流となって首相官邸地下へと吸い上げられていった。
数時間後。
時計の針は深夜を大きく回っていたが、地下会議室に集まった幹部たちの目に疲労の色はなかった。先ほどまでの混迷とした静寂とは打って変わり、壁一面に展開された巨大なホログラフィック・スクリーンには、目まぐるしく流れる膨大なバイタルデータ、戦闘シミュレーション、そして候補者たちの顔写真が青白い光に照らし出されている。
「……ただいまをもちまして、候補者リスト、および最終選抜の五名が確定いたしました」
壇上に立った情報担当官が、極限の緊張感に声を震わせながらブリーフィングを開始した。
「現在、日本国内で確認されている純粋な戦闘能力上位者の中から、神の力という未知の負荷に耐えうるであろう精神力、および肉体強度を考慮し、最精鋭の5名を厳選しております」
画面が切り替わり、一人目の詳細なプロファイルが大きく中央に映し出された。
「一人目。東條蓮、二十八歳。自衛隊特殊作戦群所属。特筆すべきは、ダンジョン攻略任務への参加回数が国内最多クラスであるという点です。彼は単なる肉体的な強さに留まらず、予測不能な怪異が蔓延る危険区域における冷徹な判断能力、そして何より極限状態における『生存能力』において、我が国で右に出る者はおりません」
その写真を見上げ、鬼塚防衛大臣が深く、誇らしげに頷いた。
「彼こそは我が防衛省の至宝だ。もし東條が神の能力を得たならば、前線部隊の作戦遂行能力は大幅に引き上げられ、文字通り最強の矛となるだろう」
続いて、画面には華奢ながらも狼のような鋭い眼光を放つ女性の姿が映し出される。
「二人目。白石凛、二十四歳。冒険者協会所属のSランク冒険者です。民間でありながら、現在、日本国内で最も多くの『高難度ダンジョン』を少人数、あるいは単独で踏破・攻略している最重要人物です」
天城研究所長が手元の端末で彼女の過去の戦闘ログを確認し、感嘆の息を漏らす。
「推定魔力量、戦闘技術、そして何より実戦における成長速度……どれを取っても現在の測定可能領域を凌駕しています。彼女の『才能』なら、神の力すら瞬時に乗りこなすでしょう」
スクリーンの光は休むことなく、次々と日本の頂点たちの姿を浮き彫りにしていく。
「三人目、黒崎修吾、三十二歳。自衛隊ダンジョン攻略部隊所属。大型魔物の単独討伐経験多数。重装甲を用いた防御能力と、圧倒的な質量による近接戦闘に特化した、前線の絶対的な壁です。
四人目、藤堂玲奈、二十七歳。冒険者協会所属の魔法系能力者。国内屈指の広範囲殲滅魔術を得意とし、対集団戦において一個師団並みの火力を単身で叩き出します。
最後、五人目。桐谷蓮司、三十歳。独立系冒険者パーティーの統括者。彼自身の高い戦闘能力もさることながら、特筆すべきは卓越した指揮能力。混迷を極める複数の部隊を掌握し、生存率を劇的に引き上げる戦術眼を持っています」
スクリーンの中心に、五人のポートレートと、燦然たる実績の数々が並び立った。
それは誰もが認めざるを得ない、現在の日本という国家が用意できる「最強の5カード」そのものだった。
しかし。
神宮寺総理は、その輝かしい画面をじっと見つめたまま、深い沈黙に沈んでいた。その険しい表情は、何か割り切れない大きな違和感を必死に咀嚼しようとしているかのようだった。
「……総理。何か問題が、あるいは選考基準に懸念される事項があるでしょうか」
重苦しい沈黙に耐えかねたように、高城官房長官が横から恐る恐る尋ねる。
神宮寺は視線を画面に固定したまま、ゆっくりと、重い口を開いた。
「……いや、提出された資料に問題はない。現在の我々の常識に照らし合わせれば、これ以上ない完璧な人選だ。だが……むしろ、その『問題がないこと』自体が、私の不安の種なのだ」
総理の奇妙な言葉に、会議室の全員が息を呑み、視線を集中させる。
「我々は、これまでの古い物差し――すなわち、既存の戦闘能力、目に見える実績、積み重ねた経験という『人間の合理性』だけで彼らを選んだ。しかし、あの『霞様』という超越者が求める基準が、果たして我々の知性の範疇に収まるものだろうか」
天城がハッとしたように目を見開く。
「……『適性』、ですか」
「そうだ」
神宮寺は椅子からゆっくりと背を離し、全員を見据えた。
「神の力というものが、既存の強さをさらに掛け算で伸ばすものなのか。それとも、今はまだ開花していない、その人間の魂の奥底に眠る別の可能性を引き出すものなのか。それはまだ、我々の中の誰にも分からない。もし、現在の強さが選考基準として全く無意味なものだったとしたら、我々は大きな見落としをしていることになる」
その指摘は、確かに核心を突いていた。神の理は、人間の論理とは異なる。
だが、鬼塚は白くなるほど拳を強く組み、自らの信念を曲げずに言葉を返した。
「総理のお懸念も一理あります。ですが、我々の最初の、そして絶対に外せない目的は明確です。『これ以上のダンジョン拡大を阻止し、人類の絶対的な防波堤を築くこと』。ならば、基礎戦闘力が最も高い彼らをぶつけることこそが、現時点で取り得る最も勝率の高い、論理的な賭けであると考えます」
張り詰めた沈黙が数秒、室内に流れる。
やがて、神宮寺は小さく息を吐き、重々しく頷いた。
「……そうだな。綺麗事を言っている猶予は我が国にはない。今の日本に最も必要なのは、他でもない『即効性のある結果』だ。安全地域を広げ、魔物の脅威を減らし、人類が体制を立て直すための時間を稼ぐ。そのためには、彼らの武力が必要だ」
神宮寺はスクリーンの5人を見据え、断固たる決意を込めて告げた。
「この五人を、我が国の第一候補とする。明日正午、霞様の前へ連れていく」
「「「はっ!」」」
会議室の全員が、その言葉に深く覚悟の籠もった一礼を返した。
こうして、人類の歴史上初めて「神の力」を授かるための、最初の候補者たちが決定した。選ばれたのは、死線の最前線で血と硝煙に塗れながら国を守り続けてきた者たち。日本が誇る、最高峰の戦士たちであった。
翌日。日本政府が最高機密として管理する特別管理区域の一室。
昨日、神宮寺たちが徹夜の議論の果てに選抜した五人の候補者たちは、そこに集められていた。室内を満たすのは、鼓膜が痛むほどの静寂と、それぞれが発する濃密な緊張感。
それも当然だった。
これから対面するのは、人類が昨日までその存在すら知らなかった、次元の異なる規格外の超常――“神”。そして自分たちは今から、その超越者から直接、世界の命運を左右する力を授けられるのだ。
「……まさか、本当に自分が選ばれるとは思わなかったな」
自衛隊特殊作戦群の絶対的エースである東條蓮が、自身の大きな手のひらを見つめながら小さく呟いた。
その声には、死線を幾度もくぐり抜けてきた男にしては珍しい、微かな揺らぎが含まれている。
しかし、その隣に毅然と立つSランク冒険者、白石凛は腕を組んだまま、微動だにせず前方の空間を見つめていた。
「選ばれた理由なんてどうでもいいわ。私たちはただ、ここで力を得て、戦場で圧倒的な結果を出す。それだけでしょ」
彼女の言葉に迷いは一切なかった。
民間冒険者として常に最前線の地獄に立ち、生き残るために牙を研ぎ続けてきたのだ。さらに強くなる機会が目の前にあるのなら、それが神の力だろうが悪魔の呪いだろうが、ただ掴み取る。
彼女の覚悟はそれほどまでに純粋で、鋭利だった。
その時、突如として室内の気圧が変転し、空間そのものがガラスのようにぐにゃりと歪んだ。
昨日と同じ現象。何もない虚空へ、淡く美しい粒子状の光が集束していく。そして――。
パチン。
鼓膜を心地よく叩く、軽快な指鳴らしの音。
「おはよう。みんな、集まってるわね」
光の霧の向こうから現れたのは、昨日と変わらぬ、神という言葉からは程遠いほど気さくな笑顔を浮かべた少女――月詠霞だった。
「……本当に、予兆も物理的な法則もなく、空間転移で現れるんですね」
出迎えた神崎が、何度見ても慣れない超常現象に、感嘆とも畏怖ともつかない溜息を漏らす。
「ふふ、だって便利でしょう?」
霞はいたずらっぽく笑う。
「わざわざ廊下を歩いてくるより、こっちの方が断然早いですもの」
そのあまりに世俗的で無邪気な態度に、五人の間に張り詰めていた硬い緊張が、一瞬だけ和らいだ。
しかし、霞がその瑞々しい瞳を巡らせ、並び立つ五人の姿を捉えた瞬間、その表情がわずかに変化した。
「なるほどね」
霞は一人ひとりの顔を、その魂の奥底まで見透かすようにじっくりと見つめていく。
「あなたたちが、この国が選んだ最初の五人というわけね」
東條蓮、白石凛、黒崎修吾、藤堂玲奈、桐谷蓮司。現在の日本において、文字通り人間の限界点に君臨する最高峰の戦闘能力を持った戦士たちだ。
「あなたたちの目的は、既に昨日の会議で聞いているわ」
霞の声から少女特有の軽薄さが消え、厳かな響きが帯びていく。
「停滞したダンジョン攻略を劇的に進展させたい。人類が脅威に怯えず、安全に生き残れる領域を増やしたい。……そういうことね?」
五人は言葉を発さず、ただ覚悟を込めた眼差しで深く頷いた。
「なら、話は早いわ。今回はその望み通り、戦闘に特化した能力を中心に調整させてもらうわね」
背後に控えていた神宮寺が、一歩前に出て確認する。
「霞様、彼らが事前に希望した通りの能力を完全に授けることは可能でしょうか?」
「完全に自由、というわけにはいかないわ」
霞は神宮寺を振り返り、明確に否定した。
「昨日も言った通り、その人が元々持っている魂の性質や才能の形によって、器に馴染む力の属性は決まっているの。でも、今回のあなたたちの目的はあまりにも明確だわ。ダンジョンの攻略、そして魔物の徹底的な駆逐。それなら、彼らの本質を『戦闘』において最も効率よく、最大値を発揮できる方向へ私が強引に導いてあげる」
霞が再び、細い指を天に向けて鳴らした。
パチン。
その音と同時に、彼女の周囲に目も眩むような五つの色彩豊かな光球が生まれ、意思を持つかのようにそれぞれの候補者へと向かって飛翔した。
一つ目の、黄金色に輝く光が東條蓮の胸へと吸い込まれる。
「あなたには、揺るぎない前線を支える絶対的な力。――『身体能力の極限強化』および『金剛の防御能』。どれほど過酷な極限状態であっても、決して折れずに戦い続けられる、不滅の戦士としての格を授けるわ」
東條の身体がカッと熱くなり、彼はゆっくりと自分の拳を握りしめた。感覚が激変していた。細胞の一つひとつが爆発的なエネルギーを内包し、肉体の奥底から、これまで体感したことのない圧倒的な神威が湧き上がってくる。
二つ目の、蒼く研ぎ澄まされた光が白石凛を包み込む。
「あなたには、内なる魔力を極限まで引き出し、限界を超える力。――『魔力循環効率の超上昇』と『魔法威力の特大強化』。そして、戦闘を重ねるたびに自身の限界を塗り替える『無限成長』よ」
白石の瞳が驚愕に大きく開かれた。体内の魔力回路が強制的に拡張され、世界の理そのものと直結したかのような膨大な魔力が、彼女の細い身体の全域を暴風のように駆け巡る。
続いて、残る三つの光がそれぞれの器へと収まっていく。
「三つ目、黒崎修吾。あなたには、背後の仲間を絶対に守り抜く盾としての力。――『絶対防御結界』と『金剛耐久強化』。」
「四つ目、藤堂玲奈。あなたには、遥か遠距離から戦場全体の戦況を支配する力。――『神速の魔法制御』と『広範囲殲滅の精密操作』。」
「五つ目、桐谷蓮司。あなたには、混沌たる戦場を勝利へと導く光。――『未来予測の判断力強化』と、味方の全能力を底上げする『聖域の指揮能力』」
五人への能力付与が完了した瞬間、激しく明滅していた光の奔流が収まり、部屋に深い静寂が戻ってきた。そこには、先ほどまでの「強力な人間」ではなく、文字通り「神の代行者」へと変貌を遂げた五人の英傑が立っていた。
「……よし、以上よ」
霞は自身の仕事を完璧に終えた職人のように、満足そうに微笑んだ。
「これだけの特性があれば、今まで人類がどうしても踏破できなかった高難度ダンジョンだって、容易に攻略できるはずよ」
そのあまりに劇的な変化を目の当たりにした神宮寺は、震える声を必死に抑えながら尋ねた。
「これほど世界のバランスを覆すような力を、一度に五人も……。霞様、本当にこれでよろしいのですか?」
「ええ、当然でしょう?」
霞は小首を傾げ、あっさりと、しかし絶対的な約束の重みを込めて言い放った。
「だって、私はあなたたちと『契約』したんだもの。日本が、この過酷な世界で生き残るための力を貸すってね。神様は嘘をつかないわ」
その毅然とした少女の言葉に、神宮寺をはじめ、その場にいた誰もが深く息を呑み、そして魂の底から突き上げてくる高揚感を覚えた。
昨日まで、人類は常に魔物の影に怯え、生息圏を奪われるだけの「追われる側」だった。どれだけ牙を剥いても、ダンジョンの拡大という絶望の前に、ただ衰退を待つだけの存在だった。
しかし、今日、この瞬間。
人類は、神の恩寵という絶対的な切札を得て、初めて「反撃するための力」を手に入れたのだ。
ガチャリ、と重厚な扉が開く。五人の戦士たちが、自らの内に宿る新たな神の力を携え、最前線へと歩みを進める。
この日を境に、世界のダンジョン攻略の歴史は、人類の反転攻勢という名の新たな1ページへと、大きく、そして劇的に変わり始めるのだった。
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