第八話 侵食
どれほどの時間が経ったのだろうか。
私の精神は刺激に対して反応する事に疲れ果て、私の精神は半ば発狂しつつあった。
体中を這い回るゴキブリどもの感触にも、もはや何も感じなくなっていた。
まるでこの世界は太古の昔よりこのようなものであったとすら思える。
日差しに焼かれ、冷たい雨に打たれ、風が肌をくすぐるのと同じ事なのだ。
ゴキブリの脚が私の肌を這い、私の肌と服の間をゴキブリが蠢き、私の髪を掻き分けてゴキブリが歩く。
これが普通なのだ。
ごく一般的な事なのだ。
私は平気だ。
なんともない
こんな事くらいで、私の精神はどうにかなったりしたりはしない。
「いひひ、ふひひひひひ……」
口の端からつうっと涎が零れて糸を引いた。
意味も無く笑いが漏れる。
愉快な事など何もないどころか、不愉快極まる状況だというのに。
ガチャリ
ギィィィィィ……
蝶番が軋みを立てながら扉が開かれた。
パチンッ
電灯が灯されると同時に、急激な光に晒されたゴキブリどもが暗がりを求めて襟口や裾から服の中へと入り込んでくる。
「少しばかり調整に手間取って時間が掛かってしまいましたが、どうやら杞憂だったようですね。お互い仲良くなってくれたようで何よりです」
楼池氏の表情は上機嫌だ。
何か良い事でもあったのだろうか。
私の方はさっきから悪い事ばかりだが。
楼池氏は手に持っていたトレイを棚の空いている場所に置き、床に転がっていた飼育ケースを拾い上げた。
「さあ、運動の時間は終わりだよ。巣に戻ってお寝りなさい」
手慣れた様子で私の服をはたき、袖や裾から出てきたゴキブリを素手で掴んでは飼育ケースの中に放り込んでいく。
「はて、4名ほど足りないですね。よほど奥の方に入って行ったらしい」
実際、ズボンの股間と腿の辺りにモゾモゾと動く気配がいくつかある。
今さら気が付いたのだが、私の股間は濡れていた。
知らない間に失禁していたらしい。
「まあ動けば喉も渇くでしょうからね。水分が欲しかったのでしょう」
さも当然というように楼池氏が呟く。
「さて、ちょっと刃物を扱いますからね。動くと危ないですよ」
楼池氏の手がトレイから大きなハサミを取り上げる。
電灯の光を反射してギラリと光る刃物にギョッとする。
「そんなに怯えなくても結構ですよ。ただ、危ないので身体を動かさないようにしてくださいね」
楼池氏がしゃがみこみ、ハサミが私のズボンの裾を咥える。
ジョキ ジョキ ジョキ ジョキ…
ズボンが切り裂かれ、私の脚が露わにされていく。
切り開かれたズボンの下から現れたゴキブリを楼池氏の手が捕まえて、飼育ケースに戻していく。
左脚が済んだら、次は右脚も同様。
一通り終わってから楼池氏が飼育ケースを持ち上げて、中のゴキブリを数える。
「まだ1名足りないですね。ふむ、居ないのはゲンジロウ君ですかね」
この男、ゴキブリの個体が識別できているとでも言うのだろうか。
それぞれの個体に名前を付けて呼んでいるらしい。
楼池氏が再びハサミを手に取って近づいてくる。
「はい、上も切らせて貰いますよ」
シャツも切り裂かれ、私の右脇のあたりにいたゲンジロウ君とやらが飼育ケースに戻された。
「よしよし、みんな戻ってこれましたね」
ご満悦な楼池氏に対して、こちらは服を切り裂かれてほぼ半裸だ。
もっとも、室内の温度はやや高めに設定されているようで、寒さは感じないが。
「また隙間に潜り込まれたりすると面倒ですからね。余分な布は取り払ってしまいましょう」
残されていた僅かな布も切り裂かれ、服としての用を為さなくなった布きれが取り払われる。
たちまち私は全裸にされてしまった。
「ふふ、あははははは」
濡れたズボンとパンツが取り払われて、不快さが減ったおかげか、なんだか愉快になってきた。
自然と笑い声が溢れる。
楼池氏に裸を見られていても、羞恥心も湧いてこない。
そんな情動はとっくに壊れてしまったらしい。
「さて、いよいよ取っておきですよ。この飼育ケースの中の娘達は貴方に進呈します。私が丹精込めて育てた可愛い娘達ですからね。大事に可愛がってやって下さい」
そう言って、再び頭上で飼育ケースがひっくり返された。
ゴキブリの群れが頭上から降り注ぐ。
確かにショッキングだったが、最初の時ほどの衝撃は無い。
暗闇の中で何時間もゴキブリに集られ続けたのだ。
今さらそれが別の群れに入れ替えられたところで、どうなるものでもない。
素っ裸にされた私の肌の上を無数のゴキブリたちが這い回る。
娘達と言うからには、今度はメスらしい。
どうでもいい。
さっさと終わらせてくれ。
もうウンザリなんだ。
「あらあら、なんだか反応が鈍いですね。せっかく別嬪さん達に取り囲まれているというのに」
知った事か。ゴキブリのメスの美醜など、心底どうでもいい。
「そんな貴方に素敵なプレゼントですよ。最高の悦楽を保証します」
楼池氏がトレイから黒いケーブルを手に取り、一端にあるプラグを自身の首の後ろに設置された電脳インターフェイスジャックに差し込む。
いったい何を始める気だ?
IT技術者の端くれとしての警戒感が湧き上がる。
「そう心配せずとも大丈夫ですよ。私が開発したアプリを貴方向けにカスタマイズしたものをインストールするだけです」
楼池氏の指が、ケーブルのもう一端を掴んで私の背後に回る。
「な、何を…」
抵抗しようとするが、椅子に縛り付けられた身ではどうしようもない。
あっさりと私の首の後ろにあるジャックにプラグが挿入された。
楼池氏の電脳と私の電脳が直結され、大量のコマンドとデータが私の中に流れ込んで来る。
あっという間にfirewallを突破されてadministar権限を掌握された。
未知のapplicationが流し込まれ、強制的にinstall処理が開始される。
applicationの名称は"Project-G"?
どこかで見た事のある名前だ。
あれは、何だったか……
現在進行形で電脳内を目茶苦茶に掻き回されている最中だ。
集中して記憶の走査をしている余裕は無い。
思い出せないまま、Project-Gとやらのinstall処理が進んでいく。
同時に私のuser権限を上回るadministar権限で次々とproperty情報が書き換えられていく。
「なに、心配する事はありませんよ。これで貴方は幸福になれる。私と同じステージに立てるのです」
installされたProject-Gがadministar権限で強制起動させられた。
全ての感覚がmaskされ、拡張現実が差し込まれる。
ザザザ…ッ
感覚信号に割り込みをかけられる不快なノイズが走った。
「うっ…」
思わず目を瞑ってしまった。
「そんなに怯えることはありませんよ。ほら、目を開けてご覧なさい」
恐る恐る目を開く。
「ひぃ!?」
想像を絶する光景に、喉奥から変な声が出た。
全裸に剥かれた私の身体の上で、無数の小人というか小さな妖精というか、そういう者たちが遊んでいたのだ。
どれも女性だ。
成熟した成人から、二次成長期の途中と思われる少女まで様々だ。
いずれも露出度の高い扇情的な服装をしている。
彼女達は楽しそうに私の脚を這い上ったり、ヘソの穴に潜り込もうとしたりしている。
右腕の上にいる少女と目が合った。
彼女はこちらを上目遣いで見上げていたのだ。
いったい何なのだ、この小人達は。
明らかに現実に存在する筈のない者だ。
さっきまでそこを這い回っていたのはゴキブリどもだった。
いや、これは、まさか、そういう事なのか!?
「ゴキブリ擬人化ARアプリProject-Gの世界は如何ですか?貴方の好みが分からなかったのでスキンの容姿設定はデフォルトのものですが、自分好みにカスタマイズする事も可能ですから、色々やってみて下さい。楽しいですよ」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
私の上で愉快そうに遊んでいる彼女達が現実に上書きされた拡張現実マスクであり、その正体はゴキブリであることを理解した私の喉奥から、恐怖に満ちた絶叫が迸り出た。
続く




