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第五話 悪意

ピンポーン

来客を告げるチャイムが鳴ったのを感知し、作業を中断する。

電脳をinner modeからreal modeに変更し、首の後ろにあるジャックからプラグを抜いてワークステーションとの接続を切る。

ここ数日、重めの業務が重なっていて、食事と排泄と睡眠の時間以外はずっと電脳内の作業スペースに籠もりっぱなしだったせいで、軽く眩暈を覚える。

今日も朝食を食べて以降、ずっと仕事に追われていた。

数時間ぶりに動かした全身の筋肉は強張っていて、なかなか言う事を聞いてくれない。

ピンポーン

「お届け物で~す!お留守ですか~?」

はいはい、すぐ出ますよ。

強張る身体をギクシャクと動かして玄関へと向かう。

「ここに受領のサインかハンコをお願いします」

荷物は先日通販サイトで発注した物のようだ。

玄関脇に常備している三文判を受領証に押して、配達員に返す。

「ありがとうございます」

配達員は受領証を受け取るが、何か妙な顔をしている。

いつもなら、すぐに去って行くものだが…?

「あの、これ…イタズラですかね?」

んん?何の事だ?

「あ、いや、その玄関のドアに張り紙がしてあったもので」

配達員は困惑顔だ。

いったいどうしたと言うのか。

張り紙って何の事だ?

玄関から出て、我が910号室のドアを見てみる。

それを視界にいれて唖然とした。

玄関のドアにベッタリと紙が貼られている。

それも一枚や二枚ではない。

何枚も何枚も、重なるようにして貼り付けられて、ドアノブとレンズ以外の部分は殆ど見えないような有様だ。

ペンのようなもので書いたとおぼしき文字が躍っている。

そして、その内容たるや、まったく酷いものだ。

『殺人鬼在中』

『恥を知れ社会の敵』

『この部屋には人殺しが住んでいます』

『人の心を持たない怪物に正義の鉄槌を!』

『死に腐れド外道』

『人類の恥部』

『不快害虫が住んでいます』

『キ○ガイサイコパスは即刻退去せよ』

『お巡りさん、ここに凶悪殺人犯がいます。早く逮捕して下さい』

いったい何だというんだ?

どれもこれも酷い誹謗中傷だ。

「あの、私は失礼しますね。その…何かトラブルなら、警察に相談した方が良いと思いますよ」

「え、ああ、そうしますよ。配達ご苦労様でした」


トラブルが発生したので仕事を中断する旨を上司に連絡してから110番に通報。

15分ほどして、大柄で年配の警官と、痩せぎすの若い警官の二人組が来た。

彼らと共に状況を確認する。

「うわ、こりゃ酷いな」

「紙は普通のコピー用紙みたいですね。サインペンか何かで書いたのかな」

紙は裏面全体にベッタリと接着剤が付けられていたようで、ドアに密着していて剥がそうとしても上手くいかない。

「えらいガッツリ貼り付けられとりますな。こりゃあ、市販のシール剥がし剤なんかじゃ綺麗に剥がせないかもしれませんぞ」

それぞれの紙は斜めに貼られていたり、(はし)が重なっていたりして乱雑に貼られたような印象を受けるが、糊付け自体はかなり丁寧(ていねい)にされているようだ。

むしろ病的なまでの几帳面さすら感じられる。

あまりにも強固に貼り付けられているため、爪を立てて無理に剥がそうとしても、紙が変に破れるばかりだ。

「無理に剥がそうとせず、専門の業者に頼んだ方が良いかもしれません」

こんな事に専門の業者とかあるんだろうか?

塗装屋とかに頼めば良いのだろうか?

「とりあえずマンションの管理会社に相談してみては?懇意にしている業者とか紹介してくれるかもしれませんし、費用負担とかも交渉次第でどうにかなるかもしれません」

「そうですね。そうしてみます」

問題は、一体、誰がいつの間にこんな事をしていったのか。

犯人さえ捕まれば、費用などそいつに全額請求してやる。

「このドアを最後に出入りしたのはいつだったか、そのときの状態はどうだったか分かりますか?」

記憶を手繰(たぐ)る。

今週はずっとリモートワークでの激務が続いていたので、平日は一歩も家から出ていない。

となると、日曜日に食料と害虫対策用品を買い込んだのが最後になる。

帰宅した時間はだいたい午後の2時か3時くらいだったと思う。

勿論、その時はこんな事になってはいなかった。

いくら私が平生(へいぜい)ボンヤリしているといっても、さすがに家の玄関がこんな有様になっていたら気が付かない訳がない。

つまり犯行時刻は日曜に私が帰宅した後から、先程の配達員が来るまでの間ということになる。

「今日は木曜日ですから、日曜日の午後から今日の午後2時頃までの間だとすると、犯行が行われた可能性は概ね96時間程度に絞られますね」

「どんな接着剤が使われたのか分からないから断言は出来んが、こうガッツリ硬化している所からして、ついさっき貼られたという可能性はほぼ無いだろうな」

そもそも誰が通りかかるかもわからないマンションの廊下で、白昼堂々と犯行におよんだとも考えにくい。

いや、そうとも言えないか。

朝方や夕方の人の出入りが激しい時間を避ければ、意外と人通りの無いタイミングというものもあるのかもしれない。

「何か不審な物音とか気配を感じたといった事はありませんでしたか?」

「いえ、まったく憶えがありません」

ずっと家に居たとはいえ、電脳をinner modeにして仕事に没頭している間は外界の事は殆ど意識から締めだしている。

火災報知器でも鳴り響けば別だが、廊下でゴソゴソやっている程度では気が付かないだろう。

「あるいは寝静まった深夜に犯行が行われたという事もありますな」

どちらにしろ、私が気付けた可能性は低いと言わざるを得ない。

「この紙に書かれた言葉に何か思い当たる節はありますか?」

あるわけ無いじゃないか。

私はこれでも善良で模範的な市民の一人であるつもりだ。

今まで警察の厄介になった事もない。

人殺しだのなんだの言われる筋合いは皆無だ。

「なにかご近所でのトラブルとか、仕事上でのトラブルとかはありますか?」

ご近所の皆さんとは全員とても仲良しとまでは言わないが、少なくともお互い迷惑をかけないように気をつけている。

自治会活動にはきちんと参加しているし、管理費の滞納も無い筈だ。

仕事関係にしても、上司や同僚とはそれなりに上手くやっているし、取引先との関係も良好だ。

このような嫌がらせをしてくるような相手に心当たりは無い。

「文字の筆跡に見覚えはありませんか?」

そう言われても、他人が手書きした文字を見る機会などそう滅多にあるものではない。

書かれている文字は奇妙にギクシャクしていて、かなり汚く読みにくい。

筆跡を隠そうとしているのか、それとも単なる悪筆なのかは判断しかねる。

なんにせよ、誰が書いたものなのか推測するには判断材料が足りない。


結局、すぐに犯人が逮捕されるような事はなさそうな雲行きだ。

戸締まりをしっかりする事、人通りの無い所には近づかない事、何か異変があったらすぐに通報する事など、お決まりの注意を与えられただけだった。

警官達が引き上げた後、マンションの管理会社に連絡すると、数日中に業者を手配するとの事だった。費用は保険から出るらしい。

なんやかんやで、全て片付いた頃にはとっくに夜も更けていた。

今さら仕事を再開する気にもならず、上司には作業は明日から再開する旨を連絡しておく。


まったく不愉快な出来事だった。

こういう時は美味しい食事を食べて寝てしまうに限る。

冷凍のマカロニグラタンを取りだして電子レンジに入れる。

マイクロ波がグラタンを温めている間に、机を拭いて食卓を整える。

4リットル入りの大型ボトルに入った安物の焼酎をグラスに注ぎ、温められたグラタンを置けば食事の準備は完了だ。

拡張現実(AR)アプリを起動すると、安物の冷凍マカロニグラタンはそこそこ値の張るレストランで出てきそうなエビとホタテの海鮮グラタンになった。

程良く表面が焦げたペシャメルソースの香りが食欲をそそる。

グラスの焼酎も一瞬で年代物の高級ワインに変身した。

グラタンをスプーンですくって口に運ぶ。

美味しい。

現実にはブヨブヨしたマカロニなのだろうが、私の主観においては新鮮なエビの剥き身のプリプリした食感なのだ。

ワインを口に運ぶ。

複雑な芳香が口内に広がる至福の瞬間。

現実には安焼酎であっても、私の主観にとっては極上の美酒なのだ。

まったく素晴らしい。

この不愉快な現実も、不都合なものはこうして拡張現実(AR)で全て覆い隠してしまえば良いのに。



続く

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