第十話甲 優しい嘘
本作品はマルチエンディングとなります。
6/12 17:30公開予定の『第十話乙 残酷な真実』と併せてお楽しみ下さい。
あれからひと月ほど経った。
楼池氏の行方は杳として知れない。
警察からも何も連絡は無いし、彼が指名手配されたという話も無い。
彼によって弄くられた電脳をどうにかしようと、電脳技師やサイバネ科の医者にも相談してみたのだが、結果は芳しくなかった。
administar権限の掌握と強制的な設定変更は広範囲に及んでおり、通常の手段で影響を排除することは極めて困難らしい。
やるならば電脳そのものを初期化するか、全く別の物に換装する必要があるらしい。
前者は私に適応すべく数十年かけて積み重ねた経験値を全て捨てる事になる。
初期状態の電脳を現状と同様の状態まで最適化するリハビリは数年掛かりになるだろう。
当然、今の仕事を続ける事はできず、私の社会人としてのキャリアもリセットされる事になる。
なかなかに受け入れ難い選択肢だ。
後者の場合はそれに加えて新たな電脳を購入する費用と、それを私の身体に埋め込む手術代が必要だ。
古い電脳の摘出手術も必要だし、その電脳を適切に処分するのにも相応の費用が掛かる。
合計すれば私の貯金の大半を費やす事になってしまうだろう。
その後に新しい電脳が馴染むまでの期間をほぼ無収入で耐えられるだけの蓄えは残らない。
結局、どちらの道も現実的な選択肢とはなり得ない。
自力でどうにかしようと足搔いて、色々と勉強してはいる。
しかし、楼池氏の施した処置を無効化するにはほど遠い。
ただ、無闇矢鱈と電脳アプリの制御に関する知識は深まった。
ひょっとすると楼池氏が私にしたように、他人の電脳に無理矢理アプリを捩じ込んで強制的に常駐させる位なら、今の私にも可能かもしれない。
隣の909号室には新たな住人が引っ越してきた。
子供連れの若夫婦だ。
時折子供の騒ぐ声が壁越しに聞こえることがあるが、小さな子供が居る割にはいたって静かなものだ。
特にお互い干渉する事も無く、平穏な近所づきあいが出来ている。
あの事件のあった直後は私もメンタル的に不安定になっていて、職場の上司や同僚達には迷惑をかけてしまった。
今となってはだいぶ落ち着きを取り戻し、以前と変わらぬように仕事をこなしている。
今年の梅雨明けは例年よりやや早かった。
まだ7月の初めだというのに、外はカンカン照りだ。
ニュースは連日猛暑の話題ばかり。
私自身は比較的暑さには強い体質だが、電脳とワークステーションはそうはいかない。
エアコンは一日中入れっぱなしだ。
電気代の請求が恐ろしいが、背に腹は代えられない。
何より、彼女達が意外と暑さに弱いのだ。
もともと高温多湿を好む傾向があるとはいえ、限度はあるようだ。
彼女達が快適に過ごせるよう、温度や湿度の管理は徹底するよう心掛けている。
作業が煮詰まってきて、集中力が切れてきた。
先程から雑念が湧くばかりで、ちっとも業務が進んでいない。
いちど中断して休憩を入れよう。
作業中のdocumentをlocal strageに保存し、電脳をinner modeからreal modeに切り替える。
私の意識はサイバースペースから現実に引き戻された。
目を開くと、キーボードの上にジェーンがいて驚いた。
ベビードールの裾からTバックが食い込んだ尻をのぞかせて、私の方へ向けて左右に振っている。
私を誘っているのか?
相変わらず好色なやつだ。
いや、待て。
今は運動の時間ではなかった筈だ。
慌てて飼育ケースを見る。
上蓋がしっかり閉まっておらず、隙間が空いていた。
これはいけない。
どうやら、昼食後に彼女達に構ってやった後、しっかり閉めていなかったようだ。
尻を振り続けているジェーンをやさしく摘まみ上げて、ケースの中に戻してやる。
他に抜け出した娘はいないか?
ケニーは定位置の餌置場の近くで横になっている。
寝ているように見えるが、時折半目を開けて周囲を伺っているので、たぬき寝入りのようだ。
カーチャは壁に張り付いて、艶めかしい動きでしきりに腰を振っている。
身にまとったスリングショット水着と相まって、まるでストリップダンサーのようだ。
リタは隅の方からじっと上目遣いで私を見上げてくる。
私に何かして欲しい事でもあるのだろうか。
自己主張が苦手で奥手な娘だから、私の方で気を配ってやらなければならない。
サリーとアンナは取っ組み合いの喧嘩をしているが、これは彼女らの平常運転なので問題なし。
喧嘩するほど仲が良いというやつだ。
二人とも、ただでさえ布面積の少ない衣装がすっかりはだけてしまって、見た目がエラい事になっている。
ジェシーはぐったりしている。
一昨日くらいからどうも元気がなくて心配だ。
どこか悪いのかもしれない。
マリアはジェシーにつきそっている。
見た目はちょっと派手だが、あれでいて意外と仲間想いの優しい娘なのだ。
ジェシーのお腹をさすってあげたり、水場から水を汲んできたりと甲斐甲斐しく世話をしている。
ユーリはケースの中を所狭しと走り回っている。
若いエネルギーを持て余しているようだ。
いつも元気いっぱいで羨ましい限りだ。
彼女達は皆、私の無聊を慰めてくれる天使達だ。
我が愛する妻であり、可愛い娘であり、蓮っ葉な娼婦であり、素敵な恋人であり、優しい母でもある。
最初の頃は戸惑ったものだ。
正直に言えば、飼育ケース内に殺虫剤を吹き込もうとした事さえある。
しかし、彼女達のつぶらな瞳に見つめられると、どうしても出来なかったのだ。
分かっている。
これが拡張現実マスクが描写する作り物に過ぎないという事は。
しかし、人間とは結局の所、自分の知覚と意識に感じられるものが全てなのだ。
この生活が他人に知られたら、私は異常者の烙印を押されるだろう。
そんな事は分かっている。
だったら君も"Project-G"をインストールしてみれば良い。
そうなればきっと、私の気持ちを分かってくれると思う。
ん?誰か足りないな。
もう一度、飼育ケースの中を改めて確認する。
先程戻してやったジェーンは喉が渇いていたのか、水場に向かっている。
居ないのは誰だ?
もう一度、全員を検める。
そうだ、あの娘の姿が見えない。
ユリアだ。
あの御転婆娘め。どこに行った?
部屋中を探し回る。
とりあえず、壁や床などの目立つ場所には見当たらない。
ライト片手に這いつくばり、家具の隙間なども覗いてみるが、彼女の姿は無い。
「ユリア~どこ行った~?」
声に出してみるが、返事は無い。
ひょっとして、別の部屋まで行ったのか?
ユリアの身軽さと身体の柔らかさは彼女達の中でも頭一つ飛び抜けている。
どんな僅かな隙間でも潜り込んでしまうのだ。
しかも好奇心旺盛な性格だ。
知らない場所でもどんどん入って行ってしまう。
結局、家中を探し回ったがどこを探してもユリアの姿は見つからない。
その時、ふと玄関のドアが視界に入った。
ドアポストの隙間から廊下の照明が漏れている。
まさか、あの隙間から外に出て行ったのか?
1mmあるかないかの隙間だぞ。
しかし、ユリアだったら有り得ない事もない。
慌てて玄関の扉を開いて廊下に飛びだした。
そこには私が見たくなかった光景があった。
引き締まった筋肉と程良く乗った脂肪が作り出す美しいボディラインを誇っていたユリアが、廊下の床に押しつけられて無惨に死んでいたのだ。
手脚はあらぬ方向に捻じ曲がり、破裂した腹部からは内臓がとび出している。
左の手首から先も欠損しているようだ。
いつも好奇心にキラキラと輝いていた瞳は濁り、今は空虚に天井の照明を見上げている。
あまりの事に呆然とする。
膝から力が抜けて、その場に頽れた。
ユリアの身体をそっと拾い上げて抱きしめる。
「う、うううう……」
涙腺は決壊し、滂沱のごとく涙が頬を伝い落ちた。
ユリアを失い、罅割れた私の心から悲しみが止め処なく溢れ出る。
堪えきれず、とうとう私は声を出して泣き出した。
どれほどそうしていたのだろうか。
唐突に背後から声をかけられた。
「おじさん、どうかしたの?」
変声期前の少年の甲高いボーイソプラノ。
振り向けば、909号室に越してきた一家の男の子だ。
最近電脳化手術を受けたばかりなのだろう。
首回りに包帯を巻いている。
ふと思いついて、ユリアの死体があった床を見る。
子供用スニーカーの小さな足跡があった。
少年に声をかけてみる。
「君、悪いんだけど靴の裏を見せてくれないかな」
「うん、良いけど」
少年の靴裏に刻まれたスリットの形状は、私の目の前の床にある足跡と完全に一致していた。
なによりもスリットの隙間に、千切れたユリアの左手首が挟まっていた事が、彼女にこのような無惨な仕打ちをした犯人が誰なのかを雄弁に語っていた。
このクソガキ、どうしてくれようか……
終わり




