第十話乙 残酷な真実
本作はマルチエンディングとなります。
第十話甲と第十話乙、どちらが相応しい結末であるか、判断するのは貴方次第です。
あるいは甲→乙の時系列で連続した話であるという解釈も有りだと思います。
あれから4ヶ月ほど経った。
例年より早い梅雨明け以来の連日の猛暑もようやく落ち着き、秋の気配が感じられる季節になってきた。
今に至るも楼池氏の行方は杳として知れない。
警察からも何も連絡は無いし、彼が指名手配されたという話も無い。
隣の909号室には新たな住人が引っ越してきた。
子供を連れた若夫婦だ。
時折子供の騒ぐ声が壁越しに聞こえることがあるが、小さな子供が居る割にはいたって静かなものだ。
特にお互い干渉する事も無く、平穏な近所づきあいが出来ている。
あの事件のあった直後は私もメンタル的に不安定になっていて、上司や同僚達には迷惑をかけてしまった。
今となっては落ち着きを取り戻し、以前と変わらぬように仕事をこなしている。
楼池氏によって弄くられた電脳をどうにかしようと、電脳技師やサイバネ科の医者にも相談してみたのだが、結果は芳しくなかった。
彼によるadministar権限の掌握と強制的な設定変更は広範囲に及んでおり、通常の手段で影響を排除することは極めて困難らしい。
やるならば電脳を初期化するか、全く別のものに換装する必要があるらしい。
前者は私に適応すべく数十年培った経験値を全て捨てる事になる。
初期状態の電脳を現状と同様の状態まで最適化するリハビリは数年掛かりになるだろう。
当然、今の仕事を続ける事はできず、私の社会人としてのキャリアもリセットされる事になる。
受け入れる事はかなり困難だ。
後者の場合はそれに加えて新たな電脳を購入する費用と、それを私の身体に埋め込む手術代が必要だ。
古い電脳の摘出手術も必要だし、その電脳を適切に処分するには相応の費用が掛かる。
合計すれば私の貯金の大半を費やす事になってしまうだろう。
その後に新しい電脳が馴染むまでの期間をほぼ無収入で耐えるだけの蓄えは残らない。
結局、どちらの道も現実的な選択肢とはなり得ない。
自力でどうにかしようと足搔いて、色々と勉強を続けた結果、最近になってようやく目処がついた。
私が業務で扱っている拡張現実アプリの開発とメンテナンスの途上で、偶然にもARエンジン"ALTERNATIVE REAL"の脆弱性を発見したのだ。
しかし、この脆弱性を突くためには"ALTERNATIVE REAL"の定期アップデートに乗せてマルウェアを配付する必要がある。
上手く行けば"ALTERNATIVE REAL"は機能不全を起こし、それに依存したアプリは全て作動不能となる。
当然ARマスクの処理の大部分を依存している"Project-G"も動作を停止する筈だ。
問題は、それが私個人の範囲に留まらず、全世界に影響を及ぼすという事だ。
"ALTERNATIVE REAL"はARエンジンにおけるシェアは8割以上と言われている程に普及している。
世界中のARユーザーは迷惑するだろうし、AR業界は前代未聞の大混乱に陥るだろう。
損害額は天文学的な数字になるはずだ。
もちろん、私の支払能力ではどうにもならないレベルの賠償になるだろう。
それを実際にやるかどうかの決定権が今、私の手の中に握られている。
しかし、その決心がつかずにこの十日ほどの間、自宅にも戻らずにこうして街を彷徨し続けている。
仕事の方は、少しばかり無理を言って溜まっていた有休を使わせてもらっている。
夜は簡易宿泊所で日雇い労働者達と雑魚寝したり、ネットカフェで過ごしたりしている。
硬いマットレスや他人の鼾に悩まされて満足に寝ることも出来ず、疲労が蓄積した身体が重い。
しかし、自宅に帰る気にはなれない。
もう十日も、彼女達に水も食料も与えていないのだ。
今頃、彼女達は餓死寸前だろう。
既に息絶えた子もいるかもしれない。
そんな光景を目にする事に私の精神は耐えられそうにない。
疲れた。宿を探すのも億劫だ。
薄汚れたスラムの路地裏に座り込む。
いっそこのままホームレスになるのも良いかもしれない。
それはそれで案外楽しいかもしれない。
人知れずどこかで野垂れ死にするのも私に相応しい最期だろう。
座り込んだまま動かない私の前に、扇情的な衣装に身を包んだ妖精が現れた。
おどおどした様子で、おっかなびっくり私の様子を伺う。
もう私にも分かっている。
これは"Project-G"が見せる幻影だ。
そこにいるのは可憐な少女でも、神秘的な妖精でもない。
ただのゴキブリだ。
たぶん、まだ若いメスだろう。
物陰から半分身を乗り出して私の方を見つめていた彼女が、突然空中に持ち上げられた。
あどけない顔が恐怖と苦痛に歪む。
背後からこっそり忍び寄っていた野良猫が、彼女に噛み付いたのだ。
彼女は悲鳴を上げるが、野良猫に慈悲は無い。
野良猫の鋭い牙が彼女の細腰に突き刺さり、絶大な咬合力でもって噛み千切った。
地面に落ちた上半身は、千切れた腰から内臓を溢れさせながらも必死に這って逃げようとするが、それを野良猫の前脚が押さえつける。
野良猫は捕食した彼女の下半身をクチャクチャと噛んで飲み込むと、残された上半身へと口を開いた。
もうこれ以上は見ていられない。
私は立ち上がると、路地裏から走り出した。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
どこをどう走ったのか良く憶えていない。
気が付けば、私は自宅のあるマンションの前に来ていた。
あのマンションの910号室では、今も彼女達が飢えと渇きに苦しんでいるのかもしれない。
しかし、もう沢山だ。
こんな事は充分だ。
先程と似たような光景は、衛生状態の良くない簡易宿泊所やネットカフェでも何度か目にしてきた。
もはや耐えられない。
私はバッグから小型のノートPCを取りだした。
外出時用のサブ機として使っていたものだ。
例のプログラムはこの中に入っている。
今送信すれば、20分程後に予定されている"ALTERNATIVE REAL"の定期アップデートに介入できるだろう。
ノートPCのポートにケーブルを挿し、もう一端を首の後ろにある電脳のインターフェイスに接続する。
電脳がPCとリンクした。
PCのストレージから例のプログラムを読み込んで実行する。
プログラムは即座に発動して"ALTERNATIVE REAL"のアップデートサーバーに侵入し、配付予定のアップデートファイルを汚染した。
とうとうやってしまった。
これで私も電脳犯罪者の仲間入りだ。
もう後戻りは出来ない。
どうせどこに逃げても捕まるだろう。
私は楼池氏ほど有能なハッカーではない。
警察の目を掻い潜って逃亡するだけの能力も意思も無い。
マンション前のちょっとしたスペースに設置されたベンチに座り込む。
ちょうど夕暮れ時だ。
学校帰りの学生や、買い物袋を下げた主婦達が行き交う。
定時を迎えて在宅勤務から開放された男達も、散歩や買い物にと出てくる。
中には本格的なランニングウェアを身に着けて走り出す元気な者もいる。
皆、幸福そうだ。
清潔な服を着て、小綺麗な家に住み、美味しい物を食べ、仕事や学業に励む。
私だって、ついこの間まではそっち側にいたんだ。
どこで道を間違えてしまったのだろうか。
ふと視線を感じて傍らに視線を落とす。
花壇の茂みの下に、妖精がいた。
はち切れんばかりに発達した肉体を、極小面積のマイクロビキニが申し訳程度に覆っている。
さながらアマゾネスの女戦士といった風格だ。
厳しい野生の中で生き抜いてきたツワモノなのだろう。
少し腹が出ているのは肥満ではなく、妊娠しているようだ。
丁度良い。
"ALTERNATIVE REAL"の汚染されたアップデートによって"Project-G"が無効化されるかどうか、彼女で確かめてみるとしよう。
時刻は午後5時を回った。
アップデートファイルが配付開始される時間だ。
自動アップデートを待たず、手動でアップデートを開始する。
ネットワークを通じて"ALTERNATIVE REAL"のアップデートサーバーからファイルがダウンロードされ、自動的にインストール処理が開始される。
インストールが完了した瞬間、効果は劇的だった。
"ALTERNATIVE REAL"が停止すると同時に、それまで現実を覆い隠していた拡張現実マスクが全て消失する。
影響は"Project-G"だけでは済まない。
"ALTERNATIVE REAL"に依存していた全てのARアプリが動作を停止する。
感覚信号が混乱し、あらゆる感覚にノイズや雑音が生じる。
平衡感覚すら失いかけて、あやうく倒れ込みそうになる身体をどうにか支えた。
私が認知していた世界を覆っていたベールが全て剥がれ落ちる衝撃に耐える。
数十秒か数分か、極限の酩酊状態のような状況を脱した私はそっと目を開いた。
花壇の茂みの下には、落ち葉に身を隠すようにゴキブリが居た。
妖精でも小人でもない。
単なる虫だ。
二本の触覚がしきりに動いている。
思惑通り"Project-G"を無効化することに成功した!
小躍りしたい気分で周囲を見回すが、そこで違和感を感じた。
目に入るものが全て、全体的に荒れてくすんでいるように見えるのだ。
築年数の割には綺麗だったはずのマンション外壁は浮き出た錆が雨に流されて無数の縦縞を描いている。
所々ではタイルが割れて露出したコンクリートがボロボロに崩れかかってすらいる。
花壇に花は無く、名も知れぬ雑草が力なく萎れかかっている。
道行く人達の服装は、まるで汚れの染みついたボロ布を乱雑に縫い合わせて作ったかのよう。
そんな襤褸に身を包んだ人々が、オーバードーズで死にかけてる麻薬中毒者みたいな血色悪い顔でフラフラと行き交っている。
いったい何だ、これは?
何がどうなっているのだ?
ひょっとして何か別の拡張現実が全てをみすぼらしく見えるように現実を改変しているのではないか。
そう考えた私は電脳をチェックしてみる。
task managerでは複数のerrorが発生していた。
"ALTERNATIVE REAL"の機能不全によって"Project-G"を含む複数のAR applicationが停止していた。
しかし、それら以外に作動しているapplicationは拡張現実には関係ないものばかりだ。
つまり、今私が見ている光景は拡張現実によってmaskされたものではないという事になる。
混乱が広がっていく。
"ALTERNATIVE REAL"のアップデートをインストールした者から混乱し、発狂していく。
それまでARマスクが覆い隠していた不都合な現実が、何の前触れも無く突然目の前に突きつけられたのだ。
「ああああああああ……」
元はセーラー服だったらしい襤褸きれを身に纏った老婆(にしか見えないが、年齢不詳だ)が頭を掻きむしりながら絶叫する。
割れた爪が頭皮を掻くたびに白髪が抜け、フケとシラミが周囲に飛び散る。
プアァァァァァン!
クラクションを鳴らしながら軽自動車が歩道に乗り上げ、歩道に蹲っていた何人かを轢いて、街路樹に激突して止まった。
漏れたガソリンに引火し、車と街路樹が火に包まれる。
運転席から火達磨になったドライバーが出てきたが、炎を上げながら何歩か歩いたところを後続車に跳ね飛ばされる。
弾け飛んだ燃えさかる人体が乳母車を押す女性を薙ぎ倒し、転倒した乳母車から溢れ出た赤子を錆だらけの自転車が踏み潰す。
どさっ
重いものが地面に落ちる音に振り向けば、男性が俯せに倒れている。
首や手足が妙な方向に捻じ曲がり、破裂した傷口から放射状に血が飛び散っている。
マンションから飛び降りたようだ。
死にきれなかったらしく、折れた手脚をモゾモゾと蠢かせている。
喧噪は周囲からも響いてくる。
当然、ここだけで発生している問題ではない。
"ALTERNATIVE REAL"は世界中で使用されていたのだ。
皆が不都合な真実に蓋をして、仮想現実によるオーバーレイで誤魔化していたものが一気に表出したのだ。
私はどうやら、とんでもない事をしでかしてしまったようだ。
これでは地獄の釜の蓋を開いてしまったに等しい。
先程の茂みを見る。
かつて女戦士だったゴキブリと目があった気がした。
しかし、すぐに彼女は我関せずと茂みの奥へと姿を消していった。
終わり
エロ無し、銃無し、刃物無し、人死に無しという制限で書き始めたのが本作です。
まあ人死にゼロとはいきませんでしたが、主要登場人物ではないということでご勘弁を。
そんな「牛丼。タマネギ抜き、肉抜き、汁なしで」みたいなオーダーがどうなる事かと思ったら、白米に紅生姜と七味唐辛子をしこたまブッかけたみたいな気持ち悪いシロモノに仕上がってくれました。
こんな気持ち悪い作品を最後まで読んでくれた読者様には感謝の気持ちでいっぱいです。
これに懲りず、このキ○ガイ野郎、他にどんな気持ち悪い作品を書いてるんだ?とか、これでエロあり銃あり刃物あり人死に無制限だったらどうなるんだ?と興味を持って頂けた方は『遺法童貞』シリーズや『聖戦士フェルダイン』等、他の作品も読んで貰えたら幸せです。
もしお友達にお勧めしてくれたり、感想やレビューを頂けたりしたら、作者は歓喜に悶えてウレション漏らしながら踊り出してしまいます。
ご愛読ありがとうございました!




