土砂降りのカレー
「う〜わぁ…土砂降りじゃん。」
補習が終わったミキが靴を履いて外に出ると、曇っていた空からは大粒の雨が落ちてきていた。
学校の前を通る車の音すら聞こえないほどの大雨だ。
「あれ、傘持ってないの?」
後ろから声を掛けたのは同じく補習を受けた東トウゴ。
そして、その手には大きな黒い傘。
「そうなの〜。親切な紳士が駅まで入れてくれないかな〜?」
「お嬢さん、よろしければわたくしめの傘などいかがでしょう?」
うやうやしく英国風のお辞儀をするトウゴ。
「あら、親切な紳士が現れたわ!そうね、ご一緒しようかしら。」
笑いながら顔を上げたトウゴにフフン、とお嬢様っぽくおどけてみせた。
隣のクラスだからあまり接点はなかったが、先週から始まった補習で言葉を交わすようになった二人。
以前からその存在は認識していたが、話してみると想像よりも親しみやすく、温かみのある軽口が心地良い。
バサっと大きな音を出して開いた傘に入ると、すぐ側に立つトウゴの肩に自分の肩が軽く触れ、思わず少し離れた。
チラ、と左上にある顔を見上げる。
なんか、目がいっちゃうんだよね。
隣のクラスの前を通る時、体育の時、通学路。
背が高いってワケでも無いのに、何故かすぐに見つけてしまうから名前まで覚えちゃった。
アズマトウゴ。
アズマは東西南北の東だよね。トウゴってどう書くんだろ。
バチバチと傘を叩く水滴に気を付けながら校門を出た。
雨で隔たれた傘の中にいると、世界に二人だけになったみたい。
あれ、何か話した方がいいのかな。
「あ。カレー。」
「へっ?!」
緊張していたのか、驚いて素っ頓狂な声が出た。
かれえ。カレー?
「カレーの匂いがする。この家、今日カレーかな?」
横を通る家から漂う夕食の香り。
「あ、ホントだ!あたしこの匂い嗅ぐとお腹空いちゃうんだよね〜。」
鼻孔をくすぐる芳しい香り。
鼻から吸い込むと、胃が刺激されるようだ。
「そういえば前に学食で話してるの聞いたんだけどさ。辛いカレーが好きなんだっけ?」
「学食?」
学食?って、ゴールデンウィーク明けでお母さんが寝坊した日に一回しか行った事ない。
「学食のカレーも激辛にしろ!って言ってて。俺も物足りないんだよね。激辛好きだからさ。」
「え〜よく覚えてるね。あたし自分でも忘れてたよ。」
「いや〜激辛好きな子って珍しいからさ〜あんな可愛いのにって」
ペシン
音に反応して顔を上げると、左斜め上にあるトウゴの顔の下半分が傘を持っていない方の手で覆われている。
立ち止まるトウゴ。
同じ傘に入っているので、必然的にミカの足も止まる。
言葉の意味を考えながらまじまじとトウゴの顔を見ていると、みるみるうちに顔が赤くなっていく。
人の肌って、こんなに色が変わるんだ。
「ごめん。口が滑った…いや、別に嘘とかじゃないんだけど…」
ミカの反対側を向いてモゴモゴと喋るトウゴ。
その真っ赤になった耳を見て、胸がキュウっと掴まれた。
わ、なんだこれ…
「あたしの事、可愛いって思ったんだ?」
頬が緩むってこういうことかぁ。
ニヤニヤって言うか、ニマニマ?
今あたし気持ち悪い顔してそうだな〜と考えながら、トウゴの顔を覗き込む。
「あ〜…ソウデスネ…カワイイトオモイマス…」
「ちょっと!なんでカタコトなのよ!」
元々笑顔だったのに、思わず弾けるように笑い出してしまった。
ミキの笑い声につられるように、トウゴも笑い出す。
ひとしきり笑ってまた歩き出すと、トウゴが意を決したように切り出した。
「あのさ…お願いがあるんだけど。」
何?
出そうとした声はトウゴの顔を見て引っ込んだ。
真剣な眼差し。
あ、これ、もしかして、告白される?
「名前、ミキって、俺も呼びたい。呼び捨てで。ダメかな?」
「へ?」
名前?そんなこと?
「え、全然いいよ。クラス全員呼び捨てか、さん付けだし…」
「え?!男も?!」
「あ、もしかして。ミキって名前だと思ってる?」
トウゴがまた立ち止まり、ミキの足も止まった。
不思議そうな顔に、答え合わせをしてあげよう。
「ミキは名字だよ。フルネームは三木トモカ。うちのクラスもう一人トモカちゃんがいるから、皆あたしの事は三木って呼ぶんだよね。」
驚いた瞳と、また顔の半分を隠す手。
癖なのかな?
そう思っていると、傘が落ちないように右手を上げたままトウゴがゆるゆるとしゃがみ込んだ。
「…マジかよ〜…。うわ〜…俺、ダセぇ…。」
「あはは。でもよく間違えられるよ?」
「いや、でも、好きな子の名前も知らないのはダサいっしょ…。」
「…っ!!」
好きな子って。
今、好きな子って、言ったよね?
気付いてないのか、トウゴは小さな声で「ミキトモカ、ミキトモカ…」と繰り返している。
「よし!覚えた!じゃあ、トモカって…呼んだら、他の子と被るのか。じゃあ、トモ?トモちゃん?とかって呼んでもいい?」
久しぶりに呼ばれる自分の名前。
トモカちゃんじゃなく、自分だけの呼び方。
しゃがみ込んで見上げる瞳は好意を隠す気もないし、ずっと上げてる右手は雨から守ってくれてるし、そのせいで背中濡れてるのに気にしてないし。
胸がギュウギュウと痛い。
あ〜ダメだ。これはもう、好きになっちゃうでしょ。
無理無理。お手上げ。
「ダメ。その呼び方は彼氏に呼ばれたいんだよね。」
「え…」
一気に絶望の色に変わる瞳。
ああ、ダメだ、可愛い。
「だから、彼氏になる?」
見開かれた瞳のトウゴがすぐ口を開いたが、その声は雨のカーテンに包まれた、二人にしか聞こえなかった。




