第28話 風魔・ヤシロ
黒光が消えた直後、風狼将軍の全身から黒い霧が湧き出してきた。
それはやがて濃度を増し、一瞬の静寂を置いた後、激しく噴出した。それと同時に突風が吹き荒れ、周囲の塵や瓦礫が吹き飛ばされ、建造物が大きく揺れる。
この風は数秒で止んだ。
その時にはすでに黒い霧は人の形に集まっていた。それから間を置かずに、再び黒い光が弾けた。
するとそこに、人の形をした何者かが一体、風狼将軍の一メートル上に姿を現した。その者は将也と同じほどの身長で、全身を深緑色のローブで覆い隠している。
「あいつは……?」
将也はその空中浮遊者を見て、目を細める。
彼の呟きに、ルシアがテレパシーで応えた。
(あれが魔王の側近、風魔ヤシロです。ステータスはレベル99、体力30、魔力100オーバー、力30、速さ30、防御30、戦闘センスC。魔力にモノを言わせるタイプですが、実戦経験はほとんど無いみたいです。正直な話、魔法にさえ気を付ければ一番楽な相手ですね)
(だったら、今すぐ倒そうぜ)
(待ってください。ここは相手の出方を見ましょう。ヤシロの情報が少ないですし、正解のルートを歩んでいるせいで未来が全く見えないんです。リーシャ、メディ、アイリスも、私がいいと言うまで動かないでください)
ルシアは聖者たちの脳内に魔法で直接命令を飛ばす。
彼女たちはそれに従い、その場から動かないように努めた。
五人が黙視するなかで、風魔ヤシロは風狼将軍の前に着地した。風魔はルシアたちを一瞥した後、彼女らに背を向けて白髪の戦士を見下げる。
「最強の武人がこのザマか。この役立たずが」
ヤシロは低い声で恨み言を放ち、ウィンのそばに転がった剣を拾い上げる。そして、風魔はためらうことなく、その剣を鎧の隙間から将軍の胴体に刺し込んだ。
鮮血が噴き上がり、風狼将軍の口から短いうめき声が漏れる。
「あいつッ!」
風魔の非道に対し、メディは思わず声を上げてしまう。
意識を失った相手に追い打ちをかけるのは許せなかったが、それでも彼女は動くことだけは堪えた。
ヤシロは風狼将軍に剣を刺したまま、城下を見渡す。
「生命エネルギーは……これではまだ少し足りないか……仕方ない。オレが直々に集めるとしよう!」
魔王側近はそう呟くや否や、右手を上に伸ばして魔力を放った。
その手から撃ち出された巨大な風弾が、結界の天井部分に当たる。その瞬間、強烈な風が巻き起こり、強固な防膜を易々と打ち破った。
キターノ兵が徒党を組んで攻撃し続けても砕けなかったバリアを、風魔はたった一撃で無力化してみせた。その光景に、五人の少女たちは戦慄せざるを得なかった。
風が止み、結界の天井に大きな穴が開く。
沈黙する大魔法使い一行を尻目に、ヤシロは飛び上がる。風魔はその穴から外へ脱出すると、瞬間的にその姿を消した。
その直後、ここからかなり離れた場所で風が吹き荒れた。
ここで、ルシアが動いた。
「風魔ヤシロは魔王復活のための生命力を集めようとしています! アイリス! ヤシロを追ってください! メディは風狼将軍の治療を! 治りしだい、私たちもヤシロを追います!」
現状を分析したルシアは叫ぶ。
彼女の指示に聖者たちは短く返事をし、それぞれの行動に移った。
アイリスは転移魔法を連発し、一人で風魔の後を追う。
メディは風狼将軍に駆け寄り、彼の体から剣を抜き捨てた。
「クソ! かなり傷が深い! 死ぬなよ白髪野郎!」
メディは治癒魔法を使いながら、ウィンに呼びかける。
返事は無いが、彼女の力によって傷は塞がっていく。だが、回復までには時間がかかりそうだ。
戦闘不能の状態で刺されたため、風狼将軍の命は尽きる寸前まで追い込まれていた。そんな風前の灯火を、治癒者でもある火の聖者が復活させようとする。
その間に、将也とリーシャは自発的に動いていた。治療中のメディを将也が、結界維持中のルシアをリーシャが護衛する。
ある時を境に、結界の外で風の爆発が起こらなくなった。どうやら、アイリスが風魔に追いついたようだ。地聖に張り付かれたことで、ヤシロに攻撃魔法を使う余裕がなくなったのだろう。
風狼将軍の救命中、メディの全身に滝のような汗が流れていた。
それでも治療開始から一分後には、彼女の表情に笑みが浮かび上がっていた。
「よし、いい感じだぜ。将軍! もう少しだ! 頑張れ!」
メディはウィンを激励し、魔力をさらに強める。
体の深部まで到達していた傷が、ここで完全に塞がった。そして、将軍の青白い顔が血色の良いものへと変化して、彼は安らかな寝息を立て始めた。
「よし! 治療完了! いつでも行けるぜ!」
メディは汗を散らしながら立ち上がり、将也たちに振り向く。
その威勢の良い声に、ルシアはガッツポーズをした。
「よくやりました! では、将軍を城の中に安置して、ヤシロを追いましょう!」
ルシアは即座に転移魔法を使い、将也、リーシャ、メディ、ウィンとともに城壁の内側へ移動した。
彼女たちは白い救護テントの前に現れる。周囲には人の姿は無かったが、テント内には治癒者の気配があった。
ルシアたち四人は風狼将軍をテントのそばに寝かせると、すぐにこの場から姿を消して風魔の撃破へと向かった。
その後、テント内の救護兵がウィンの存在に気付き、彼の治療に当たった。
メディが風狼将軍の命を吹き返そうとしていた頃。
単独行動を開始したアイリスは、風魔ヤシロを執拗に追っていた。
まず、彼女は最初の暴風が巻き起こった場所、首都の東部に向かった。少女が地に足を付けたときには、そこは嵐の後のように荒れていた。キターノ兵士たちが防御魔法を使ったのか、住民たちは無傷だった。だが、兵士たちは魔力が尽きたのか全員倒れ込んでいる。ここにはもう、民間人を守れる者は存在しない。
この間にも、首都の各地で次々と黒風が爆裂していた。現時点ですでに、首都のおよそ二割が風魔による被害を受けている。
アイリスはこの場で精神を研ぎ澄まし、風魔の位置を探った。
知るべきなのは、ヤシロが今居る場所ではない。奴が、次にどこへ向かうか、だ。その目標地点に風魔が転移するのと同時に、アイリスもそこへ移り、暴風を起こされる前に術者を叩く。
それを強く意識して、アイリスは目を閉じる。
そして、彼女は風魔の力の流れを感じ取った。敵の現在地点は首都の南西。次に向かうのは、首都南端。
アイリスは両目を見開き、大斧を構えた。
「やらせませんよ!」
小柄なシスターは気合を入れ、転移魔法を発動させた。彼女が目標地点へと向かう途中、首都南西部で邪悪な風が吹き乱れた。
その直後、首都南端の城壁前に、地聖と風魔が同時に姿を現した。
ヤシロはアイリスの出現に目を剥く。
アイリスは巨大な斧を大きく振り上げた状態で、風魔の真正面に居た。
その斧が振り下ろされる寸前、ヤシロは破壊のための魔力を転移魔法へと強引に転換し、咄嗟に消えた。
少女の斧が風魔の残像を斬り裂き、石畳みに激突する。轟音とともに道路の石が砕け散り、衝撃波が周囲を揺らした。
アイリスは斧を地面に押し付けたまま、ヤシロが逃げた先に顔を向ける。
「まあ、戦闘センスCではこの程度でしょうね。ショウヤなら、逃げずに撃ち込んできますよ」
姿の見えない敵を、彼女は鼻で笑う。
それからすぐにアイリスは転移魔法を使った。彼女は一発でヤシロに追いつき、敵の目の前に現れる。この時すでに、地聖は大斧を右わきに構えていた。
二人の目が合うのと同時に、アイリスは斧を水平に振る。
「またか!」
ヤシロはそう吐き捨て、再び転移魔法を使ってこの場から逃亡した。
アイリスの斧が空を切る。しかし、彼女は狼狽えることなく斧を振り切り、その直後に転移魔法を発動させた。
何百メートルも離れた場所にヤシロは移ったが、そこにもアイリスが追って現れる。彼女は左わきに振り切っていた斧を、再び水平に斬り返す。
この時点で、ヤシロは暴風を巻き起こす寸前だった。しかし、風魔は破壊も反撃もせずに転移魔法で姿を消した。
アイリスは斧を振り切り、すぐに転移魔法で敵を追いかけた。
それ以降も、風魔の逃亡と地聖の追跡は続いた。
アイリスは斧を構えはしたものの、振ることは無くなった。ヤシロは追跡者が現れるたびに、戦うことなく逃げた。
人間から生命力を奪うために、風魔は首都の至る所を転々とした。しかし、風魔法を使う寸前に、必ずアイリスが現れた。何度も何度も追われ、数えきれないほどに破壊行動を妨害され、ヤシロは苛立ちを募らせる。
「しつこい! この小娘が!」
「その小娘相手に逃げることしかできないのは、どなたでしょうね!」
追跡戦のなかで、アイリスはヤシロを煽る。
大陸南海での戦いで、地聖は水狼将軍クリスを相手に接近戦を仕掛けられて苦戦した。だが、今度は彼女がそうすることで風魔を追い詰めている。
瞬間移動による二人の鬼ごっこは続く。
そしてヤシロが首都の北端門前にワープした時、アイリスに続いてルシアたち四人が風魔の周囲に現れた。
敵の増援が到着しても、風魔は戸惑わない。ヤシロは躊躇なく転移魔法を使用する。
その姿が消える寸前、ルシアが指を鳴らした。
「バリア~」
心地の良い乾いた音とともに、彼女の気の抜けた声が放たれる。
その瞬間、周囲にバリアが張り巡らされた。その魔法防壁は立方体を形作り、大魔法使いたち五人と風魔を取り囲んだ。
ヤシロは転移した直後、結界の天井に衝突した。風魔はそのバリアに手足を付け、目を見開く。
大魔法使いの結界が、魔法による瞬間移動を遮っていたのだ。
「風魔ヤシロ~。これであなたは逃げられませんよ~」
ルシアは締まりのない顔で舌を出し、ヤシロを挑発する。
風魔は天井に張り付き、眼下のルシアを睨みつけた。
ヤシロは歯ぎしりをし、転移魔法を使って姿を消す。その直後、彼はルシアの背後に現れ、息をする間もなく彼女の背中に右手を突き出した。
風魔の右手には、強大な風の魔力が渦巻いている。
将也は風魔の打突を見て、瞬時に悟った。
(死ぬっ!)
自分があれをくらえば、たった一撃で戦闘不能になるだろう。それを戦闘センス皆無のルシアが受ければどうなるのか、想像するのは容易い。
風魔の右手が彼女の背中に迫る。
その瞬間、ルシアの背後に一枚のバリアが現れた。
風魔がそれを認識するより先に、彼の右手とその薄い魔法防壁が激突する。ヤシロの手に渦巻いていた魔力が解放され、周囲に風が吹き荒れた。
その風はあまりにも強烈で、四聖者は飛ばされないように地面を踏み締めることしかできなかった。
その中で、ルシアはただ一人涼しい顔をしていた。
ヤシロが驚愕で目を見開く。
「バカなっ!?」
「まあ、これでも、大陸最高の大魔法使いなので、これくらいは防げますよ」
ルシアは風魔に背中を向けたまま、得意げに口元を上げる。
ここで、将也が風魔法の相殺を試みた。
どれだけ力を入れても、打ち消すまでには至らない。将也よりも風魔のほうが、魔力は圧倒的に強いからだ。それでも効果はあった。邪悪な風は弱まり、四聖は体の自由を取り戻す。
魔力の干渉を察し、ヤシロは将也を睨みつける。
そのとき、メディが風魔に向けて突撃を始めた。
彼女は絶叫しながら剣を振り上げ、敵の真正面から突っ込んでいく。気でも狂ったのかと思えてしまう行動だが、この突撃剣の威力は絶大だ。防御力の低い風魔であれば、まともに受ければ一刀両断されてしまう。
ヤシロは迫りくるメディに意識を向けざるを得なくなった。また、魔力を押さえつけてくる将也の存在も無視できない。
絶対防御のルシア、追跡者のアイリス、突撃のメディ、魔力妨害の将也。四つの脅威が同時に押し寄せ、ヤシロの判断力が鈍る。
風魔が動きを止めたその陰で、リーシャが足音を殺して走り出していた。
彼女はヤシロから距離を取ったまま、その背後に回る。そして、右手に持った槍を、水聖は敵に向けて静かに投げつけた。
槍は空中をまっすぐに突き進み、音も無くヤシロの胴体を貫いた。
ヤシロが気付いた時には、腹から生えた槍の穂先が目の前のバリアに突き刺さっていた。知らず知らずのうちに致命的な攻撃を受け、彼は目を剥く。
そこに追い打ちをかけるように、アイリスが風魔の背後に現れる。彼女は槍の柄を両手で掴み、聖者の魔力をヤシロに流し込んだ。
風魔の体が、一瞬にして白い光に包まれる。
彼は自分の身に何が起こったのかも理解できないまま、激烈な苦痛に襲われた。
「ぐっ、ぐあああああああっ! あっ、あがあああああああっ! き、貴様らっ! 貴様らああああああああ! これでは! これ以上の活動が不可能にッ!」
「勝負、ありましたね」
苦悶の声を上げるヤシロに、ルシアは振り向く。
魔力頼りの相手など、自分たち五人が揃えば瞬殺できる。そう言わんばかりの不敵な笑みが、彼女の顔に浮かんでいた。
聖なる力に体を蹂躙されるなかで、風魔は状況を呑み込む。体の輪郭が崩れ始めていたが、それに反比例するかのように彼の頭は冴えていく。
そして、ヤシロは大魔法使いに邪悪な笑みを返した。
「だが、最低限の、生命エネルギーは、すでに集まっている……計画は、大きく狂った……しかし、大陸が、混乱して、いる今なら……」
ヤシロはそう言い残し、黒い霧となって消えていった。
その直後、首都に残っていた魔物も彼と同じように姿を消した。
キターノ国の首都ノッシュが静まり返る。さっきまでは地獄の戦場だったのに、それが嘘だったかのような変わりようだ。
曇り空の下、ルシアは指を鳴らして結界を消す。
それからすぐに、彼女は北の方角を見据えた。
「どうやら、風魔ヤシロは、魔王を不完全な状態で復活させようとしているようですね。確かにこの状況では、たとえ不完全であっても、魔王が復活すればこの大陸は危ういです」
そう言うルシアの表情には、油断や安堵といったものは一切無い。あるのは大きな危機感と、強い使命感。
そんな彼女の言葉を聞き、将也は勇んで足を大きく前に出す。
「だったら、その復活を止めに行こうぜ!」
「ええ、そうですね。このまま行きましょう。奴らの本拠地、魔族島へ。殴り込みです!」
ルシアは胸の前で両拳を合わせ、次なる戦いの始まりを宣言した。




