第23話 地魔・ブロス(1)
将也とアイリスは邪悪な魔力を感じ、すぐに身構える。
黒霧は船の上に集まり、巨大な塊を形作っていく。短くて太い脚に、分厚い胴体が乗り、そこから太い腕が長く伸び、巨大な頭が出来上がった後、黒茶色の光が放たれた。
その光が消えるのと同時に、大柄の獣人が姿を現す。
身長は五メートルを優に超え、全身が焦げ茶色の毛で覆われている。短い脚と、足に届くほどの長い腕、というアンバランスな体型。しかし、至るところが筋肉で盛り上がった体が、この魔物の強靭さを示していた。
獣魔が甲板に足を着け、船が揺れる。
その直後、水狼将軍の救援に向かっていた周囲の船が、速度を緩めた。兵士たちの目から赤い光が消え、自意識が戻って来る。
「あ、あれ? どこだ、ここ? なんで海に出て……?」
「お、おい! あれクリス将軍じゃねえか!? 」
「あんな化け物に捕まって……いったいどうなってんだよ!?」
水兵たちは旗艦を指差し、混乱する。
そこに居る獣人が、水軍大将を右手に掴んでいたのだ。彼の体は傷だらけで、意識も無い。まだ生きてはいるが、危険な状態であるのは間違いなかった。
そんな彼を、獣人の魔物は恨めしそうに睨みつけた。
「ザコ、が……水狼将軍、ヨワイ!」
獣魔は片言で呪詛を吐きながら、船外にクリスを放り投げる。
彼の体は放物線を描きながら飛んでいき、遠くの海面に落ちて水柱を上げた。その周囲の船からは正気を取り戻した部下たちが飛び込み、大将の救助へ向かっていく。
魔物はその様子を、しかめ面で眺めていた。
そこに、ルシアの目玉が等速直線運動をしながら将也たちのところに飛来した。
「出ましたね……地魔ブロス!」
眼球カメラはそう言って将也の隣で急停止し、ブロスを睨み付ける。
彼はその急な登場に驚いて跳ねた。
「うお!? ってルシアか……お前どこ行ってたんだよ」
「戦いが激しすぎたから遠くに避難してたんですーっ! そんなことよりブロスですよブロス! あれが魔王軍三魔将の一人、地魔ブロスです! ステータスはレベル99、体力100、魔力98、力100、速さ50、防御100、戦闘センスA。見た目通りのパワータイプですね!」
ルシアはどこか興奮した様子で言う。
その横で、アイリスが満面の笑みを浮かべていた。
「ようやく三魔将と戦えますね。あのようなノロマは、さっさと聖者の魔力を叩き込んで終わりにしましょう」
アイリスは転移魔法で大斧を呼び、両手に構える。
直後、彼女は地魔の背後へ瞬間移動した。地聖は空中で、敵の頭を見下ろしながら斧を振り上げている。
「はああああああああああああ!」
地魔が反応するよりも早く、アイリスは敵の右肩に大斧を叩きつけた。
奇襲は完全に成功した。巨大な刃がブロスの体表に激突し、その体が傾く。断撃の威力は強烈で、この大斧から衝撃波が生まれて海面が揺れた。
しかし、斧は皮膚で止まっていた。
アイリスは空中で目を見開く。
同時に、ブロスが顔を右に向け、横目でアイリスを睨み付けた。
「キサマ……」
「お、おほほほ。ごめんあそばせ~」
アイリスは優雅な笑みを作って奇襲を誤魔化し、自らの動揺を隠す。
その直後、地魔が右肘をアイリスに突き出した。
アイリスはすぐさま転移魔法を使った。彼女の姿は一瞬にして消え、ブロスの肘突は空振りする。
敵から逃げた地聖が、将也の横に現れる。
「さ、さすがは防御100といったところですね。わたくしの斧が通りませんでした……メディなら、火魔法の力攻めでどうにかなるのでしょうけど」
アイリスは声を震わせながら、大斧の柄を両手で握り締める。
自慢の断撃が通らなかったことで、彼女の顔からは笑みが消えていた。力なく開いたその目と口からは、狼狽の色が見て取れる。
初手での撃退ができるほど、魔将は甘くなかった。
地魔の顔がこちらを向く。その赤黒い目が、将也、アイリス、眼球カメラを睨み付ける。
「小娘ども……邪魔を、スルナ! グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
ブロスは雄叫びを上げ、帆柱を両手で掴む。
獣魔はそのまま、膂力だけで巨大なマストをへし折った。魔将はその長い腕で帆柱を構え、大きく振りかぶる。
「おいおいマジかよ」
将也はブロスの力に度肝を抜かれた。それでも、彼は回避行動ができるように重心を低くしていた。
再び、地魔が咆哮する。
「ウロアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
そして、ブロスは巨大な帆柱を力任せに振り回した。
とてつもない重量を持つ巨棒が、暴れ狂う。マストと船体が激突し、その莫大な衝撃で互いを破壊し合っていく。破壊の轟音とともに、木の破片や帆の切れ端が盛大に飛び散る。旗艦はもはや軍艦としての能力を失い、海に浮かぶだけの塊へと変わっていった。
地魔は甲板上の障害物を破壊し尽くした後、将也とアイリスに向けて帆柱を横薙ぎに繰り出した。
超重量物が豪速で迫って来る。
二人はその場で身を屈め、それを回避した。
だが、攻撃はこれで終わらない。
ブロスは水平振りの勢いに乗って体を一回転させた後、手に残っている帆柱を二人に向けて投げつけた。
アイリスと将也は分かれるように横に跳ぶ。
「うわわわわ!」
ルシアの目玉は遅れて上に移動し、飛来物を寸でのところで回避した。
投擲された巨柱は甲板を突き破り、船体に衝突する。その瞬間、爆発するかのような激音が湧き起り、柱と壁は跡形も無く弾け飛んだ。
木片が周囲に降り注ぐなか、アイリスはその光景を見て引き攣った笑みを浮かべる。
「うわぁ、とんでもない馬鹿力ですね」
「テメェがそれを言うな」
将也は彼女の手にある大斧を見ながら、呆れた顔をする。
それから、彼はすぐに表情を引き締め、地魔の撃破方法を考えた。
「とにかく、アイツの体力を削らねえとな。速さはこっちのほうが上だから、動き回って魔法を撃ち込めば防御も弱まって……」
「攻撃! 目標! 巨大な魔物! 放てぇ!」
だが、将也の言葉は何者かの声で遮られた。
そして周囲から爆音が鳴り響いた。これは、火薬の音だ。
間もなくして、旗艦に砲弾が飛び込んできた。金属の巨球が地魔付近の甲板を突き破り、船体を揺さぶる。外れた弾球が海面に飛び込み、大きな水しぶきが上がる。それに加えて、四属性の魔法も飛んで来た。
砲丸が飛び交い、火水土風の魔法が船上に吹き荒れる。
将也は咄嗟に風のバリアを張り、自分とアイリスを守った。
「おいおいおいおいおい! これどうなってんだよ!」
「水狼将軍の部下たちが攻撃を仕掛けているようです! わたくしたちが居るにもかかわらず!」
アイリスの叫びを聞き、将也は周囲を見渡す。
彼女の言う通り、周囲の軍艦十数隻が地魔に向けて攻撃を放っていた。魔族に支配されていた時に水狼将軍の援軍へ向かっていた部隊が、今度は魔将の討伐に乗り出している。
加勢は有難い。現に、地魔は集中砲火を浴びて身動きが取れなくなっている。
だが、将也たちはその巻き添えを受けていた。
「俺たちがここに居るってわかってねえだろこれ!」
「ええ! でも、ブロスの体力を削ってくれていることには変わりありません。しばらくは彼らに任せて、わたくしたちは魔力の回復を……」
アイリスの提案は最適解とも言えるものだった。
だが、状況は思い通りには動かない。彼女が意見を言い終える前に、地魔が突如として雄叫びを上げた。
「ウゴオオオオオオオオオオオオオオ! 邪魔、ダ! 全員、コロス!!」
ブロスは天を仰ぎ、両拳で自らの胸を繰り返し叩く。
その途端、巨獣の魔力が爆発的に増大した。その体が茶色く光り出したかと思うと、周囲が一気に暗くなる。
(影!?)
将也は空を見上げる。
そこには、無数の黒い巨岩が浮かび上がっていた。この暗がりは、この岩群が日光を遮ることで出来たものだった。
「シネ!」
ブロスは怒号とともに、両拳を甲板に叩きつけた。
旗艦が大きく揺れるのと同時に、上空の岩がキターノ軍水上部隊に向けて急降下を始める。
岩が雨のように降り注ぎ、海から大きな水柱が次々と上がっていく。岩を受けた軍艦は被弾部分が弾け飛び、たった一撃で航行不能に陥った。




