白黒灰色:〔怒りと、嫉妬と、哀しみと〕
「ほらほら、ミコトさん」
「わかったわかった……そう引っ張るなって」
妙に機嫌の良い藍に手を引かれ、博麗神社の鳥居を潜る。
決して狭くはない博麗神社の境内は、しかしところ狭しと出店が並んでいた。
「賑やかだな」
「お祭りごとが大好きな妖怪は大勢いますから。さ、行きましょう」
くい、と袖を引かれ、僕はゆっくりと歩き出す。
わいわいがやがや、文字にすれば本当にそんな感じ。出店が出ていない空間には、地面に茣蓙を引いて酒盛りをする妖怪の姿も見える。
お祭りと言うものは、それだけで気分が盛り上がるもの。当然僕も例外ではなく、年甲斐もなくワクワクしてくる。何がとは言えないが、とにかく何だか楽しくなってくるのだ。
とは言っても、あまりはしゃいでも恥ずかしいものがある。はやる気持ちを抑えながら、ゆっくり歩いて回ることにする。
「あれ……藍?」
と、そこで藍の姿が見えないことに気がついた。確かにさっきまで隣にいたのに、と辺りを見渡して、
「ばぁっ」
「!?」
――のっぺらとした狐の顔が、目の前に現れた。
それが、狐の面を被った藍だと気付いた僕は、思わず苦笑してしまう。
そんな僕を見た藍は、クスクスと笑いながら僕の頭に何かを被せた。猫のお面だ。
「これが本当の猫かぶり……なぁんて」
「なんだそれ」
言いながら、またクスクスと笑う藍。今日の藍は何だかよく笑う。何か、良いことでもあったのだろうか。
そんなことを考えながら、面をずらしてもう一度歩き出す。
空を見上げれば、地面の賑やかさとは対照的に、静かな夜の空が広がっている。多少雲がかかっているものの、幾多の星はその存在を見事なまでに主張している。
「ミコトさん、上ばかり見ていると転びますよ」
「ん……あぁ、だいじょう」
大丈夫。そう言おうとした時に、胸の辺りにドンと響いた衝撃。どうやら、何かにぶつかってしまったみたいだ。
ぱっと視線を落とし、目の前で尻餅をついている少女に手を伸ばす――
「…………あ」
「痛て……もう、気を付けろよな」
伸ばしかけた手が止まる。
目の前にいる白黒の彼女もまた、ぶつくさ言いながら僕の手を取ろうとして――その手が、中途半端な位置で止まっていた。
「えっ……と」
「…………」
神様よ。少しばかり、タイミングが悪くないだろうか。
流石の僕も、こんな状況で気さくに放てる言葉なんか持っていない。精々、今みたいに詰まった声を出すくらいのものだ。
しかし、当然ながら気不味いのは僕だけでは無いらしい。
未だ尻餅を付いたままの彼女――魔理沙もまた、僕を見ては目を逸らす行動を繰返している。
伸ばしかけた手は胸元に引き戻され、反対の手で帽子を目深にかぶり直していた。
――参った。気まずいじゃあないか。
「魔理沙? 何やってるんだ」
と、そこで聞こえてきた男の声。いつか聞いた事があるこの声は、確か。
「わ、悪い。今行くぜ」
僕が声の正体に気が付く前に、魔理沙は慌てたように立ち上がって、声のがした方に駆け出した。
つられて視線を上げると、魔理沙の背の向こうにいる人物の姿が目に入り、あぁそうか、と僕は小さく頷いた。声の主は、僕もよく知る古道具屋の店主だったからだ。
基本無口な彼――森近霖之助の声。印象には残っていたが、何分聞く機会が少ないものだから、すぐには気付くことが出来なかった。
「ほら、行くよ」
霖之助はそう言いながら、魔理沙の手を掴んで僕のいる方とは反対方向に歩き出す。
手を握られた魔理沙は、慌てた様子でその手を振りほどこうとしている。チラチラと、視線がこちらに逃げてきているような気もした。
「バッ、何すんだよっ」
「何って……迷子になったら困るじゃないか」
「誰がだ! いいから離せっ」
「何を恥ずかしがっているんだ。昔は繋げ繋げ、いいから繋ぐんだぜって煩いくらいだったのに」
「いつの話だよ!」
ぎゃあぎゃあ言って腕を振り回す魔理沙だが、霖之助の力には敵わないのか全くその手は外れない。
ふと、自分の口元が歪んでいるのがわかった。ピクピクと、頬が引き攣っている。
なんか、不愉快だ。
僕がそう思った時、魔理沙は抵抗を諦めたのか腕を振り回すことを止めていた。霖之助の顔が笑顔に変わり、対する魔理沙は恥ずかしそうに帽子を下げる。
そんな仲睦まじそうな二人の姿を見て、得も言えない感情が沸き上がる。
嘘だ。この感情がどんなもので、俗に何と呼ばれているかぐらい知っている。
――霖之助と魔理沙が、手を繋いでいる。
ただ、それだけの話。
きっと、前までの僕ならそう考えていた。
――霖之助と魔理沙が、隣り合い、笑い合う。
何も悪いことじゃない。むしろ、良いことだ。
……でも、なんだろう。
――霖之助と魔理沙が並んで歩いていく。
ただそれだけだ。それだけのはず。二人は何も悪いことをしていない。
でも、なぜだか耳が落ち着かない。尻尾もなぜか、逆立ったまま降りてこない。
――霖之助と魔理沙の肩が触れ合った。
そんなこともあるだろう。何も、不思議なことじゃあない。
じゃあなんで、僕は拳を握っているんだろう。
――霖之助が、魔理沙の顔を覗き込む。魔理沙は慌てて身を引いていた。
「………………ふぅ」
落ち着こう。わかった。まずは認めようじゃあないか。
意味も無く胸に手を当て、深呼吸。頭に昇りかけていた血の気が引いていき、心無し乱れていた心音も多少は落ち着きをみせる。
全く、なんとまあ不思議なことか。さっきまでは確かに、自己嫌悪が僕の心を占めていたはずなのに。
「魔理沙。あの人形……」
「……あぁ。昔、家にあったやつだ」
今はそんなものそっちのけ。ひとつ……いいや、ふたつの感情が、僕の心を染めている。色にするなら、赤と、黒といったところ。
「……昔の話はやめようぜ。気分が悪くなる」
「そうかい?」
「あぁ。でも、霖之助の気持ちは有難いと思ってる。それは本当だぜ? だからこの手を離せ」
「後悔しないように……これだけ、僕は言っておく。あと手は離さないよ」
「なんでだよ」
視界が細くなっていた。いつからか眉間に皺が寄っていたらしい。指で眉間を揉みながら、身体を回して二人から視線を外す。
うっかりすれば吹き出しそうな妖気を抑え込んで、僕は藍の横に並んだ。
「行きましょうか?」
「うん。行こう」
明らかに様子のおかしいであろう僕に、藍は笑顔で手を鳴らした。びくりと震え、眉間を押さえていた僕の手が引き寄せられる。
藍に奪われた僕の手。指と指の隙間に、彼女の指が入り込んできた。
「さ、行きましょうか」
再度言われ、今度は素直に頷いて歩き出す。
振り返ったりはしない。今振り返ったら、僕はきっと素晴らしく愚かな行動を起こすだろう。それだけは、ちょっと勘弁というものだ。
とりあえず、心音と妖気……ついでに、制御不能なこの感情が落ち着くように、今は祭の気分に堕ちるとしよう。
「……魔理沙?」
「…………」
「魔理沙っ」
「あっ、え?」
ぼおっと、ミコトが歩いていった方向を眺めていた魔理沙は、霖之助の声に身体をびくりと震わせた。
その拍子に繋がれていた手が離れ、魔理沙はその手に視線を落とす。そしてもう一度、先程まで見ていた方に目を向けた。
「馬鹿野郎……ムカついてんなら、言ってこいよ……。わかんないとでも思ってんのかよぉ……」
「……魔理沙」
「私は、私は……」
ぽん、と霖之助が魔理沙の肩を叩く。
それから歩き始めた霖之助の後ろを、魔理沙はとぼとぼとついていくのだった。




