第29話 英雄の氷像
――神歴783年・夏季 第37日
翌日、俺はエレナを連れ立って、ヴェイルハートの街を散策する事にした。
回帰前の俺は、街を我が物顔で練り歩き、傍若無人な振る舞いをしていたから、当然街の人々は俺に対して良い感情は持っていないだろう。
正直、今の俺としては申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいなのだが……。
「改めて次期当主として街の人々に認められるためにも、カインが生まれ変わった所を見せてやりましょう」
エレナの言う通り、俺が新たな当主として平穏な生活を送るためには、この地に住み暮らす人々の支持は絶対だ。
ならば、無理をしてでも行かねばなるまい。
(傲慢不羈の街角散策か〜? さてさて何が起こる事やら、楽しみだねぇ)
うるさいカラスだ。
◆
ヴェイルハート本邸から馬車で出発。
5分ほど馬車に揺られ、まずは商業地区へとやって来た。
商業地区は、流石に交易の街と呼ばれるだけあって、王都にも劣らず栄えている。
……はぁ、憂鬱だ。
王国でも随一の商業都市であり、俺が幼少期を過ごした地、ヴェイルハート。
だが同時に、俺が最も嫌われている場所でもあった。
放蕩息子。貴族の恥。宰相の息子にして、街一番の問題児。
かつての俺は、それらの言葉を何一つ否定できないほどに傍若無人な振る舞いだった。
強くあるために、退屈を嫌い、誰かの反応を見ては蔑み、問題を起こしては家の威光で揉み消した。
回帰した今となっては、その全てが若さゆえの逃避だったと分かっている。
けれど、人々の記憶は変わらない。
それでも、少しは変われた自分を見せたい……いや、見せなければならないんだ。
ヴェイルハートの街は、夏の日差しに包まれながらも、活発な喧騒に満ちていた。
行商人が声を張り上げ、子供たちが走り回り、路地裏では香辛料の匂いが漂う。
だが俺は、その活気を目にして、懐かしさよりも居心地の悪さを覚えた。
「……随分と視線が痛いな」
「仕方ありません。貴方はここで、伝説的に嫌われていたのですから」
街の人々から俺へ向けられる視線は、決して好意的なものではなかった。
「……自覚はある」
「いいのですよ。これからはそれを、少しずつでも変えていけば。その為に、ここに来たんでしょう?」
エレナの声には、氷とは違う温度が宿っていた。
彼女は冷徹な理性を持つ一方で、誰よりも人の感情に敏感だったのだと知った。
だからこそ、俺の過去を受け入れた上で、寄り添おうとしてくれている。
「……スマンな、エレナ」
「謝らないで下さいな。それに、安心するのはまだ早いですよ? 街の人たち、そう簡単に許してくれるとは思えませんし」
案の定、通りを歩けば人々はさりげなく俺達から距離を取った。
商人は露骨に眉をひそめ、宿屋の娘はそっと扉を閉める。
どするりゃいいんだよ……。
「カイン、笑って」
「は? 笑うって……」
「いいから。笑顔は人を安心させるものです。例え強面の貴方でも、顰めっ面よりも笑ってた方が印象は違いますから」
強面って……。そんなに強面かと疑問に思いつつも、それでも俺は笑ってみせた。
「こ、こうか?」
「ええ、とっても素敵です!」
作り笑いなんて慣れてないからな……でも仕方ない。全ては過去の自分が撒いた種なのだから。
(相変わらず怖い笑顔だけど、怖い無表情よりはマシなもんだな)
住民達の視線に耐えながら、俺達は街中央部の噴水広場にやって来た。
すると、そこで待っていたのは……。
「おお、これはカイン殿ではありませんか?」
白々しく、薄ら笑いを浮かべた男が俺に話しかけてきた。
「……誰だっけ?」
「なっ!? この【ハリル・ザッケローニ】に向かって、誰だっけだと!? 相変わらずムカつくガキだ!」
いや、知らないもんは知らんだろうよ。というより、一応侯爵家の跡取りである俺に対して、随分な口の聞き方だな。
すると、エレナが俺の耳元で囁く。
「彼はハリル・ザッケローニですよ。確かカインより3歳上で、ザッケローニ子爵家の嫡男。そしてザッケローニ子爵家は、貿易都市・ヴェイルハートでも流通の分野で最も大きな力を持つ有力者です。父親のオシム・ザッケローニは、昨日のパーティーにも出席してましたよ」
ハリル……ハリル……ああ、あの弱いくせに威張っていた小僧か?
「おお、ハリル。久しぶりだな」
「なにが久しぶりだ! 今の今まで忘れてたではないか! 性格も悪けりゃ記憶力も悪いのか!?」
いや、そりゃ忘れてたからなぁ。にしても、いくら俺が周りに認められるために優しく穏やかに努めようとしてるからといって、同じ貴族として、ハリルの口調は目に余るな。
「随分な事を言ってくれるじゃないか。一応、俺はヴェイルハート家の人間だぞ?」
「はん、嫡男でありながら次期当主の座から外される様な男に、このヴェイルハートの発展に最も貢献しているザッケローニ家の次期当主であるこのハリル様が気を使う必要など無いわ」
いや、そこは次期当主とか関係ないと思うのだが。それに、まだ外された訳でもない。
「周りを見てみろ! この街に住む人々は全員、おまえみたいな傲慢不羈に当主になどなってほしくないんだよ!」
周りを見ると、確かに俺を見る人々の視線が突き刺さった。
「おまえの弟は、おまえを反面教師にしてるんだろうな。優しく穏やかで、この街の人々にも好かれている。誰もが、おまえよりも弟のアインに当主の座を継いでほしいと思ってるんだ!」
ハリルの言葉に誰かが拍手を送ると、次第にその波は大きく広がり、その場にいる全員が俺に向かって敵意を、ハリルに対して賛辞を送っていた。
……分かっていた事だ。それだけ、かつての俺はどうしようもないクズだったと。
しかも、かつての俺がこんな状況になれば、家の権力を利用して全員黙らせていたんだろう。
これは、俺に課せられた試練だ。望むものを手に入れるためには、大きな障害が伴うものだと、よ〜く理解している。こんな程度で心が折れるほど、俺は若くはない。
「ハーッハッハッ、どうだ? これが民意だ! おまえの事など誰も次期当主として認めてないんだよ!」
勝ち誇った様に俺に向かって指を刺すハリル。その指、折ってやろうかと思わないでもないが、ここは我慢だ。
まさに四面楚歌。だが……その空気を変えたのはエレナだった。
エレナは街の中央広場に立ち、氷の魔法で巨大な彫像を造り出した。
住民達から、思わず驚きの声が漏れる。
それは、美しくも逞しい美丈夫の青年の氷像だった。
その脚元には、かつてこの街を守った伝説の英雄……ヴェイルハートを一代で侯爵家に押し上げ、この地が王国最大の交易都市となる礎を築いた200年前のヴェイルハート家当主、【カール・ヴェイルハート】の名前が刻まれていた。
「この街には、誇るべき歴史があります。けれど、過去を守るだけでは、未来は生まれません」
エレナは澄んだ声で語りかけた。
氷像のカール・ヴェイルハートは、俺と瓜二つだった。
そういえば、幼い頃から俺はこの偉大なる先祖・カールの、残された絵画と見比べられ、カールの生まれ変わりだと言われていたな……。
当然エレナも、先祖のカールと俺が瓜二つな事を知っているだろう。家の庭園にも石像が立っているし。
『エレナ視点』
ハリル……コロス。
でも、今はそんな場合じゃない。
今こそ、私が出来る最大の見せ場だ。
「カインは、過去に多くの過ちを犯しました。けれど、それを悔い、やり直そうとしています。私はそれを、近くで見てきました」
群衆のざわめきが静まる。
そして、氷の光が反射してカインの顔を照らした。
……ああ、いつ見ても素敵。……とにかく、その表情は、もう昔の放蕩者のそれではなかった。
過去を悔い、次期当主に相応しい人になると決意した、凛々しき男の表情だ。
……ああ、やっぱり素敵!
「……まるで、別人みたいだな」
「嘘だろ、あのカイン様が……」
「本当に、変わったのか?」
人々の間に、わずかながらも空気の変化が生まれた。
完全な許しではない。だが、確実に、偏見の氷が少しずつ溶ける音がしたのだ。




