第27話 義母との確執
――神歴770年・冬季 第136日
……13年前の、冬。
「うう……お母さん……ぐすっ」
実の母が亡くなったのは、俺が4歳の頃だった。
もう母には会えないと思うと、悲しくて、寂しくて、いつも独りで泣いていた。
「御坊ちゃま、強く生きるのです。セーラ様は、ちょっとだけ遠い所に行ってしまいましたが、いつも御坊ちゃまを見守ってますよ」
そんな時、いつも俺を慰めてくれたのがバルザックだった。
強く生きろ……。そのバルザックの言葉が、【セーラ・ヴェイルハート】……母さんの最後の言葉でもあったからだ。
母は、俺が物心ついた頃には、既に病で寝たきりの生活を送っていた。
幼い頃から後継者としての教育を受けて来たのも、病床の母がそれを喜んでくれると信じていたからだった。
父は仕事で王都にいる事が多く、俺の教育は各分野の家庭教師が担っていたが、まだ幼い俺にとっては辛いものだった。
そんな俺にとって、母だけはいつでも俺に優しく、肯定してくれる存在だった。
そんな母の容態が急変し、泣きじゃくる俺に残した言葉が……。
「いい、カイン。……強くなりなさい。貴方が護りたいと思える全てのものを護れるくらい、強く……」
それが、母の最期の言葉となった……。
俺は直ぐに立ち直る事が出来ず、部屋に引きこもり気味になっていた。
そんな中、父が再婚し、やって来たのが義母のマミヤだった。
マミヤは伯爵家の令嬢で、元々父とは幼い頃から許嫁として育ったのだが、父が母に惚れ、婚姻関係が破談となった経緯があった。
だが、母が亡くなった事で、改めてヴェイルハート家に嫁いで来たのだ。
当時は一方的に破談したにもかかわらず後妻として家に迎える際、ヴェイルハート家がマミヤの実家に多額の金を送ったのは言うまでもない。
母が亡くなって1年も経たない内にやって来たマミヤと、それを受け入れた父に対して、俺が恨みを持つには充分だった。
その上、マミヤはなにかと言うと母・セーラを引き合いに出して俺を叱ったのだ。
思えば、俺が傲慢不羈と呼ばれる程、素行不良になったのはこの頃からだった。
……強く生きろ……。
今思えば、母の最期に遺した言葉を、かつての俺は歪曲して受け取っていたんだと、今なら理解出来る。
強く生きろとは、決して弱みを見せないために、人を見下し、誰にでも強気で不遜に生きる事だと、未熟な俺は捉えていたのだ。
でも、そうではなかった。常に困難に負けず、自分の信じる道を生きろという意味だったのだと、今の俺なら理解出来た。
◆
……離れの別邸に着いた俺は、母の言葉の意味を心の中で繰り返した事で、落ち着きを取り戻していた。
「……はぁ、またやってしまった」
リビングのソファーに座り、頭を抱える。
「ホッホッホ、まあ、御坊ちゃまらしいといえばらしいですがのぅ」
バルザックは笑みを浮かべながら、俺の隣に立っていた。
いつもそうだ。昔から、俺が心の中で傷ついていたり落ち込んでいたりすると、いつも傍で微笑んでくれていた。それが、どんなに心強かったか……。
ある意味、バルザックはこの家で唯一の理解者だったのかもしれない。だからこそ、今も頭が上がらないのだろう。
すると、エレナが俺の対面のソファーに座り、優しい口調で俺を諭す。
「そうですね、お気持ちは分かりますが、義理とはいえ母親、しかも当主を代行する人に対してあの様な口を叩くのは、次期当主としてはいただけませんよ」
彼女は当然、俺の家庭の事情は理解している。 元々、エレナとの婚姻関係を結ばせたのがマミヤなのだから。
思えば、俺がエレナに一定の距離を置いていたのは、それも原因だったのかもしれない。
「分かってる、あとで謝るよ。……形だけはな」
「ええ、それでもよろしいかと」
そう言って微笑むエレナ。いや、形だけじゃ駄目だと説教されるかもと思ったのに、それでいいのか?
「不思議そうな顔してますね。私は何があってもカインの味方ですから。まあ、出来ればマミヤ様と仲良くしてくれるのが望ましいですが……」
義母と仲良く……か。こればっかりは難しいと言わざるを得ないが、今の俺なら表面上の付き合い程度ならやれると思ってる。
「カインがマミヤ様を嫌いになる理由は理解しています。でも、マミヤ様にとって亡くなったセーラ様は、愛する人を奪っていた怨敵にも関わらず、憎しみの感情を表に出している所を見た事がありません。私なら、例えばカインを他の誰かに奪われたら……生涯をかけて相手の女に復讐したいと思うかもしれないのに」
そう言って氷の笑みを浮かべるエレナに、一瞬俺の背中がヒヤッとした。
義母を庇う様な事を言ったエレナに少し不満を抱いたが、一応30年以上生きて来た俺はそれで激昂するほど馬鹿じゃない。
「愛する人? あの女は公爵家の地位と名誉と財産を狙ってただけだろう?」
「……もしかして、私の事もそう思ってますか?」
寂しそうな表情を浮かべて問いかけて来たエレナ。
エレナと義母の関係性から、回帰前の俺ならそう思っていたのかもしれない。でも今は、本心を知っているだけに居た堪れなくなる。
「……オホン、一応エレナの気持ちは知っている。だが、あの女は違うと言っただけだ」
エレナの表情がパッと明るくなる。
「わ、私の気持ちを知ってくれてるのですか? ……う、嬉しい」
そして、満面の笑みを浮かべていた。もう義母の事などどうでも良くなったみたいだな。
そのタイミングで、バルザックがニヤニヤしながら俺達に紅茶を淹れてくれた。
「……バルザック、なぜそんなに微笑んでるんだ? 俺に対する侮辱だぞ、それは」
「いえいえ、御坊ちゃまにも青春が訪れてると思うと、教育係として涙が……」
そう言って嘘泣きをするバルザックに舌打ちする。
「エレナも、勘違いするなよ? 別に俺はおまえを特別扱いしてる訳じゃないんだからな? ……ただ、他の誰にもそうはしないだけだ」
クソッ、ちょっと突き放そうとした瞬間にまた悲しそうな顔をするから、つい取り繕ってしまった。
「うふふ、ハイ。特別扱いなどされなくとも、少しでも気に掛けてくれているのならそれで満足です」
なんなんだよ、この健気さは。本当に回帰前、俺を散々追い込んだ氷の女王と同一人物なのか?
◆
……その後、エレナから再度義母に対する態度を改める様忠告され、一休みした後に本邸での晩餐会に向かう事になった。
一応次期当主である俺の帰郷に合わせて、親交のある貴族や街の重鎮などが来るらしい。
正直面倒だが、俺が変わったのをアピールするには絶好の機会ともいえる。
本邸のパーティーホールには、既に100人を超す人達が集まり、主役である俺を出迎えてくれた。
あまり笑みを浮かべると逆効果かもしれないと悟ったので、無表情で主賓席に歩いて向かう最中、一歩後ろを歩くエレナは、俺の分まですれ違う人達に微笑みながら挨拶をしていた。
俺が主賓席に立つと、招かれた来賓が俺に注目する。
「本日は私のために多くの皆様方にお集まり頂き、次期当主として感謝申し上げる。アカデミーの成績も今の所は常に首席を維持出来ていますが、それもこの場に集まってくれた皆様方のサポートのおかげであり、アカデミーで得た学びや経験は必ずやヴェイルハート領の更なる発展に活かす事を約束しよう」
俺から出た真っ当な言葉に、集まった来客は驚いたのかヒソヒソと隣の人と呟きあっている。
まあ、かつての俺ならこの場にいる人達全員を見下す様な態度を取っていたからな。
今となっては、舐められない様に虚勢を張っていただけだったのだと認められるのだが。
……挨拶も終わり、歓談が始まる。
俺の隣には常にエレナがいる。この場にいる人達はみんなエレナが俺の婚約者だと知っているのだが、考えてみればふたり揃って社交の場に参加するのは初めてだ。
来客達も、俺には恐る恐る挨拶をし、エレナとは和やかに会話をしている。……なんだこの差は?
(そりゃ、無表情でも笑顔でもおまえの顔は怖えもんな〜)
(うるさい。これでも頑張って微笑んでるのに)
(カーッカッカッカ、おまえ、直ぐにでも鏡の前で笑顔の確認した方がいいぞ〜?)
一頻り来客との挨拶を済ませると、義母のマミヤがアインを連れて近付いて来た。
「流石はエレナちゃん。誰かさんと違って社交の場に慣れてるわね」
「ええ、幼い頃からマミヤ様の指導を受けてきた賜物です」
マミヤは、一応それなりの挨拶をした俺の事など無視し、エレナを褒めた。
「……まあ、カインも次期当主として最低限の振る舞いは出来てるけど、ヴェイルハートは王国の経済の要を担う家なのよ? もう少し、その仏頂面をなんとか出来ないのかしら?」
「鋭意努力中ですよ、御義母様」
「努力ねぇ……貴方、この街の商人達がどれだけ貴方を恐れているか、考えた事はある?」
耳の痛い話だが、過去は変えられない。
「……勿論、過去の自分の振る舞いが愚かだった事くらい、理解しています」
俺としては充分反省してるつもりだったが、マミヤにはそう見えなかったらしい。
(だから言ったろ? 鏡の前で練習しとけって)
「その不遜な表情……。貴方には、人の上に立つ者の覚悟が見えないのよ。本当に家を継ぐつもりがあるの?」
マミヤがいきなり核心に迫る質問をぶっ込んできたのに驚く。
「勿論、そのつもりですが?」
するとマミヤは、なにか考えこんだ後、口を開いた。
「……やっぱり貴方にこの家の当主は無理よ。大人しく次期当主の座は弟であるアインに譲りなさい」
そして、更なる爆弾を投下して来たのだ。




