第26話 交易都市ヴェイルハート
――神歴783年・夏季 第36日
夢を見た……。
「嫌だ! 嫌だ! 母上、僕を置いていかないで!」
泣きじゃくる少年が、病床に伏す女性の手を握って叫んでいる。
「……ごめんね、カイン。でも、貴方はこのヴェイルハート家を継ぐ者。だから、簡単に泣いちゃ駄目」
苦しそうに、でも優しく微笑みながら、女性は少年の頭を撫でる。
「いい、カイン。……“強くなりなさい”。貴方が護りたいと思える全てのものを護れるくらい、強く……」
「うん……うん! 強くなる。強くなるから……母上、死なないでよ!!」
そして女性は、優しく微笑みながら……瞳を閉じた。
「……カイン……カイン……」
肩を揺すられて目を覚ますと、そこには心配そうに俺を見つめるエレナがいた。
「随分うなされてましたが……何か嫌な夢でも?」
「……いや、遠い昔の事を思い出していただけだ」
どうやら俺はうたた寝していたらしいが、やはり懐かしの故郷に戻って来たからだろうか? あんな昔の事を夢で見るなんてな。
王都からヴェイルハート領までは、ゆっくり進めば馬車で3日の距離がある。
俺達は途中の町や村で1泊ずつ過ごした。勿論、エレナとは別室だ。彼女は不満そうだったが……。
そして、ようやくヴェイルハート領・交易都市ヴェイルハートに到着したのだ。
久しぶりに見る故郷は、ソルディア王国では王都に次ぐ人口を誇る大都市であり、様々な人種や種族が生き生きと共生していた。
「私もここに来るのは久し振りです。私達が初めて出会ったあの日……カインは覚えてますか?」
エレナが言ってるのは、俺たちが出会った日の事だろう。
当時はまだ王国騎士団の副団長だったエレナの父が、俺の許嫁として娘であるエレナを連れて来たのだ。
「10年以上も前の事だ、薄っすらとしか覚えてない」
回帰前の事だから実質20年以上前の事ではあるが、本当はしっかり覚えてる。
初めてエレナを見た時、こんなに可愛い女の子がこの世に存在するのかと思ったから。
そんな気持ちが恥ずかしくて、素っ気ない態度をとってしまったのも覚えている。
「あら? 私はハッキリと覚えてますよ。カインが5歳にしてヴェイルハート私設騎士団の騎士と剣の稽古をしてらした姿を」
……多分、エレナに良い所を見せたかったんだろうなぁ。あと、照れ隠しでもあったが。
「ところで、弟さんのアイン様はもう12歳でしたか? あの時はまだ産まれたばかりでしたけど、随分大きくなったのでしょうね」
大きくはなってるだろうが、かつての俺は弟など歯牙にも掛けていなかったので印象が薄いんだよな。
「幸いな事に弟は俺の正反対の性格だからな。領民は皆、俺じゃなく弟が次期当主になってくれればと願ってるだろうよ」
「あら、それでは私がカインの評判を上げなければなりませんね……もう、傲慢不羈だったカインはいないと」
まあ、街に繰り出しては喧嘩三昧。飯を食っては家にツケ、買い物しては値切りまくった上に結局ツケ、15歳にして女を侍らせ好き放題、そんな傲慢不羈の俺が次期当主じゃ、領民もやってられないだろうな。
俺も本来ならば、次期当主には弟の方が相応しいとは思っている。
ただ、このままだと俺が22歳の時に、父が魔族に嵌められて失脚し、ヴェイルハート家も没落。結果、欲にかまけた貴族どもに領地を奪われたのだ。
それを阻止するためには、全てを知っている俺が当主にならなければならない。まだ幼い弟には荷が重いのだから。
ヴェイルハート家の本邸は、充分大きかった王都の別邸より更に大きく、隣接する離れもそこらの豪邸が霞む程に豪華だ。
回帰前は15年も薄暗い拠点を転々としていたから、懐かしいというより若干引いてる。
「「おかえりなさいませ、カイン様!」」
本邸の使用人がズラリと並び、俺の帰郷を出迎えてくれていた。……王都の別邸同様、全員緊張した面持ちで。
厄介な奴が帰って来やがったとでも思ってるんだろうな。
家に入ると、当社代理で母親でもある【マミヤ・ヴェイルハート】と、その隣に弟の【アイン・ヴェイルハート】が、俺達を出迎えていた。
「ただ今帰りました」
回帰前は、アインだけでなく母にも素っ気ない態度だったが、今は違う。
将来円滑に当主の座に座れる様、態度は改めなければ。
「久しぶですね、カイン。……おや? 雰囲気が少し変わりましたね……」
彼女は海千山千の商人を相手に、この交易都市を仕切っているのだ。その観察眼は並ではない。
「お久しぶりです、お義母様。暫くの間、こちらでご厄介になります」
「あら、エレナちゃん、いらっしゃい! ますます綺麗になったわね〜」
俺との挨拶もそこそこに、義母はエレナと自然に抱き合っている。
大物貴族ともなると社交的な交流の場も多く、ふたりはそこで会う度に交流を深めていた様だ。
「……おかえりなさい、兄上」
そして、場の空気を読みつつ、ここでアインが口を開いた。
「ああ、ただいま。アインも、久しいな」
俺が普通に挨拶を返したのに驚いたのか、アインは呆然としていた。……まあ、これまでは話し掛けられても無視してたからな。
だが、これからは違う。俺は家の未来のため、引いては俺自身の平穏な生活のために、ヴェイルハート家を継ぐつもりだ。
アインとの関係が変に拗れて、跡目争いに繋がるのは避けなければならない。
「そうだ、久しぶりに剣の稽古をつけてやろうか? おまえがどれだけ強くなったか、兄として試してやろう」
俺としては純粋に弟との交流を深めるための提案だったのだが、アインは青ざめた顔で力なく頷いた。
(だ〜か〜ら〜、どんなにおまえが善意で言っても、相手はおまえを傲慢不羈のままだと思ってるんだから、額面通りには受け取らねえんだよ)
外から状況を観察していたネメシスの言葉に、またか……とゲンナリする。もしかしたらアインは、俺が稽古と称して自分を痛め付けるとでも思ったのかもしれない。
実際、過去に稽古と称してアインを一方的にボコボコにして両親に激怒された事もあったし。
父にも、おまえ自身が変わるしかないって言われたが、もう変わってるんだよ。これ以上どうすればいいんだよ?
そんなアインの様子を見かねたマミヤが口を挟んできた。
「少しはマシになったかと思ったら……やっぱり貴方は変わってないのね」
「いや、誤解だ。俺はただ、本当にアインと交流を深めようと……」
「今まで散々無視して来たアインと交流? 大方、王都で問題でも起こして当主の座が危うくなったから、態度を改めたフリでもしようとしたんでしょう? まったく……今の貴方を見たら、【セーラ】もさぞ悲しむでしょうよ」
母……いや、義母の言葉を聞いた瞬間、俺の中で瞬間的に怒りの感情が沸いた。
「……おまえが、母上を語るな」
俺から溢れる怒りのオーラに、義母やアイン、使用人達も表情を青ざめる。
「カ、カイン!?」
エレナが俺の腕を掴むが、怒りは収まらない。むしろ、実年齢は既に三十路だというのに、まるで10代の頃の感情が蘇っていたから。
「フン、結局貴方は変わらない。その粗野で傲慢な性格は、一度死にでもしなければ治らないんじゃない?」
義母が臆しながらも、俺に吐き捨てる。
(実際、一度は死んでるんだけどな〜)
「……母上が死んだ途端、この家にやって来た奴に言われる筋合いは無い」
怒りの収まらない俺の目の前に、バルザックが飛び出して来た。
「御坊ちゃま、久しぶりの我が家ですぞ? 挨拶も済みましたし、離れに移動しましょう」
バルザックの諭す様な視線に、俺は次第に冷静さを取り戻す。……昔みたいに。
「……分かったよ。失礼しました、義母上」
義母とは視線を合わせず、俺は本邸を出て離れの別邸へと向かうのだった。
《エレナ視点》
カインを産んでくれたお母様であるセーラ様は、カインが4歳の時に亡くなっている事は知っている。
それに、すぐに後妻になったマミヤお義母様とカインとの間に溝がある事も、以前から聞かされていた。
それでも、あんなに感情むき出しのカインを見たのは初めてで、私は少しだけ怖かった。
「お義母様……」
「見苦しい所を見せてしまったわね、エレナちゃん。……はぁ、あの子には困ったものだわ。ねえ、エレナちゃん。あの話、考えてくれた?」
「お義母様、私の婚約者はカインだけです」
「あの調子であの子がこのヴェイルハート家の当主になどなったら、この家はお終いよ。セーラには悪いけど、カインにこの領地を任せる訳にはいかないのよ。エレナちゃん、カインなど見限ってアインと婚姻を結び直しましょう?」
お義母様は以前から折りに触れて、カインではなくアイン様を私に薦めてくるのだが、こればっかりは容認出来ない。
むしろ、相手がお義母様でなければ頭を凍らせてやる所だけど、将来義母になる人との関係を拗らせても何の得もないから我慢しているのだ。
「最近カイン様は変わりました。傲慢不羈と呼ばれた彼はもういません。先程のアイン様への申し出も、純粋な気持ちで言った言葉だったのですよ」
「どうだか。とにかく、このままだったら私はあの子を次期当主として絶対に認めません。貴女もヴェイルハート家に嫁入りしたいのであれば、よ〜く考えなさい」
「こればっかりは考えても変わりません。それでは、私も失礼致します」
最後まで笑みを崩さず、一礼してから、私もカインの後を追った。
もはや、私にとってヴェイルハート家に嫁入りする事は二の次三の次。仮にカインが当主にならなくとも、私は彼の傍を離れるつもりは無いのだから。
でも、彼は当主になるつもりだ。であれば、私の仕事は彼を当主にさせる事だ。
この夏季休暇の間に、カインが次期当主に相応しい人間だと誰もが認める様に、私は立ち回らなければならない。
そのためには、なんとかカインとマミヤ様の関係を少しでも改善させなければ……。




