26 音色を届けたい人
夏休みに入ったおかげで、ピアノの練習に本腰を入れることができた。
万全の体制で地区本選当日を迎えた。
名前を呼ばれて、舞台に上がる。
劇場内に視線を走らせても、華音の姿はない。
昨日の朝、インフルエンザで熱を出したと本人から電話があった。
『行きたかった、ごめん』と何度も謝っていた華音。
父さんと母さん、大地先生が僕を見ている。
これまでのコンクールと何も変わらないはずなのに。
大地先生はいつも「音色は嘘を吐けない」と言っている。
今の……嘘吐きな僕の音は、どんな色をしているんだろう。
鍵盤に指を置き、ひとつひとつ、カノンの音色を重ねる。
高校に入ってからこれまでの日々がくるくるとめぐる。
沢と華音に出会わなかったら、僕はこの場でカノンを弾いていなかった。
これまでずっと、大地先生の言うとおりにしてきた。
でも今は──どうしても、カノンを弾きたいと思った。
僕自身の意思で。
最後まで弾き終えて、会場にしばしの静寂が落ちる。
拍手を聞きながら、なんだか清々しい気持ちで頭を下げた。
舞台から降りた僕に、父さんと母さんが感想を言ってくれた。
けれど、華音のことが気になって頭に入ってこない。
もう、熱はさがったかな。
……電話したら迷惑かな。
気づけば結果が張り出されていて、全国大会進出の欄に、僕の名前が載っていた。
「おめでとう、響司!」
「よくやったな! 父さん泣いちゃうぞ」
ふたりに肩を揺さぶられて、ようやく実感がわいてきた。
「そっか、……僕、本選突破できたんだ」
どうしても華音に聞いてほしくて、スマホの発信ボタンを押していた。
『キョウジ! どうだった!?』
ワンコールで華音が出た。
「か、華音、もしかして待ってた?」
『キョウジに電話しようと思ってスマホ持ったら、鳴った』
「なんだ、華音も電話しようとしてたんだ」
タイミングがよすぎて笑ってしまう。
「本選も通過したよ」
『おめでとキョウジ! あたし、お祝いにクーヘン焼くよ』
熱のせいか、いつもよりは掠れているけど、華音の声は弾んでいる。
「ありがとう。……体調悪いときに連絡してごめん、まだ熱あるよね」
『ううん。ききたかった』
張り紙の予定表を見て、次の予定を華音に伝える。
「……全国大会、八月二十日だって」
『はつか。……そっか』
華音が言いよどんだ。
都合が悪いのかな。
『あ、行けないわけじゃない、ただ、ぎりぎり、だったから』
「ぎりぎり?」
華音は少し迷いながら、続けた。
『Omaのとこ行くの。レオ、飛行機乗れるくらい大きくなったから。Papaが去年からチケットとってた』
華音のおばあさんのところ、オーストリア。
そこに行くのは、ずっと前から決まっていた?
この夏が終わったら、華音とはもう会えなくなる?
『キョウジ?』
「あ、うん。なんでもない……。ごめん、負担になるよね。そろそろ切るよ。おだいじにね」
バックライトの落ちた画面に、僕が映る。
手が震えていて、あやうくスマホを落としそうになった。
「響司。華音ちゃん具合悪いの?」
母さんに聞かれて、慌てて答える。
「あ、うん。一昨日インフルになって、まだ熱下がってないって。長話すると迷惑になっちゃうから、予定だけ伝えた」
うまくごまかせたかわからない。
胸がざわざわして、息がしづらい。
どうしてこんなに、苦しいんだろう。




