memorys,08
朝日が射し込む部屋で、わたしは鏡を見ながらくるりと回る。セーラー襟のついた茶色のブレザーに、深い緑色のチェック柄のスカート。胸ポケットには、金色の糸で紋章が刺繍されていた。
いかにもお嬢様らしい制服。
試着した時は見た目の可愛らしさばかりに目がいってしまって気付かなかったが、制服を着た自分を再確認したら溜め息が出そうになった。
「なんか、似合ってないな……」
今日から、いよいよ新しい学校へ通う。
幼稚園から大学まである、エスカレーター式の名門校。陽太さんもそこの卒業生で、かなりの好成績を残したと神木さんから聞いた。
暉くんも成績優秀で、しかもバイオリンの世界コンクールで2位を取るほどの実力者。
(そんな兄弟の妹がこれだもんな……隠したくもなるよね)
学力に優れている訳でもなく、運動神経も人並み、誰かが驚くような特技があるでもない。出来ると言えば、料理とビーズのアクセサリーを作ることぐらいだ。
あの時は暉くんの言い方に腹も立ったけれど、今は納得できてしまう。
「髪伸ばしてセットすれば少しはお嬢様っぽく見えるのかなぁ?」
よく見ると、目元にうっすらと隈が浮かび上がっている。
「昨日は緊張して眠れなかったからなぁー」
これでは、ますます“お嬢様”になんて見えないだろうと肩を落とした。
「お嬢様……入ってもよろしいでしょうか?」
「あっ、はい!」
神木さんの声に慌てて返事をすると、直ぐ様ドアが開かれる。
「朝食の時間ですが、どうかなさいましたか?」
「えっ、ごめんなさい! もうそんな時間だったんだ」
もう見た目は諦めようと思った矢先、神木さんの顔がこちらを覗き込むように近付いてきた。
「かっ、神木さんっ!?」
思わずたじろいだわたしを見て、神木さんは変わらずの執事スマイルを浮かべる。
「朝食の前に、少しだけよろしいでしょうか?」
「え?」
返事を待つこともせず、ベッド脇にあるドレッサーの前に座らせられる。
「お嬢様……少しだけ目を閉じて頂けますか?」
理由を聞こうとしたが、間近に迫ってくる神木さんの顔を直視するのが堪えられず、ぎゅっと目を瞑った。
「大丈夫ですよ。力をもう少し抜いてリラックスです」
目を閉じたせいか、いつもより神木さんの声が耳の奥まで響く。きっと囁きかけるように言っているせいだろうか。耳を擽られるような、変な感覚を覚えた。
「お嬢様、目を開けてもよろしいですよ」
「えっ、はいっ」
違う事に集中していて、何をされたのか分からないまま目を開く。目の前にあった自分を映し出す鏡を見た瞬間、感動のあまり言葉を失った。
さっきまで目元にあった隈は消え、肌色も綺麗に見える。何よりも、この短時間で髪の毛までアレンジされていた事に驚いた。セミロング丈の髪を後ろでまとめ、少しほぐしを入れたふんわりお団子。
さっき鏡で見た自分とはまるで別人のようだった。
「お気に召して頂けましたか?」
「はい、もちろんです! 神木さん、こんなことも出来ちゃうんですね」
勢いよく振り返ると、まだ近くにあった神木さんと至近距離で目が合う。わたしは思わず息を飲んだ。
神木さんは少し慌てた顔をするも、素早く執事スマイルに切り換える。
「お嬢様がご要望であれば、いつでも声を掛けて下さい」
「あ、ありがとうございますっ」
「それでは皆様がお待ちですので参りましょうか」
「はいっ」
神木さんの顔が近すぎて、びっくりしただけのこと。
鼓動の速さはそのせいだと自己解決し、わたしは部屋を後にした。
◇◇◇ ◇◇◇
みんなとの朝食を終え、神木さんの指示で玄関へと向かう。すると、朝食の時には居なかったはずの陽太さんの姿があった。
「おはようございます、陽太さんっ」
思い切って声を掛ける。だが、予想通り反応は薄く、わたしを嫌そうな顔付きで見てきた。これは、何も言わずに無視されると覚悟したのだが、陽太さんは何を思ったのかこちらへと歩み寄り微笑む。
「おはよう」
もしかして、家族として受け入れてくれた。そんな甘い考えが頭を過る。
「見た目は誠のおかげで随分“お嬢様”らしくなったみたいだな」
その言葉と共に、優しい微笑みは消え去った。
「まあ、裏の化けの皮が剥がれないようにせいぜい頑張れ。少しでも“朝比奈”の名前を汚すことだけはするな……お前は“九条”である前に“朝比奈”の名前も背負ってる。母の顔に泥を塗るような真似をしたら俺が許さない」
悔しくて仕方ないのに、何も言い返せない。そんなわたしの反応を見てか、陽太さんが小さく鼻で笑った。
「本物と偽物の違いを見て、もう一度よく考えてこい」
それを言い残し、玄関から出ていってしまう。
「兄さん、言い方キツいでしょ?」
どこから聞いていたのか、暉くんが後ろからひょっこりと顔を出す。同じ茶色のブレザー、チェック柄のズボンに赤のネクタイを見に纏った暉くんは、相変わらず笑顔。
「暉くん」
「でも正論だし、言い返せないよね。僕も兄さんと口喧嘩したら勝てないから」
“正論”という言葉に、胸が微かに痛む。
「あ、そうだ。学校は同じだけど登校は別ね。それと学校ではまだ僕“朝比奈”だから、間違っても声を掛けたりしないでね」
「それじゃ、他人と変わらないじゃない」
「何言ってるの?」
暉くんの顔が間近まで寄ってきた。
「僕たちは“他人”でしょ? ただ住む家が一緒になっただけで血の繋がりなんてないんだから、家族と呼ぶのが無理なんじゃない?」
「それはっ……そうかもしれないけど」
「さてと、無駄話はおしまい。僕は先に行くよ……とりあえず初日頑張ってね」
ドアの閉まる音が体に痛みを与えるほど冷たく響く。
大丈夫、きっと大丈夫。
そう言い聞かせながらも、わたしの顔に笑顔はなかった。